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みんな同じ

八卦と四大元素 7
易経は雷沢帰妹→離為火
タロットは塔→皇帝
易経の雷沢帰妹は下から水、雷、沢からできた沢と下から水、地、地からできた雷。
離為火は下から水、地、天からできた火と下から山、地、雷からできた火。
タロットは上下からできてる易経に見立てて四大元素を表すコートカードを2枚引きました。
塔は下から剣キング、剣キング。
皇帝は下から剣ナイト、金貨ペイジ。

易経の雷沢帰妹はあんまり良くない意味の卦。
下の沢は水、雷、沢からできてる。
上は沢、雷なので相従う助け合い、良い感じやけど、1番下には陥れる水、危険を表す水がある。
上、表面は助けますよみたいな感じやけど、底には危険、陥れるなどを表す水、下心満載、過積載の親切?
の沢。
上の雷はやはり1番下に水がある。
そして上2つは地、地。
地面の中にある水。
しかも地、地、水なので地中深くにある水。
井戸水として役に立つ水なのか?
急に陥没したりして危険を及ぼす水なのか?
底に危険をはらんでる、雷も沢でできてるちょっと怖い卦。
万物を助けて潤す水になるのか?
大雨とか土を崩して危険を及ぼす水になるのか?
離為火は面白い事に

火は真ん中の陰について上下の陽、火がついて燃えるのを表してる。
何につくのかが陰になる。
陰は養う意味もある。
陽の活動を陰が支えてる。
陰である夜に元気を養って陽である昼に活動するみたいな。
その陰に当たる場所の八卦が上下とも地。
万物を養う意味のある地。
受け止める意味のある地。
下の火は地の下が水、上が天になってる。
水は陥れる意味もあるけど、変化しない信念、みたいな意味もある。
変わらない心。
地に養われてるのは変わらない心と元気な天でできてる火。
上の火は真ん中が地でそれを挟む下の山、上の雷。
山は動かざる事山の如し。
動かない山。
止める意味もある。
雷はその反対で動く、激しい動きの意味がある。
真ん中の地に養われてるアクセルとブレーキみたいな火。

水のような危険な心、危ない種は誰にでもあるのかもしれない。
立場が違えば、環境が違えば、どうなっていたか分からない。
そんな事、多々ある。
そうせざるを得ない、それしか選択肢がない状態になった時に、それでも悪事を働かずに自分の損を選べるのか?
みたいな事はニュースとか見てても多々ある。
今の環境やから上から見れるけど、その立場になれば、余裕がないと、そうするしかなくなるんやろなぁと。
この離為火は上下の火の真ん中の陰の部分が両方地になってる。
養ったり土台となる地。
受け身の地。

他人事ではなく、人のフリ見て我がフリ直す気持ち。
明日は我が身かもしれないと日々自分を省みる反省する心。
大事なのかもしれない。
悪い方向に行かずにすんでる恵まれた自分。
一歩間違えば自分もそうなってたかもしれない。
いや、明日そうなるかもしれない危険はある。
そうなった場合、ニュースとかで悪いことした人を見下していられるのか???

みたいな。

タロットは剣キングが2枚の塔と下から剣ナイト、金貨ペイジの皇帝。

剣は風、分析、理論。
キングは火、やる気とかエネルギー。
もう、正論で周りと論破合戦してる感じ?
正論という剣でバッサバッサと周りを切り裂いてる感じ。
自分も荒波や雷で周りから攻撃を喰らっている。
それらに耐えながら建っている塔。

それとは逆な絵柄の平和の皇帝。
剣は風、ナイトも風。
どちらも分析、理論。
でも塔とは違い、馬に乗ったナイト、ぶつからずに素早く動けてうまく会話できる感じが下の現実を表すところにきてる。
上の心の中は金貨ペイジ。
金貨もペイジも土、受け取る、物質、現実とか。
現実は剣ナイトでうまく働きかけて、心の中では得たことを受け取る。
吟味する、みたいな。

塔の周りを論破していく、ぶつかっていく感じではなく、ちゃんと受け取ることもしている皇帝。
だからこそ、落ちついて城の上から街を眺められてるのかも。

自分の中に隠そうとする物とか、引け目、やましい事とかあると塔のように守るために固めてしまい、周りとぶつかってしまうのかもしれない。
皇帝の上の心を表す金貨ペイジのように受け身、自分の心の中の事も受け止めることができていると、受け入れることができていると、皇帝のように穏やかでいれるのかも。

自分を許せなかったり、自分自身を嫌いやったり、していると、引け目とか、隠してしまい、バレないようにしようと塔のように固まってぶつかってしまう。

易経の雷沢帰妹のようにたぶん誰の心にも水、危険、欠点はあると思う。
それを隠そうとすれば、塔のように守ろうと固くなりぶつかってしまう。
自分を守るために周りと戦う、ぶつかるしかなくなる、
でも、それが自分やから、認めて受け入れていくと、皇帝のように穏やかになれるのかも。

周りと戦って自分の意見や思いを通したい場合、相手から自分の欠点や間違いを指摘されないように隠さないといけなくなる。
それを指摘されたら、見つけられたら、相手に論破されてしまい、自分の思い、考えを諦めて相手に従わないといけなくなる。
自分の願いが叶わなくなり、自分の思い通りにできなくなる。
だから、自分の欠点や間違いは断じて受け入れられない。
認められない。
直さなければならない!!!
でも、直せない、、、
ならば、見つからないように隠すしかない!!!!
ってなると、もう、戦うしかなくなる。
戦いの世界、阿修羅界まっしぐら。

自分の弱みを認めれない、許せない、受け入れなれない、辛い辛い事になる。
別に自分の欠点に対して開き直るわけじゃない。
間違っても開き直って謝らないとかじゃない。

自分にはそうゆうところがあるんやなと認めて受け入れて、そんな自分の存在も許してあげる。
そしたら、別に隠す必要もないので、固まる事もなく、ぶつかる事もない。
良いとこも悪いとこもあるもんやと分かってるから、人の欠点や間違いも、責めるんじゃなくて、自分のできる事、得意な事なら補ってあげれる。
自分の苦手、欠点を素直に助けてもらう。
間違いはどうすればいいか?
改善できるのか?
隠すのではなく、人に話してアドバイスをもらい、聞いたりして努力していける。

そうすれば、ぶつかることはなくなる。
塔のように荒波の中、雷に打たれながらも耐えることはなくなる。
自分を守るために正論の剣を振り回す事もなくなる。

かなぁ。


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