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LINEがこわい 2022年5月15日


割と大事なグループLINE(4つ)を一週間くらい放置していて、かなりまずい。やり取りを進めること自体への恐怖心が、手を付けないうちに膨らんでいる。何か返したらまた返ってくる。会話のキャッチボールに触れたくない。そんな風に思い始めたが最後、未読の数がどえらいことになってしまった。最初は何てこと無かったのに、もう怖くて仕方ない。このnoteを書いたら流石に返そうと思う。「LINE返信」という一つの予定として、スケジュールにも書き入れた。えらすぎる。


タスク達成のためにしている工夫の一つに、「すごく小さな予定でも、かまわずスケジュール帳に書く」というのがある。LINEを返すとか、賞味期限の迫ったお菓子を食べるとか、どんなに些細な事でも、忘れたくないと思うことなら「一つのタスク」として管理する。字面ほどの面倒さも無いし、何より他の難しい予定と並べて扱うことで、手軽に「してやったり」という感じを味わえる。


今月のスケジュール帳には「○○ちゃんに、△△に行かないかとLINEする」「モナカ食べる」と書いてあった。

「○○と△△に行く」ではなく、この日は「行くという連絡をする」だけ。書かないと上手くできないからだ。人を誘うのって難しいと思う。「今忙しかったらどうしよう」とか「この間遊んだばっかだし、時間空けた方が良いかな?(このスパンで色々誘っても負担の無い間柄と思ってもらえてる……?)」とか、色々考えてしまう。そういえば後輩とご飯に行こうと約束してから、2年経ってしまった。こういうのって先輩から誘わないとだよね。楽しみなのにな。なんで誘う前ってこんなに大変に感じるの……?


そんな自分は、友達から何かに誘われると毎回心の底から喜んでいる。遊びの内容云々に関係なく、まず誘われることによって、相手が自分に対してプラスの印象を持ってくれているということが分かるから、すごく安心する。「遊びに誘う」と言う行為は、確実に好意が含まれるという意味ですごく分かりやすい。だから苦手だけど好きだ。誰であっても何であっても、友達に声をかけてもらって遊べるということは、それだけで純粋に楽しい。そう思える自分は幸せだなと思う。


どうでも良いけど、さっきモナカって打ったら「揉仲」って出てきたんですがどういう意味ですか。仲の良い人が揉めるってことですか。

→そんな言葉は無かった。




LINEが怖くなってしまったのは昨年の12月くらいからで、日に日にエスカレートして、今は少しでも溜めると既読すら付けられなくなってしまった。気が付けばアプリを開くこと自体が億劫になっていた。

理由は色々ある。



一番の原因は、慢性的な精神面の疲れだと思う。昨年の1月から今年の3月にかけて色々と不慣れなことをして、それによる精神面への反動が今日まで3ヶ月くらい続いてる。今は比較的マシになったけれど、これは多分波みたいなものなので侮ってはいけない。光らない紙媒体を読んでテキトーに過ごした方がいい。

LINEに直接関係することで言えば、昨年度にずっと事務連絡的な手段として用いていた側面が大きかったこともある。リーダーっぽい役割を担いながら毎日複数のグループを動かしていて、30分に一度くらいアプリを立ち上げて既読をつけるようにしていた。母親にすら「令和より平安の方が向いてるかもね」と言われるほどのアナログ人間な自分がだ。気が付かないうちに結構無理をしていたのかもしれない。



家族や友達の遊びの誘いは受け取れる状態だし、それはむしろ心の安寧を保ってくれるものだと思う。だからLINEの全てが無理というわけでは無いのだけれど、LINEのシステム上、友達とのくだらない会話と、先輩、後輩、同期との仕事の連絡話が、全て並んだ状態で目に入ってくる。動かせるLINEを選ぶだけでも他の会話が目に入ってくる。


自分がLINEを苦手だと感じるそもそもの理由はこれだ。トーク画面の一覧を見ていると、全く関係無い人の目や口が仲良くずらりと並んでいる気がして怖い。そんな感じ、しませんか?


最初は返信できるものを選んで返していたけれど、やりながら「選ぶ余裕はあるのかよ」という罪悪感を静かに感じるようになった。それすらできなくなった今はもうアプリごと目のつかない3ページ目くらいに追いやってしまった。かなり静かになった。通知は高校2年生の期末試験の時以来切ったままだ。返信待ちの人からしたら、たまったもんじゃないだろう。



正直、こんなに参るとは思わなかった。それでも毎日は元気にやってくるので、立ち直らなければならない。何とかして立ち直らないと。疑いようの無い現実が諦めを与えてくれると同時に、余計に心を抉る。


悶々とするせいで、寝るのも2時や3時になっている。翌日が休日だと早めに眠れるのだけれど、次の日が平日だと、いつまでも起きてしまう。「明日は予定があるから早く寝よう」とか計画的に出来る人はえらい。自分なら「寝たら明日が来ちゃうだろ」と思って明日の忙しさと睡眠時間が反比例してしまう。ちゃんと眠いのに。



自分からアクションをしない限り何も無い春休み中は、今思えば特に大変だった。自分にしては珍しく、誰かと一緒にいないとどんどん暗くなっていってしまったので、友達をひたすら誘ったり海や水族館に足を運んだりした。誤魔化した。ほんとに楽しかった。持つべきものは友だと思った。みんな大好きな人たち。

あと、授業が始まってかなり救われた。授業を受けているうちは、何もかもを忘れられる。ガリ勉みたいでかっこいい。でも本当にそうだった。


昨年から今年の授業が始まる前までは、ずっとリーダーシップをとったり感情を表に出したりする機会が多く、特に春休み後半には初めて抱く感情も沢山あって、充実以上に辛かった。何度泣いたか分からない。一人でいるだけで、夜になるだけで涙が出てきた。追い詰めすぎて一時期は最早全てを終わらせてしまおうかとも思ったけれど、普通に勇気が出なくて何も出来なかった。かろうじて辞めたことといえばTwitterくらいで、そのTwitterですら最近またぼちぼち再開している。これではただの2ヶ月Twitterを見なかった人だ。自分は何も変わっちゃいない。変われなかった。でも変わらずに済んだ。


急に何?という話↓


褒められたもんじゃないけれど、「取り返しのつかないこと」をした人の勇気は本当に凄い。

狂っている状態に勇気も何も無いかもしれないけれど、それでも凄い。

自分は人の目に映るよりも結構臆病で、あまり良くない意味で勇気があればと思うことはあっても、だからって取り返しのつかないこと(何かは察してください)の実行になんて、絶対至れない。あったらあったで残酷なことをしている気がするので、今はありのままの自分の臆病さに感謝している。世界には勇気の無さだけが繋ぎ止めている命って、たくさんあるんだろうなと思う。


ずっとずっと暗いので本当に良くないよ。とにかくこの「もうどうにでもなれ」「世の中全ておかゆになってしまえ」という心持ちを治したほうがいい。まずはちゃんと寝られるように、日が昇るまでYouTubeを見て、その後気絶するように2時間寝るというこの終わってる生活をどうにかしようと思う。ショートスリーパーなんてかっこいいものでも無いので、普通に日常に支障を来してる。眠いです。

ねます。

おやすみなさい。


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