『少年の名はジルベール』 〜ジルベールも大泉もほぼ出てこないぞ〜

遅ればせながら萩尾望都にハマる


ここ数年、萩尾望都にハマって細々と本を集めている。漫画だけでなくエッセイ集なんかも。

その中で読んだ『一度きりの大泉の話』。
なんだか大変な思いをしたんだな、試練にしても随分なものだなと思った。そして、ますます作品にハマっていった。

冒頭には、その本を書くことになった理由がはっきり書かれている。
萩尾望都は、かつて大泉で竹宮惠子と同居生活をしていた。彼女とは色々あって、既に関わりを絶っている。
しかしその竹宮惠子本人は、萩尾望都に先行して若い頃を回想した本を出しており、そこに「大泉サロン」という名前を出した。
そのため映像化企画化を狙う有象無象の輩が、許可を求めて萩尾望都を煩わせたらしい。


で、その本がこれ。『少年の名はジルベール』である。

『一度きりの』を読んでから2、3年は経つ。ようやく読んだ。

比較してしまう、だがしかし


読んで驚いた。
ぜんぜん大泉の話、書いてない。それどころかタイトルのジルベールもとい『風と木の詩』については、「漫画家人生の目標」としては出てくるものの、作品づくりについてはほとんど書いてない。話の最後に「やっと描ける!」と出てくるだけで、そこからいきなり現代に飛んで「そして今の私は大学で教えている」という話になってしまう。

要するに『ジルベール』と『一度きりの』は、全然性質が違う。

『一度きりの』は、萩尾望都が竹宮惠子や増山法恵との関係を軸に、大泉に集まった漫画家の卵たちや自分の作品づくりについて書いている。
竹宮惠子への言及が多いのは、そちらが先行して書いたものに対する返答だからだ。

一方の『ジルベール』は、竹宮惠子の若い頃を回想したもので、別に大泉も萩尾望都も中心には据えていない。
話の中心は、あくまで若い頃の竹宮惠子の、漫画家としての苦悩や葛藤だ。
おそらく漫画家を目指す若い人たちが読者として想定されていたのではないか。大学で漫画を教えているわけだし。
だから若者達への薫陶のようなところがある。

そして文章は徹底して主観。
本の中でボリュームが大きいのは、もちろん漫画を書く苦労とかスランプの話だが、同時に漫画家4人で行ったヨーロッパ旅行もやけに多かった。
これは竹宮惠子が、スランプから逃げたくて旅行の手配作業に没頭したのもあるだろう。
しかしそれよりも、こんな風に話のボリュームが偏っているのは、この本が「思い出話」だからではないだろうか。

私が『ジルベール』を読んでいて思ったのは、かなり「思い出話」に近いなあということだ。
自分の記憶に強く残ったエピソードばかりを書いている。
自分の感情がこれでもかと書き込まれている。他者からはどう見えたか?という視点はほとんどない。
それに話がけっこう飛ぶ。思い出したままに書き連ねたという印象だ。

先に読んだ『一度きりの』では、萩尾望都は時系列に沿って、こんなことがあった、自分はこう感じたが相手はこんな風に感じていたのかもしれない、でもよくわからない…という調子で書かれていた。
覚えている限りは正確に記し、わからないものは誤魔化さずにわからないと書く。そういう方針があったのだと思う。

いやこれは比較する方が間違ってるか…と、思いつつも、『一度きりの』がアンサー的に書かれた以上は比べたくなるのは当然か。

とはいえ「大泉」に焦点を当てようというなら、絶対的に欠けているピースがある。
増山法恵の存在だ。

竹宮惠子のブレインとして支えていた彼女は、『ジルベール』では頻繁に登場する。それに比べたら萩尾望都なんか一瞬で、台詞も二言三言くらい。
本当に大泉の話をしようとしたら、増山法恵の立場からの話が必要不可欠だ。
もともと萩尾望都の知り合いで、竹宮惠子に出会って少年同士の愛について伝道し、彼女が作品づくりにつまっていれば必ず役に立つ示唆をくれた人。
『ジルベール』での、『ファラオの墓』のストーリーに悩む竹宮に色々と助言するその姿は、「ブレインの名は伊達じゃないな」と思わされる。
教養豊かな人で、漫画を描く技術はあっても描きたいものがない竹宮にとって、本当に重要な立場を占めていたのがよくわかる。

竹宮惠子と萩尾望都、その2人を最も近いところで見てきた増山法恵。
2人の本を読んだ今、増山の立場からの話が無性に読みたい。

とはいえ亡くなってしまっているので、もうそのピースは埋めようがないのだが。

その他の細かい感想


個人的に「え〜っ」となったのは『ファラオの墓』誕生の経緯ですかね…。
原案は増山法恵、ストーリーの骨格(貴種流離譚)も悲恋など重要な要素を入れるよう言ったのも増山法恵。
さらに竹宮本人の言を信じるなら、この作品に至るまで戦略的に漫画を描くことはなかったようだ。

ううん。
テーマ性の強い萩尾望都に対して、竹宮惠子はエンタメ作家だなあと思っていたが、あの話も増山法恵が原作とは。

それから『風と木の詩』最終巻を一冊にまとめるか2つに分けるかのいざこざ。
最終巻を値段が同じまま厚くする案に社長があっさりオッケーしたってことは、その手前でYさんが渋ってたのは社長とやり合うのを嫌がってただけじゃないか。
編集なら作家第一で頼みたい。商売だから売れないものは出せないとかなんとか言ってたって、その商品は職人に頼ってるんだからさ。


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