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雜記

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思考以上言明未満のものたち
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#note書き初め

「何であれ構わない」性の超克

   抽象的で、かつ役に立たないことを書く。そうエクスキューズしなければ、ここから何も語れないだろうと思う。自分の内面があるとするならば、それは中東の荒野にある町のように乾いている。触れないが、よく見える。  閉塞したとき、停滞した時にわたしは書く。と思っていたが、閉塞と停滞とは突き詰めるとつまり、飽きることである。飽食の時代。気付けばサブスク、YouTubeの動画、安価なコンテンツで腹を膨らしたことへの怒りが湧く。    この前先生が、他人と同じコンテンツの消費の仕方をしな

記念の日

 ぼくは、こんなこと予想していなかった。  もともと飽きっぽいほうで、日記なんて三日坊主どころか、二日ももたなかった。習い事のピアノも習字もすぐにやめてしまった。生きること以外ほとんど何も続いていない僕が、noteというものを、一年間続けることができた。(投稿はけっこうまちまちだったりするけどね)  ピアノも習字も個人作業だった。練習して、先生に倣う。だけどnoteは、やっぱり少し違う。noteでは、ただ自由に書いたり書かなかったりして、書いたものに気のいい人たちが「スキ

#44 明滅する連続の中で

 あけまして、おめでとうございます。国道沿いの僕の部屋に、つかの間の静寂をくれた元日に感謝しながら、書いています。僕のアパートの前には居酒屋があって、平生は200人くらいの若者が騒いでいる気がするほどの騒音と熱気、国道の往来もひっきりなし、「喧噪を愛せ」という声を自分の中に立ちあがらせる日々でした。けれども、嗚呼、愛しき静寂=元日も、もう終わろうとしています。   僕はこれまで、何かにつけて新年を迎えるたび、心持を新たにしようと心掛けてきました。清新なリセットとして、除夜の

#0 抜錨の志

序 オンラインの世界って実はいつも明るくって、黎明の夜は来ないって、僕は信じてます。だから、こんにちは。  noteを初めて使って、文章を書いてみようと思います。自己紹介代わりの、これからこの無尽蔵の電子の海へ漕ぎ出す、一艘の帆船を送るような鮮やかな気持ちで。 「自分という色彩」のはなし 「永いこと家にこもっていると、多分旅行とかに行くよりずっと自分のことが分かるようになるんじゃないか」というようなことを、最近耳にした。たしかに、家にいると物理的に鏡を見る回数も多くなるし