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近況

 深い霧の中にいるような、手応えのない不安。若いということは、たくさんの可能性に許されながら、緩やかにそれらに絞めつけられるということでもあるんだ。日々は続いてゆく上に、ぼくの心臓はそれにやっとのことでついていっている。

 あたらしい服を買う。春だから、というあいまいな理由でベージュの明るい柄を手に取る。ぼくはその時淡く期待している。これを身体の外側に纏うことで、ぼくの前にある厚い空気の層を、なんとかすることはできないだろうかと。自分自身として、春のうっすらとした霧の中に自分を照らし出すことができるのではないかと。幻想はいつも美しい。

 大学の卒業式が明日にあって、四月には大学院へ。ライフ・ステージの変化が2-3年ごとにやってくるのは、新鮮な気持ちもあるが、忙しいことに変わりはない。教育学部を出て、文学部の院へ行くことにしたので、非常に前提として、勉強しなければならないことが多い。文学部で四年間みっちり学んできた人と肩を並べ、やっていかなくてはならない。高校の頃の運動会での、陸上部が多大なハンデを背負う部活動ごとのリレーを思い出した。ただ異なるのは、その状態でぼくが陸上部ではなく、走るのが得意でもないということだろうか。

 四月は最も残酷な月だ、とT.S.エリオットという作家が「荒地」という詩に残している。それはきっと、少なくとも僕にとって真実になるだろう。「新たな始まり」という紋切型で片せないような、何かに裏切られ、絶望するだろう。そのときに何に縋りつくだろうか。きっと悩み、自分としての在り方を変えることを逼られるだろう。変化に対応する熱量が、とても多く必要になってくるのだ。


もうすぐ四月。

お互い、がんばりましょう。