鬼門

易経やタロットは変化して循環する事を教えてくれている。
変化せずに固まると偏り、固まっているので周りとぶつかってしまう。
循環を妨げてしまう。
悩みや苦悩が生まれる。
問題が起きて困難にぶつかる。

でも、自分の思う通りしたい。
自分の願いを叶えたい。
物事を進めるには人との協力助け合いが必要。
じゃあ、自分の思い、願いは諦めて、自分の思い、願いを捨てて、自分が折れて、人に従うのか?
それも自分か?相手か?になっていてぶつかっている。

じゃあ、どうすればいいのか?
その願いや思いが自分だけのものなのか?
他の人にも役に立つのか?
が大事になってくる。
ただのワガママなら誰も協力してくれないし、人のためになる事なら協てくれる。

自分だけの思い、願いなのか?
人のためにもなる事なのか?自然を見ても分かるけど、協力して助け合いで何立ってる世の中。
人のためになる事を考えた方が助け助けられて協力して物事を前に進めていける。
そのためには自分が変化しないといけない。

俺の願い、思いはこうや!と固まっていると周りとぶつかってしまう。
自分の思い、願いを通すのか?
諦めて折れるのか?
ぶつかるとその2択になってしまう。
ちょっと横に置いといて、人の話を聞いてみる。
人の考えに思いを馳せてみる。
そうすれば自分との相違点とかが分かり、また自分の思いと比較できるので、より自分の思いを良い形に磨けたりもする。

でも、なかなか自分の思いを一旦横には置いとけない。
相手の考えを受け取って考慮できない。
即座に自分の考えとは違うので反発、抵抗、批判しかできない。
弾き飛ばしてしまう。
俺の方が正しい!お前の間違いを分からしてやる!!
と論破合戦になる。

ぶつかってしまう。

変化を恐れるあまり、ぶつかってしまう。
自分と違う意見、考えは自分を打ち砕くものに思えてしまい、自分を守るためにぶつかってしまう。

一旦話を聞いて受け取って考慮するよゆうがあってもいいのに、できない。
そうすれば、自分の思い、願いが変化してしまうかもしれない恐怖。
叶えられなくなる恐怖。

なぜそんなに変化、循環が怖いのか?

易経の成り立ち。
太極があり、両義、陰と陽に分かれた。
つまり、天と地に分かれた。
天と地が交わり、天と地の間に万物、人が生まれた。
三才の天人地。

天の気が木、火、金、水。
その四つが天から、上から降りてくる。
それを受け止める土台、器が地である土。
上から木の気が降りてきて大地の土と交わると春になる。
火なら夏、金なら秋、水なら冬になる。
それがグラデーションのようになっている。
12支、干支12個ある。
春夏秋冬に3つづつ当てられている。
始まりは少しづつ増えてくる時期、真ん中の1番盛んなピークの時期と終わりの減っていく時間。
木の次は火。
木の3段階目で木の気が減って少なくなってくる。
そして、火の1段階目は木から切り替わり、火の気が増えてくる少ない時期。
切り替わりの時は木も火も少ない。
そんな時に土台である土の木が表に出てくる。
上に被さってる物が少なくなるので埋もれてたのが出てくる感じ。
火から木に切り替わる時に土台である土が出てくる。
土は養うってくれるので切り替わる時期を支えてくれる。
うまく木から火に移れるようにサポートしてくれる。
その反面、変化に耐えれないものは土に還ってしまう。
変化の波に乗れたら木から火に変われるけど、できなければ土に還ってしまう。

なので鬼門という。
丑寅、丑は水の最後の時期。
寅は木の始まりの時期。
水は陰が極まってところなので、陽が増えてくる。
寒いのからあったかいへの切り替わりで変化が激しいとされるので特に丑寅の鬼門と言われてる。
そして、火から金への切り替わりの時期も陽が極まった火からの陰が増えてきて金になる。
暑いのから涼しくなるという変化ぎ激しいので裏鬼門と言われる。
丑寅の反対方向になる。
木から火への切り替わりも、金から水への切り替わりも、鬼門と言われてる。
でも、水で陰が極まって反転して陽が増えてくる水から木への変化。
陽と陰が半々になりさらに陽が増えていく木から火への変化。
陽が増えていくのは変わらないので変化はあるけどもまだマシやけど、木と火の切り替わりの時期で土が表に出てくる危険な時期。
変化の波に乗れたらいいけど、変化についていけなければ土に還ってしまう危険な時期、鬼門であることには変わりない。

火になり陽が極まって陰が増えてきて火から金になる時期は変化激しいので裏鬼門。
金から水への変化は金で陰陽が半々になりさらに陰が増えるだけなので変化は少ないけど、同じように疑問であることには変わりない。

なので春夏秋冬それぞれの間の季節の変わり目、変化の変わり目には疑問がある。
合計4つの鬼門がある。

鬼門、境目でもあるので魔が出てくるとか言われる。
境目、変化していく過程。

それだけ変化は危険なもの。
自分を活かしてくれて次の段階に行けるかもしれないし、飲み込まれて土に還ってしまうかもしれない。

他の人の意見、話を聞いて、受け取り考慮して、
それが自分の思いを新たに良いものにしてくれるものかもしれない。
土によって養われて変化して次の段階に行くかもしれない。

あるいは考慮することによってダメなことが分かるかもしれない。
土に還ってしまうかもしれない。

自分の思い通りになり、願いが叶うことが幸せならば、それは不幸なこと。
人と協力助け合いをして生きていくことが幸せと考えているなら、自分の考えはそぐわなかったんやなと、ならば、協力助け合いになる考え方の方を選ぼうと手放すことができる。

世の中、便利になるにつれてモノも豊かになったはずやのに幸福感は低い。
今は自分が成功する、願いが叶う、のがそして幸せとなっている。
さらに個人幸福を追求するようになり、ますます個人、個人、になっていき幸福からは遠ざかっている気がする。
個人、個人になれば、みんなが同じ考えなら協力していけていいけど、人それぞれ違う考えを持っている。
そんな中で個人に走れば周りとはぶつかり合って、奪い合いになってしまう。
自分を守るために誰にも心を開けなくなり、幸福からは遠く、遠くに離れてしまう気がする。

変化、鬼門は恐ろしいモノ。
得体の知れないものが出てきて飲み込まれるかもしれない。
でも、それは前提によって変わる。
自分の根本の考えはなんなのか?
個人、1人で生きているのか?
周りのたくさんの人、物に助け協力してもらいいきているのか?
前提で大きく変わると思う。
みなさんはどちらの前提なのでしょうか?

サポートありがとうございます。 よりお役に立てるように頑張ります。