螺旋
易経とタロットの共時性 23
易経は水風井→火水未済
タロットは死神→魔術師
易経の水風井は井戸のように人の役に立つ事もできるし、役に立たなければ枯れていくだけって意味。
火水未済は上にいく火が上に、下にいく水が下に、と離れて交わらないので未完成とか不完全となる。
63番目で完成して、64番目、最後やのに不完全、未完成で終わる。
完成して完璧になりレベルが上がると、上のレベルから見てみるとまだまだ改善の余地が見つかる。
それが63番目、64番目の完成したのに最後で未完成になる流れかなと。
レベルが上がり、改善できる点を改善していく新しい流れが始まる。
誤差100の範囲でしていた事を誤差10の範囲、より精密に、正確にしていく。
レベルが上がったからといってそれまでとは別の事をするわけじゃない。
より細かい差が分かるようになり、より細かく精密になるだけ。
同じ円をグルグル回るんじゃなくて、螺旋状をグルグルしてる。
回ってきたら一段上になってる。
人の役に立ってそこで終わったらダメですよー、みたいな?
うまくいってもいかなくても、一段上から見たらまだ改善の余地はある。
1つの事ができるようになると、そこそこ人の役に立てるようにはなる。
身につけたものの範囲内で役に立つ事ができる。
範囲外にはまだまだ未知の世界がある。
1つの事を身につけたけど、さらに応用とか深い事、レベル上の事を身につければ役に立てる範囲が広がる。
自分はまだまだと謙虚になり、上を目指していくのか?
そこで王様になり、どうだぁ!すごいだろ!!とふんぞり返って止まってしまうのか?
1つの事でも精密さ、正確さを追求していくと、全然違うものになっていく。
1つのサイクルが完成してレベルが上がるから改善点が見つかり、不完全、未完成になる。
そしてその改善点をなんとかしていく新しいレベルが上のサイクルが始まる。
井戸の水を役立てるのか?
放置して枯らしてしまうのか?
そこでふんぞり返ってしまうのか?
謙虚にまだまだと見つかった改善点に取り組んでいくのか?
タロットは死神→魔術師
死神は破壊と再生。
魔術師は始める。
もし、新しく変わりたいならば、今までの事は破壊して更地にしないと変われない。
今まで信念とか価値観が場をしめてたら、新しく変わろうとしても新しい信念とか価値観の入る余地がない。
古い習慣があれば、それに引っ張られてもとに戻ってしまうので変化できない。
新しく変わりたいならば、破壊して更地にして、新しいものが入る場所を作らないといけない。
易経と関連づけるならば、
1つの事ができたと思っても、しばらくしたら足らない所とか見つかる。
問題点が出てくる。
死神が出てくる。
壊されないように隠蔽するのか?
うまくいってる部分だけ見てそれで良しとしてしまう?
もう一度改め直すのか?
破壊して再生を始めるのか?
より良くするために破壊してより良くしてを再生するのか?
どちらも大変。
変わらないでおこうとするらなば、自分を正当化するために周りと戦うことになる。
変化を感じさせそうな事に反発、抵抗していく事になる。
自分を守るために、自分を保つために、それを脅かすものには抵抗していかないといけない。
変わるならば新しい挑戦、未知への挑戦になる。
守るのは知ってる所に居座るから安心。
変わるのは、自分の知らない未知の領域に踏み込んでいくので、どうなるのか分からなくて不安。
でも、進歩向上していける。
新たな発見とかワクワク。
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