死ぬということは軽々しく口にされ、受け止めるには重く苦しい絶対的なもの

生きる上で決して切り離せないのが『死』だ。

死は絶対。
生きてる限り必ず来る。
逃れられない。
この世界がフィクションで魔法でも使えない限り。

ただその絶対的なものに対し、人は軽視しがちだ。
何か有ればすぐ死ぬと口にする。
苦しい事があれば死にたいと言う。
失恋でもしようものならこの世の終わりのように死にたいと泣き叫ぶ。

では実際それで人が死ぬだろうか?
恐らくその程度で人は死なない。
次の日にはケロッとその事を忘れ、多少引き摺りながらもまた日常を暮らしている。



私も例外ではない。

私の場合、孤独を感じると死にたくなる。
具体的には『誰にも相手にされてない』と感じたときだ。
家族も居る。友達も居る。オンライン上で仲良くしてる人も居る。Lineを開けば繋がってる人も多くはないが少なくもない。
それだけ居ても寂しさを感じたとき、連絡を取れる心を寄せられる人が一人も居ない私は堪らず孤独を感じる。贅沢者なのだ。

決まって夜、その感情は引き摺りだされる。
その寂しさは堪らない。頭が痛くなり、夜が怖くなり、目の前の情報が頭に入ってこなくなる。
この感情は何度体験しても冷たく苦しく重たい。逃げたくなる。

その度に決まって「あぁ、今なら死ねる」と馬鹿げた事を思うのだ。

死ぬ気なんてさらさら無いのに。
自殺する気も度胸も勇気も感情もないのに。
軽々しくそんな事を思っている。


じゃあ実際病気になって明日死ぬかもしれないとなったらどうなるろう。
喜ぶだろうか?
きっと絶望と悲しさで呆然とするだろう。


そう、人は本当に死ぬと思ったとき、そんな考えを微塵もあるはずはなく、ただただ悲しくなるのだ。辛くなるのだ。その事実を恨めしく思うのだ。
(過去に病気をした時闘病するかもしれないと言われた時、この世の終わりと思うほど落ち込んだことがあるから)


死にたいと口にする人ほど死ぬ事を恐れるのだ。



馬鹿げた感情だ。
明日死ぬかもしれないのだから喜べば良い。
死にたいと口にするほど嫌な事があるのだから。

だけどそうじゃない。
みんな本当は死にたくないのだ。
死にたくないのだ。


『死にたいとは、逃げ出したい』

だけなのだ。



今生きてるのも精一杯の人に対し、近しい人が変わりたいと願うのに対し、無関係の人間が心からそんなこと願わないのと同じ。
誰も死にたくない。
死んで自分じゃなくなるのが、居なくなるのが怖い。

やること無いから死んでも良いと口にする人はぜひ壮絶な今の医療現場を目の当たりにしてみて欲しい。
それを見ても同じ事を口に出来るだろうか。


死は絶対。
逃れる事は出来ない。
今すぐは訪れないが、いつか来る存在。

それに甘んじて口にしない事をお勧めする。
死にたいなんて口にするものじゃない。
いつか必ずその言葉に後悔する日が訪れるから。

死にたいと思うなら、それ以上に今を精一杯生きてみて欲しい。
生は死ぬ事以上に大変で、価値を未来を存在を与えてくれるから。

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