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これからどうなるんだろうね 2022年9月9日

本当は何にもなりたくないけれど、そういう我儘は世の中が許してくれない。お金が無くても大丈夫な生活が出来るなら、心からそうしたい。でも何かを食べないと死んじゃうし、お金が無いと、いざという時に大切な人を助けられない。


大学三年生の秋を前に、間近に迫った将来のことに思いを馳せて「人間とはなぜ働くのか……」とか何とか、色々考えてぼーっとしていた。夏休みのおかげでダラダラしても課題が溜まらないので、自由気ままにこういうことを考察できる。他では味わえない、時間が止まったような時間。大学の夏休みって貴重だなと思う。


本当は、興味のある職種や就活の書類の書き方なんかを考えた方が良いんだろうけど、考える頭すら鈍ってきたので、考察と言いつつもだいぶ空想寄りだ。どんなに真面目に考え始めても、結局最後は雲の上の働かなくていいランドを建設してしまう。こういう時に私が描く桃源郷は、昔読んだ『かいけつゾロリのてんごくとじごく』の影響がかなり強い。

ゾロリって文字、久しぶりに見た。なつかしい。漫画地獄なら痛くないから耐えられそうかな、とか、色々考えたなあ。


「仕事のこと、いい加減調べないとな」と思い始めて、「私って、何になれるんだろう」と立ち止まって、上のような空想に耽って、それで満足して、おしまい。満足してしまうし、同時に働く自分が想像出来ないから、何にもなれる気がしない。だから仕事のことは結局なんにも分かっていないまま。これからどうなるんだろうと、何となくぼんやりと、ずーっと思っていた。


なれるかどうかを無視すれば、「やってみたい」と思う仕事はいくつかある。


そのうちの一つが、絵本作家だ。


なんでこんなことを急に書いたかというと、最近、初めて、ちょっとだけ、それになれるかもしれない、と思える出来事があったからだ。


ーー教育学を学び始めた私の、三回目の春学期。学校の授業は少し忙しくなっていて、内容も重ためで、最後のテスト期間開けの頃にはもう、干乾びた抜け殻のようになっていた。

小さい頃からお絵描きが好きだった私は、美術系の学校への進学を鼻から諦めたことが、何となくいつまでも引っかかっていて、それにこの授業の忙しさが相まって、「なんか、なんで、教育なんかやってるんだろうな~」と思ったりした。

思いとは裏腹に、頑張れば頑張るほど周りは評価してくれた。だから三年間、順調にどんどんお絵描きから逸れていった。頑張れば頑張るほど、夢から遠ざかっているような気がした。


『一番好きなことは趣味にとどめて。向いていることを仕事にしよう。そうしないと、嫌いになってしまうからね』


そんな言葉を聞いたことがある。なるほど、確かにと納得した時期もあった。何ならこの精神を根拠にするつもりで、教育系の大学を選んだ。

でもこれももう、言い訳にしか聞こえない。だって誰がどう考えたって、好きなことで生きていけるのが一番幸せなはずなのに。私はきっと、好きなことを仕事にする勇気が無いから、結局何にも挑戦しないで逃げている。実力を磨かないどころか、自分がどのくらいの実力なのかも知らないで。


判断が早い、もしくは甘いかもしれないけれど、私は多分、「教育」に向いている人間だった。たまたま、偶然、向いていた。「いつ嫌になるかな」と思いながら取り組んでいた授業も実習も、全然嫌にならなかった。むしろもっと子どものことが好きになった。顔の真正面にものすごい勢いでサッカーボールを当てられながら、「天職かも」なんて思っていた。


元々「子どもに関する知識」だけ泥棒して、一般企業に就職する気でいた。だから教育現場とはこの四年間でサヨナラだと思っていたけれど、先生たちがあまりにも色々教えてくれるから、それを十分に生かせないことが惜しいと思うようになってしまったのだ。なってしまったというか……「先生の思惑通り」みたいな、「まんまとひっかかりおって。我が教育現場へようこそ、ふっふっふ……」みたいな、その捻りの無さがむかつくだけで、本当はそこまで卑屈にならなくてもいい。しつこいようだけど、子どもは好きだから。


考えていた将来像の一つに「おもちゃを作る会社で働く」というのがあった。理由は単純で、これも、子どもとおもちゃが好きだから。もしそうなったら、就活では「私は大学で学んだ教育関係の知識を生かした、知育玩具の提案が出来ます」とか何とか言って、いい感じに面接を突破しようと考えていた。こういうザツで不確かな妄想をしながら楽しんでいた毎日は、同時に実現する気も全くしなくて、ずっとふわふわとしたままだった。思い描くには、あまりにも曖昧すぎた。


加えて、これも今思えば全く意味が分からないけれど……偶然SNSで見た「メイプル超合金のカズレーザーが、芸人になる前にバンダイの面接を受けた」という情報に踊らされたりもした。なんでかこれを変な風に解釈してしまい、

「カズレーザーがバンダイを受けた」⇒「今、カズレーザーは芸人をやっている」=「落ちたから今芸人になっているのかも(曲解)」⇒「カズレーザーさえ落ちる玩具企業」⇒「無理すぎ」

という謎思考に。それで勝手に就職のことが不安になった時期もある。ちなみにカズレーザーさんがバンダイに落ちたなんて誰も言っていない。


こんなガバガバでホワホワな思考しかできないなら、大学で学んできたことの延長にある教育現場に行った方がまだ役に立てるんじゃないか。面接でもきっと、「知恵育ちそうなオモチャ作りまーす」より、

「私は発達障害のある子どもに関する調査と図画工作科の授業と評価が児童の思考力に与える影響について研究しておりました。そこでの学びを生かし、配慮の必要な子たちへの適切な学習・生活へのサポートについて考え続け、チーム支援及びインクルーシブ教育の推進に尽力いたします」

とか何とか、

ちょっと長めに、深そうなことを言った方がいいんじゃないか。よく分かんないけど、少しは賢く見えるんじゃないか。その方が受け入れてもらえるような気がした。

今日まで教育漬けになりながら、現場の人が気に入ってくれそうな、見栄えの良い意見を沢山作ってきた。おかげで面接も、教員採用面接の方が、一般企業のものよりも自信を持って挑めそうな気がする。これまでの積み重ねを大切にするために、先生になろうかなと思い始めた。




でも私は、絵が好きなんだ。





何度も忘れそうになった。

でも思い出せなくなることも、一度も無かった。

ずっと学校のことばっかりで、思うように絵が描けなかったけれど、頑張ってもっと沢山描けば、いつか色んな人に受け入れてもらえるかもしれないと思って、ずっとずっと忘れられなかった。どんなに関係の無いテストを受けてもレポートを書いても、ノートの端には、中学生の頃から考えていたキャラクターの絵。想像するのは、好きな絵を描いて、それがお金になって、楽しく暮らす毎日。

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帽子をかぶった、小さい子。帽子をかぶった、長身の子。帽子をかぶった、テレビの形の子。この頃から、やたら帽子が好きだったな。人が描けなかったから、最初は人間のキャラが一つもいなかったな。そんなことをふわっと思い出す。なつかしい。


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自分のキャラクターの原案みたいなもの。所々に書いてある日付。2017年9月27日。自分が人生で初めて、このキャラクターを描いた日だ。

絵を描いていると「あ、今日は、覚えておいた方が良い日かも」と思うことがたまにある。そういう時の絵には、こんな風に端っこに日付を書く。手帳にも書く。するとカレンダーが記念日でいっぱいになる。日付が分かっている方が、何となくだけど、その時のことを少しだけはっきりと思い出せる気がするから、ずっと続けている習慣だ。

この習慣のおかげで、今でも9月が近づくと思い出す。27日のこと。2017年9月27日に生まれたキャラクターで、何か作品を作ることを目指して、今も色んなものを書いたり、描いたりしている。なかなか進まないなーとは思っていたけれど、気が付いたら五年も経っていたなんて。五年分のこんな紙が、部屋中に溢れている。



私が一番怖かったのは、絵を嫌いになることだった。

こんなにたくさん描いてこられたのは、世界中のたくさんの人にとって、絵というものが「どうでもいい事」だったからだと思う。

それは昔の自分が、年々美術や音楽のコマが減り、数学や英語で埋まっていく学校の時間割を眺めながら、心の中で理解したことだった。


私の好きな事って、学校ではどうでもいいことばっかりなんだな〜。

でも、だから、好きなんだろうな〜。


描いても描かなくても、どうでもいいよ。

そんな風に言ってもらえる世界だから、私は絵を描くのが好きなんだと思う。

どうしようもなく絵が好きだ。どうでもいいと言われてしまう、そんないじめられっ子のようなところも含めて。絵の全部が大好きだ。


だから、もしそれが嫌いになったら本当にどうしようと思った。


美術の学校に入って、国語や数学の勉強みたいに強制されたら。やがて仕事になって、お金になったら。一番好きなことでご飯が食べられる代わりに、今よりも嫌になってしまうかもしれない。

夢ではあるけれど、夢にしか出来なかったのは、絵を好きなままでいたかったからだった。

きっとそうだ。

だからとりあえず、大学では、絵とあんまり関係のないことを学ぶことにしよう。それで自由に描き続けて、いつまでも絵が好きでいられるようにしよう。

そうやって言い聞かせながら、教育を選んだ。

んだと、思う。多分。


今思えば、全部言い訳だ。


――八月。また毎年通り、五年前のあれを描いた日を思い出しながら、ぼーっと将来のことを考えながら、携帯を見ていたある日。ふと、絵本のことを教えてもらえるワークショップの募集があったことも、一緒に思い出した。

そのワークショップは、一年間を通して行われる絵本作家志望の人のための場所。年齢・経験を問わずに、絵本作家を目指す色んな人たちと一緒に作品の作り方をお互い話し合いながら模索できるという、私の理想の将来のためにはうってつけの場所で、中学生の頃からそういう場所があることは知っていた。

応募には、作品の提出が必要だった。主催者の方々に作品を見ていただいて、ワークショップに行っても良いか、今回は見送りか……のどっちかになる。

本当は春学期中に応募するつもりだったけれど、忙しかったのと、ちょっと落ち込むことが多かった時期だったのとで、締め切りの日を完全に忘れて、作品も作れずスルーしてしまっていた。

だから次の募集では必ずと、思っていた。なのにまたすっかり忘れているところだったから、9月27日を記念日にしていたおかげで思い出せて、本当にラッキーだった。


秋学期も春学期とほとんど変わらず忙しい。


でも、また逃げるの?


結局お絵描き好きとか言っときながら、強制されなきゃ大して描かない。美大の友達の上手すぎる絵を見ながら、自分との差に耐えられなくて素直に褒められないのにも、もう耐えられない。カズレーザーの話を曲解したのも、本当は、全部、分かってた。就活から逃げたかっただけ。私が教育をやっている間に、みんなどんどん成長してる。不確かな道なんて言われながら、そんな周りを蹴散らすくらい、みんな凄まじい作品を使っている。ずっとそれが憧れだ。憧れのままだ。そんな風になりたい。ワークショップに通って、強制されてでも、絵にのめり込んでみたい。嫌いになるかもとか、そんな心配、もうどうでもいい。


「(よし、束縛されに行こう)」


いてもたってもいられなくなって、心の中でドMみたいな宣言をしながら、大学一年生の頃に作った絵本のラフを引っ張り出してきた。


だいぶ締め切り日が迫っていたから、新しくお話を作るのは諦めて、元々作っていた絵本を作り直して提出することにした。

リメイクしようとした作品は、三十ページの絵本。自分では、面白く出来た!と思っていたけれど、他の絵本コンテストでは一次審査すら通らず、昔通っていた絵の教室の先生からは酷評をもらっていた。でも仕上がっているのはそれしか無かったし、最近納得のいく絵が全く描けていなかったし、とにかくそれしか無かった。それに何より、自分では面白いと思っていた作品だった。


だから、頑張って直した。


提出した。


結果。


一通の手紙。


「いいですよ」、だった。


あなた、ワークショップ。来てもいいですよ、の返事だった。


直ぐに返事のメールを書いた。

「ありがとうございます。本当にありがとうございます。是非参加させてください」


それが、先週のこと。




誰か一人でもいいから、勘違いでもいいから、


狭き門。

食べていけない。

稼げない。

好きなだけでは、つとまらない。

それに負けていた、自分の背中を押して欲しかった。


本当は、何にもなりたくない。何にもなりきりたくない。何でもない、よく分からない人のままでいたい。でも自分は人間だから、世の中が許してくれない。食べないと死んじゃうし、お金が無いと、大切な人を助けられない。

働かないと、人間はダメなのだ。


それでも良かった。


食べ物が無くて干からびても、大切な人が困っていても、

素敵な作品が出来るなら、きっと私はそっちを選んでしまう。

絵が好きすぎるから、そんな薄情者にだって簡単になれる。

だからこそ、きっと、そうならないように、教育を選んだ。

自分が興味を持てるものは、いつだってお金にならない。

そんな不確かな道に行くくらいなら、小学校、中学校、高校と、これまで学んできたことの延長にある、教育現場に行った方が、まだ役に立てるんじゃないか。色んな人のためになるんじゃないか。だって私の好きなことは、どうでもいいことばっかりだから。

そんなのも全部全部、きっと、言い訳だった。これからどうなるのか、どんなに考えても分からない。不安だから吐いただけの。全部、言い訳だった。



絵本作家。


あのキャラクターの、9月27日と書かれたあの紙の記憶。

「いいですよ」の手紙。

教育の大学のおかげで保てた、まだお絵描きが大好きな自分。

私の絵を好きと言ってくれる友達。


全部、全部が繋がって、

最近、ちょっとだけ、それになれるかもしれないと、初めて少しだけ、そう思えた。

























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