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揺り戻し

また揺り戻しに逢っている。

目の前に、完ぺき主義で頑張りすぎて、能力が低い人・頑張れない人認定した相手に悪意をむき出しにする人たちが現れる。その悪意を目にする度に、心がぎゅっと縮む思いがする。今日のたった数時間だけで、何回心が締め付けられたことか。すごくエネルギーを吸い取られた。

ただ、以前の私だったら、そのまま抑うつモードに突入していたところですが、少し心の土台がしっかりしてきているためか、落ち込みすぎないで済んでいる。

決して自分がののしられたわけではないのに、自分がことごとくダメージを受けてしまう。人の分を受け取ってしまってる。そのことをはっきりと自分に言い聞かせる。

そして、その悪意を受け取るかどうかは、言われた人次第だし、悪意をむき出しにする人が例え自分にその悪意を向けていたとしても、自分は受け取らなければいい。そうやって自分に軸を戻す。放った悪意は受け取られずに返っていくんだから。

また慈悲の瞑想

やっぱり今日も慈悲の瞑想が、他の人のところへ行ってしまいがちな私の心を自分のところに戻してくれる。

まずは自分の幸せを感じられるまで、自分の幸せや健康を祈ったり、白い光に包まれてみたり、夢や願いがかなうように唱える。今日は「~なりますように」だと足りなくて、「私は幸せです。ありがとうございます」「私は健康です。ありがとうございます」と言い切る形で、心が落ち着くまで唱えてみた。

繰り返すうちに自分が満たされてくる。それから家族のことを祈る。顔を思い浮かべたり、心を届けてみたりする。それから、生きとし生けるものの幸せを祈る。

そして、自分が嫌いな人、自分を嫌いな人にも祈りを広げることで、かなり落ち着きを取り戻したと思う。嫌いな人については、最初はいろんな顔が浮かんで、嫌~な気持ちも現れるけど、祈る言葉を繰り返しているうちに、顔が浮かんでこなくなって、さらに、自分からその嫌な感情がふっと切り離されるのを感じる。

祈りは言葉だけでもいい、というのを知ってから、ハードルが下がったように思う。嫌いな人の幸せを心から祈るというよりは、とにかく言葉として、私が嫌いな人たちが幸せになりますように、私のことを嫌いな人たちが幸せになりますように、と唱える。繰り返すうちに、嫌いな人たちのことまで祈れるって素晴らしい!みたいな良い気持ちが現れてくるように思う。

揺り戻しは良い傾向

揺り戻しは本当に自分がそこから抜け出せるか、お試しを受けているということらしい。すごく嫌な感情をまた味わってしまって、エネルギーもごそっと奪われるけど、これを乗り切ったら、また少し、体と頭が軽くなるのかもしれない。

いやーしんどいですけどね。

でも、ここに、揺り戻しなので良い傾向!と言い切ってみると、良いことが起きている気にもなるから不思議。少し元気が出た。

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