心配する・される
15年以上の時を経て、車を運転することになった。この2週間で、週末に買い物に行くのに何回か運転した。
いよいよ、職場まで車で通勤しようとしているところ。
車に乗ることにしてから、いろんな人に心配される。
今日も、職場で車の入門証をもらうのに、「え!めっちゃ心配!」って言われた。他の人からも、めっちゃ気持ちをこめて「本当に気を付けて来てくださいね」と言われた。もうホント心の底からの心配を受け取った。
もう!みんな心配ばっかりして!!
夫も私のことを心配している。自宅で駐車するとき、家のドアの前で仁王立ちして見守る。そろそろーっと、めっちゃ良い感じに直角にバックで駐車してるときに、右側であたりそう!と止めようとしてくる。
いやいやいや、心配されると、めっちゃ不安になりますやん!
ちゃんと右側が当たらないのを見ながら駐車してるし!
今日も心配されたわ!とプンプンしてしまう。
ペーパードライバー教習を受けて、若い時に5年ほど運転してるから、わりと乗れますね、とお墨付きをいただいた。教習の途中から、先生が世間話を持ちかける。いや、まだそこまでの余裕はないですけどね。
もともと軽トラを乗り回していたので、変な癖があったり。田舎道のこまかい動きは慣れてるけど、片側2車線、3車線の大きな道路はドキドキする。
わりと普通に乗れるもん!私できるもん!心配するなんて失礼ね!!
*
でも、ふと、あ、これ子どもたちの反応と一緒か!と気が付いた。
例えば、自転車で一緒にでかけるとき。例えば、子どもが包丁で野菜を切っているとき。
あ!危ない!心配!!!!と思ってしまう。
で、あっっ!とか、そこ危ないから!とか、今の危なかった!!とか。言っちゃってる。
できるだけ、余計なことは言いたくない気持ちもあるから、最近は、遠くから薄目で見てるようにしてる。だって、心配だもの!近くで見てたら心配し過ぎちゃうもの!
*
そうか。
「心配されてる=私はできないと思われている」と私は思っていた。だから、プンプンしちゃう。
たしかに私ぼーっとしてることがあるし、不器用なところあるし。運転下手やんって言われてるような気持ちがしていた。
でも、「心配してる=ケガしないでほしい。事故にあわないでほしい」と思ってるわ。
そのまま、まるっと自分と子どもを入れ替えて考えよう。そしたら、まぁ。なんということでしょう!心配してくれた皆さん、どうもありがとう!!と思えるようになった。
プンプン怒ってたけど、くるんっと見え方が変わった。
*
うんうん。よし。できるだけ、子どもに心配してるところは見せないようにしよう。私が感じたのと同じように、「できない認定」されているように感じるんだわ。
長女にそのことを言ったら、
「そうやで。できるのに、できないって言われてるように感じるで。」
と優しく言われた。
「でもまぁ、心配する側の気持ちもわかるけどな。」
へい。頑張ります。心配だけど、心配してるのを見せすぎないように。
*
心配されることに腹を立ててたはずなのに、心配してしまうことを反省することになりました。
心配する側・される側の心持ちに思いを馳せた日でした。どっちも尊い!ということで。
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