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ガラスの向こうに

いろいろ自分が怖がっているもの、そのせいで何か自由に感じられずにいるような、ガラスの天井のようなもの、そういうのを外していってるのかもしれない。

まだしばらく、変(だけど、これが自分だ!)な話をしていたい。


ガラスの天井

ふと、思い出したことがある。

高校生の時に、何かビジョンを見た。
塾で友だちとしゃべっていたとき。

なんか大学に入ってからの日常のワンシーンみたいなものが浮かんできた。白昼夢のような。映像が見えた。

大学のカフェみたいなところで、その友だちに誰かを紹介された。その子の好きな相手かな、と思う人。当時はもっと詳細に覚えてたと思う。

こんな状況でこんな人を紹介されたわ、って言ったら、ものすごくビックリされて。ドン引きで。

その後、ことある度に、いやー!あれは急だったし本当にビックリの発言だったわ、と何回も言われた。言葉にはなってなかったけど、ちょっと気持ち悪い、と思われたような気がした。

数少ない友だちと言える相手だったのに。
だから、なんか見えたとか、そういうことは言ってはいけないんだ、と学習した。

ガラス瓶の中のノミ

ガラス瓶に入れられたノミが、瓶の中でビョンビョン跳ねる。

最初はおもいっきり跳ねて、見えない壁に当たりまくる。そのうち、だんだん、どこまで跳んだら壁にぶつかるかを学習する。

壁にぶつからないよう跳ぶようになったノミを、ガラス瓶から出しても、ガラス瓶の大きさまでしか跳びはねられなくなっているらしい。

自分が跳べる範囲はここまでだ、と学習してしまうらしい。

さて、そんなノミが、もっと自由に跳ねられるようになるには、どうしたらよいでしょうか?

正解は、ガラスの壁を学習していない、自由なノミと一緒にする、でした。

仲間が自由に跳びはねてるのを知って、自分も自由に跳べることを思い出すのかもしれない。

ということを書いておいてなんだけど、これ、嘘というか寓話なんですってね。出典を調べようと思ったら、どこにも元ネタがない!というのを見つけてしまった。

以前、人から聞いて、いい話だ~と思ったのに。

ま、でも、面白いからいいか、とも思う。私の心はわくっと動いた。それに、なんか例え話としては、わかりやすい。

ガラス瓶の外の私

最近の私は、ガラス瓶の外に出たのかもしれない。でもまだ、これまで学習して身に染みてしまったガラスの壁や天井を、本当の意味では外せていないのだと思う。

一度、おもいっきり跳ねてみたいんだと思う。それは思う。そのためには、一緒に跳ねる仲間がいるといいのかもしれない。

ふむぅ、仲間探しな。わりと、ハードル高いけど。

でももしかしたら、もう既に、まわりにいろんな人がいるのかもしれない。仲間と呼べる人が。

それもまた、あると思い込んでる壁の向こう側に、見つけられるのかもしれない。

なんか、そういう予感。

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