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フーテン病日記 名古屋編

「今しかない」

そんな極論を振りかざして生きているのが好き。

-----30歳 男性 派遣社員


単純に自分が最近思ってることを文字にしたのだけれどおそらく、大多数の人にめちゃくちゃ語弊を産む表現だと思う。


もう一つのキーワード。


「突き詰める。」


これに関しては自分のことをある程度知ってる人からしたら、「お前の口からそれを言うか」と文句が飛んでくることは容易に想像がつく。


その誤解を埋めるだけの表現力と、それに伴う行動はまだ済んでいない。



4月頭からGWの終わりまで、ニーハンのカタナで旅をしていた。

2月後半に一旦、地元の横浜にとある理由で2週間くらい滞在する用事が出来たので福岡から飛行機に乗って戻った。

3月の頭にはフェリーに単車を乗せて福岡に帰るような予定を何となく立てていた。

地元に戻った時点でギリギリのお金しか持ってなかったことから転じ、好意で仕事をいただいて3月末までバイトさせてもらった。

暖かくなってきていたことと、名古屋に住んでいるSaNyさんという先輩に会って遊びたかったことがきっかけで陸路で横浜から北九州に愛車のサクラと一緒に戻ることに決めた。(俺は物に名前を付ける癖がある)

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3月31日の夜、名古屋に着くという約束をSaNyさんとしていた。

しかし

そこに辿り着くまでには、それまでに10年間自分が住まわせて貰っていた部屋の内装をリフォームするというミッションがあった。

スケジュール的に余裕を持たせてゆっくりやろうとしていたのだけれど、だらしなくてウッカリしている悪い癖を発揮して1週間多く呑気にバイトをしてしまっていて気付けば夏休み最終日のような状態になっていた。


人の手助けを借りに借りて壁紙と床をなんとか形にした。

なんとか形にしたという表現ですら、
かなり自分に甘々な表現だな、と思う。

その上、横浜を出たのが4月2日の未明だったように思う。

事前に俺はSaNyさんに

3月31日に到着します。と言っていた。



遅刻という次元を超えている。



名古屋には3泊4日滞在した。

相手が取ってくれた連休に合わせた3泊4日の滞在予定だった。

滞在予定だったというのは、結局のところそこに2週間くらい居た。


予定は未定という言葉が好きすぎて困る。


家主の連休が終わり、俺が滞在しているはずの予定を過ぎたのでそこに元々居た居候が戻って来た。


2人の居候の飼い主になった家主のSaNyさんからは

何度も、

何回も、、

幾たびも、、、

「うちはいつから動物園になったんだー!」

と言われていた。


突然で申し訳ないが少し突っ込んだ話をすると、

横浜に帰る少し前に北九州にいた時からバチクソに躁のスイッチが入っていて(後から気付いたのだけど)、横浜を出る少し前から異変を自覚し

名古屋に着くころには躁が裏返ってちょっとしんどかった時期だった。

そのように

普段から湧いてくるエネルギーが、枯れかけている時期はとにかく人とのコミュニケーションが苦手になる。

元気のあるときと比べて物凄く人に対してバリアを張ってしまうのだ。

敬愛する気の許せすぎるSaNyさんの前では、そんなことはこちらも気にしないでいられるし、あちらも気にするような素振りを見せないでいてくれるのでとても楽だ。


SaNyさんの居候に対しても人見知りが爆発して、最初の頃はやたらこちらがオドオドしてたような記憶がある。



そんなこんなで


突然はじまった非日常の暮らしの中で動物園の愉快な仲間と気が付けば打ち解け


家主が寝てる横で朝方にカルタをして大騒ぎしたり、


用事で河川敷や公園に一緒に行ったり(向こうの用事で手伝うことがあったのだけど、結局俺は役に立てないと自己判断。向こうが用事を済ませてる間にひとりで公園でゴリラの真似をしてそれを自分で動画に収めていた)

居候の分際でふたりして家主が仕事に行った後にノソノソ起き出してのんびりアニメを見たり、

SaNyさんの家で俺はご飯を作らせて貰ってたので、ふたりでそれを一緒に食べたり

夜は3人で食べたり

気が付いたらそれが日常になっていて居心地が良かった。


SaNyさんの仕事を見学もとい、わずかながら手伝わせていただいたことも貴重な経験になった。

話には聞いていたものの、直接間近でそれを見てしまった俺はめちゃくちゃにかまされてしまった。


かっこよすぎてイカれてる。




さっき躁が裏返ってしんどかった時期だったと書いた。

正直それがいつまで続くのか不安で仕方なかったのだけれど、気が付く頃には忘れていた。


むしろその頃には



現状、楽しすぎてイカれてるな。


と思った。


4月15日に定期的な不労所得によるお金のアテがあったので、16日には名古屋を出てその夜に京都に住んでる友人のラッパーと会う約束を取り付けた。


名古屋での最後の夜、

SaNyさんの居候の友達がわざわざ少し離れたところから、俺に会いたいと言って遊びに来てくれて4人で鍋を囲んで酒をあおって大騒ぎした。

記憶も薄れるほどに酔っ払ったけれど、

後日見せて貰った動画には、満面の笑みを浮かべながら奇行に走る自分と楽しげな笑い声が収められていた。

翌朝、仕事に行くSaNyさんと寝ぼけ眼で握手をしてまた寝た。

あ、仕事行くんすね。
あぁ、そうかもうとりあえず一旦お別れなんでしたね。
本当にありがとうございました。


みたいなセリフを目も開いてないまだ半分酔っ払ってる状態で言ったような気がする。


それから昼過ぎの出発を予定していたのだが

雨が理由でナビに使うiPhoneをサクラに固定する器具の取り付けが遅れ、

何故か急ぎでもないグリップを交換するのに加工が必要で手間取り、

必死で荷物をまとめて、

サクラの後部座席にフック付きのゴムで荷物をあたふたしながら固定し、

動物園の仲間とその友達との、ふたりの若き美女たちに見送られながら京都への道のりを走り出した。


本当に泣きそうになるくらいめちゃくちゃさみしかったし、名残り惜しかった。






そのさみしさをかき消すようにアクセルをひねると青い看板が目に入る。




その昔、それは13歳になる少し前。



横浜から京都まで延々と歩いた国道1号線。



過去の冒険を思い出し、その頃には気持ちは既に新しい出逢いへと向かっていた。




ふう‐てん【×瘋×癲】 の解説
1 精神の状態が正常でないこと。また、その人。2 通常の社会生活からはみ出して、ぶらぶらと日を送っている人。

国道1号線を13歳になる少し前に横浜から京都まで歩いた家出少年の話はこちらから。



白米が食べたいです。