協調性の無さをあきらめる
改めて客観的に「あぁ、私には協調性がないのだな」と思う。
自分から見て協調性がないと思う人に、協調性がないと言われると、やけに心に響く。
いやまぁ別に、面と向かって「あなたは協調性がない」と言われたわけではないのだけれど。「私、チームで働くの苦手だし」というようなことを言ったら、「まぁそうですね」と実感がこもった感じで返ってきた。
ちょっとムッときてしまう。けど、久しぶりに心が揺れた瞬間だったな。図星だから揺れるんだ。自分から言い出したことだしな。
そのことをしばらく反芻する。
たぶん、その人は別に、思ったことを言っただけだ。そして、それは客観的な事実だと思う。
いやいや、その人自身も協調性ない方の人間やからね!もしかしたら、後で、正直に言ってしまった!と思ってたかもしれない。そういうことにして溜飲を下げる。
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問題は、自分がまだ「協調性がある」人間になりたいと思っていることだ。
いえ、社会生活を送るには必要なことなんですけどね。
でも、ベースとして自分は「協調性がない」人間であって、普段、努力して人の中に入っていってるということを忘れてはいけないと思う。めっちゃ頑張って協調性のあるフリをしている。
一生懸命、あるフリをしてるのに、まわりに協調性がない認定をされているのは残念だけど、しょうがない。
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最近、「協調性がある」人間というのは、もともと協調性が備わっているものなんだと気が付いた。
特に、女子。スタート地点が「まわりと一緒でないと、怖い。ひとりでは、できない。」なんだということを知った。「一緒がいい!」らしい。
自分は「一人の方が楽」がスタート地点。なんやったら「人と違うことをしたい」まで入ってくる。どちらかというと「一緒でなければならない」が後付けで装備される。
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植物のDNAを紐解くことで、遥か太古の昔、ヒトは台湾を玄関口として、ユーラシア大陸から東南アジアの島々、そして太平洋の島々に移動していったということが明らかになっているらしい。
みんなで一緒に過ごしていたら、安全で安心なのに、なぜ、あえて危険を冒して新しい土地を求め、冒険に出るのか。というのが職場で話題にのぼった。
小さいボートに乗って、まだ見ぬ新しい島を求めて海に出る。
安全のため秩序を守ることを強いられ、嫌になって飛び出していくのかもしれない。単純にみんなと一緒にいるのに飽きたのかもしれない。まだ見ぬ土地に想いを馳せて、ワクワクしてしまったのかもしれない。
私のような人間が、冒険に出たのかもしれない。
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いい加減、協調性がない自分をあきらめる時が来ているみたい。
しょうがないやん。協調性が備わっていないんだもの。
協調性があるフリはもうやめて、協調性がないなりに、人と人の間で生きる術を身に付けよう。協調性がないのに、あるフリをするから苦しいんだ。
まずは開き直るところからだ。
その上で、秩序を乱して、心を乱してすんません。でも、人に害を与えるつもりはないんです、というところをアピールできたらいいのかもしれない。
いや、協調性がない人間だからこそできる何かを大切にする方向がいいな。その方が前向きかな。
前向きにあきらめられるといいな。
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