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『駆ける、止まる』のどこが好きか、ろくろを回してみた。

 Vの音楽、MV見るのも楽しいので『好き』の解体をやりたいと思います。今回は長瀬有花さんの『駆ける、止まる』に挑戦します。MVの制作はのんたんさん。

とりあえず見てみましょう。

何回か見て「ここが引っかかるポイント」を書き出してみました。

・シンプルなモチーフを繰り返し使っている
・歌詞と演出がリンクしている
抑えられた色
長瀬有花さん自信は控えめな登場回数

では、一つ一つろくろを回してみましょう。

・シンプルなモチーフ

 絵文字だったり、円や球体、彫像、などアイニックなモチーフが使われています。しかも、使い回せるものはなるべく使い回している印象があります。同じモチーフでも違う意味で登場したりしますが、余計な情報がないせいか素直に理解できますし、「そう表現したか!!」という表現の上手さ自体に目が行きやすいです。

駆ける、止まる (Kakeru, Tomaru) - 長瀬有花 (Official Video) 3-44 screenshot

 このカット、歌詞は『真昼の空に浮かんだ』なんですが、それを視力検査に使われるオートレフラクトメータ内の画像を持ってくるのすごすぎます。これ、実際に使われる画像では「青空」なんですが、そこをここまで青色を多用してきた流れを逆手にとって灰色の空にしているんですね。ひねり方ウルトラCかよ。

・歌詞と演出のリンク

 MVってあんまり歌詞と映像はリンクさせずにあくまでも同じ雰囲気、世界観を想起させるに留める作り方をしてますよね。ある瞬間だけ一致させるとかはよく見ますが、このMVは全編を通して歌詞をシンプルなモチーフを使って表現しています。これだけ直接的なのは岡崎体育さんの『MUSIC VIDEO』を思い出します。(MUSIC VIDEOはそれまでのMVがいかに画一的かという問題提起をしたMVなんですけど、モチーフを多用したある意味対象的なこのMVに新しさを感じるの面白いですねという脱線)

 歌詞と演出が密接だと『いいな』と思ったポイントは「歌詞を乗せなくても頭に歌詞が浮かぶ」です。カバーとは違いオリジナルソングは公式が概要欄に乗せたり、動画内に出てこなければリスナーは耳で聞いた音から歌詞を聴き取るしかありません。リスナーは容易に手に入る情報のみを受け取るので歌詞が見えなければ「何を言っているか」より聴こえる音、MVの映像で楽曲の印象が決まるように感じます。

 この点を考えると神椿スタジオのオリジナル曲なんかでタイポグラフィとかモーショングラフィックスに力が入ってるのは納得です。MVの演出と歌詞を読ませるという2つのタスクをこなせるからです。解像度の問題もあって実写ではあそこまでタイポのディテールに凝れないと思うのでVtuber とタイポグラフィの相性がいいんでしょうね。今の技術なら実写も綺麗に抜けてバックを単色にしたら映えるかもしれませんけど。やっぱり可読性を考えるとゴシック体縛りになりがち。

 文字が出てくると「全部読みたくなる」んですよね。諸刃の剣。読みやすいようにするか、英語の歌詞だけを出すか(日本人は英語をアイコンとして捉えるので読めないことへのストレスが少ない)みたいな選択になってくる。そうなってくると文字自体の演出というよりかは出し方の問題になるので「タイポ」が生きるのはやっぱりアニメなのかなぁ……。実写でタイポがすごいMVあったら教えて下さい。一番がっつりやってるのはamazarashiですかね。あとはサカナクションの『アルクアラウンド』とか初めてみた時びっくりしました。

  盛大に脱線しましたが、『駆ける、止まる』の場合はそもそも歌詞が短文が主で聞き取りやすいのも助けて、非常に歌詞を頭の中でイメージしながら聴きやすい。ポエトリっぽいところは歌詞が出ていますが、それまでがアイコニックな演出だったので「文字」が出てきても歌詞を読まされている感覚はなく、他のモチーフと並列で悪目立ちのしない作りになっているように感じます。可読性も高い。タイポとは違うアプローチで歌詞の提示と演出をこなしているの新鮮。

抑えられた色

 これも結局は動画全体のまとまりの良さに寄与してるって話ですね。青のグラデーションを使って色数を抑えることで次々提示されるモチーフがすんなり頭に入ってきますね。ここまでいくとUIデザインとかそっちの人に解説してもらった熱の入った解説してもらえそうです。 

駆ける、止まる (Kakeru, Tomaru) - 長瀬有花 (Official Video) 2-6 screenshot

長瀬有花さん自身は控えめな登場回数

 はい、今回書きたかったところです。長かった。

 長瀬さん自身の登場はサムネを含めて三箇所のみ。それもサムネと一箇所目は顔すら見えない。色付けすらされていません。ここの要素だけ切り取るとV本人が出てないMVってたくさんあるんですよ。でも、このMVがずば抜けてるのって本人を出しつつも他のモチーフと印象がフラットになるまで情報を抜いてるところなんですよね。顔も色も動きも情報が多すぎるから削って削って削ってるんですよ。そして長瀬さんが出てくるところでは歌詞すらないので、当てはめるべき適当な言葉も抜け落ちてる。ここまでやるのすごいですね。

駆ける、止まる (Kakeru, Tomaru) - 長瀬有花 (Official Video) 4-29 screenshot

逆にここまでやらないと焦点が『ブレる』

 逆にです。ここまで情報を抜かないとリスナーの視線がV本人に寄ってしまうんですよね。普段配信なんかで露出していればなおさらですが、Vtuberって楽曲や歌詞やMV中に登場する小道具よりも圧倒的に情報量が多いし、そもそもオリジナル曲を聴きに来るリスナーはファンが多いでしょうからV本人がでたらV本人に焦点を合わせるのは自然なことだと思うんです。衣装や動きなんかに真っ先に目が行くのは言わずもがな。動画で見せつつ、音楽の方に視線を誘導するにはここまでやる必要があるのかもしれません。ムズ。

 ここまで見てきた要素を考えると、このMVが異質なのは『V本人がいない』ということよりも『視線誘導の徹底』にあるような気がします。いわゆるキャラソン的なオリジナル曲ではなく、楽曲のやりたいこと、見せたい色に目が行くように設計されている。こういうのアーティスト性っていうんでしょうか。動画、歌詞、音楽、そして長瀬さんの歌声のそれらすべての演出の方向性がそろうことで、結果として長瀬有花さんの不思議な雰囲気、脱力感、可愛さがMVを見た人に伝わっているという点がなによりこのMVに惹かれる原因なのかもしれません。

 MVの中にアーティストがいることはごく一般的だと思います。Vtuberの場合は音楽のプロモーションと同時にV本人のプロモーション要素が入る点が難しいんでしょうかね。シンガソングライタータイプなら焦点ブレは少ないけど職業作家的な立ち位置で活動しているタイプはMVの中で自分をプロモーションする必要がない、ということなんですかね。ここらへんは作ってる側が如何にリスナーに意識させず視線を誘導するかみたいな問題になりそう。

映像を制作したのんたんさんの話もちょっと読める

 ここまでの文章はあくまで私がMVをみて勝手に妄想した内容なんですが、このMVを制作されたのんたんさんの制作小話を以下リンクで読めるので気になる方は読んでみてください。なんとボツ案の動画が見れちゃうのでそれだけでも一見の価値ありです。


おわり

 実はVtuber のMVについてろくろを回すnoteを書いてたんですけど、この『駆ける、止まる』だけで文量がすごくなってしまい、ろくろというよりサグラダファミリアの様相を呈して来たので「こうなったら単独記事だ!!」と書き直した次第です。ということで、このMVろくろ素人まわし回、続きます。引き続き、長瀬有花さんのMVにも登場していただきつつ、今回提示したVtuberとMVの焦点ブレの話を中心に回していければと思います。面白いと思っていただけた方は次回もお付き合いください。では、今回はこれまで。




今回の見出し画像は浮遊信号あとり依和さんに描いていただきました!!このシリーズでがっつり使わせていただきます!!ありがとうございます!!



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