#27 書評・"Miriam" by Truman Capote

 ぼくは、明るい物語を読むことができない。詳しく言えば、読んでいても面白いと感じても感動したりすることが少ない。暗いアンダートーンを含み、人間の非合理性や狂気、疎外や妄執を扱ったような作品に、よりリアリティを感じる。それは自分の内面が共感したがっているのかもしれない。たとえば家族での幸福や恋愛を扱ったような求心的ともいえる物語より、ディストピアやある種の狂気を扱ったような題材から遠心的に描かれる物語の方が、ぼくという主体が接近しやすいのだ。内向的な語り手のほうが、読みやすいと感じてしまうのだ。

 きょうはカポーティの「ミリアム」を読んで、色々なことを考えた。思考の詳細についてはまた書こうと思う。老婦人が美しい少女ミリアムに出会い、翻弄され、紊乱されるうちに、自らの孤独を痛切に思い知らされるような話である。カポーティは色々な形で「孤独」を切り取って物語にしている。そしてぼくを惹きつけるのは、直接的に孤独を描くのではなく、その周縁を描くことによって、孤独や隔絶を浮き彫りにするその巧みさだ。老婦人ミセス・ミラーにとってミリアムはその存在自体が、自らの絶対的な孤独を知らしめる、恐怖の外部装置なのだ。故に彼女を拒否し続け、対話しようとしない。ミリアムに向けたその拒絶が、彼女が忌み嫌う孤独に最も近いものだということを彼女は(おそらく)最後まで気づかない。

 『ティファニーで朝食を』のイメージが強いが、彼の作品はその限りではない暗く、内向的なテーマも多い。夢や幻想といったところで、人間の内面を描き、恐怖や不安や不合理・狂気という題材を扱いながら、幽かに紡がれる言葉たち。

 カポーティーを読むとき、ぼくの想像する世界はいつも曇天か、あるいは雨か雪が降っている。しずかに降りてくる孤独の冷たさが、よりいっそう肌に沁みるように思われるのだ。