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うたたね読書論

 最近考えたことをつらつら書こう。ひとつは、悲しくも僕が本を読めなくなってきているということ。物理的な条件とか時間の制約とかではなくて、大学院に入学して二か月経とうとしているいま、学術的な研究の読書による、単なる「情報収集」として本を読んでしまう癖がついてしまったのに気がついた。

 ぼくが「読む」としているのは、やっぱり本から楽しみを得ることだとおもう。それは知識欲や好奇心が満たされた時の喜びとはまた種類が違う。夏の盛りの扇風機の首の音とか、かわいらしい猫の肉球とか、恋人と手を繋ぐときの温度とか、挙げるときりがないけれど、そういう生活の細部をありありと思い出させてくれるような、”よろこび”なんだとおもう。こういうの、皆さんにもありますか。

 つまり、一概に「読書」という行為にも、さまざまなレイヤー(層)があるように思う。わからない情報を探すだけのスキャニング作業も一応は読書だし、稼ぎをよくするために切実にビジネス書に答えを探すのも読書だし、ぼくがいったような快楽主義も読書だろう。

 一般的行為は―今回は「読書」をとりあげたけど―じぶんというレベルに落とし込むと”トクベツな”行為へ変わる。ちいさな行為のレベルから、じぶんにとってそれはどういう意味をもつ行為なのか、問い直しながら、ていねいに生きていきたいよね。おやすみなさい。zzz