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さよならニーソックス

ニーソックスは可愛いの象徴だと思う。

ニーソックスを履いている人は可愛いし、単体でも可愛い。                                     
それだけで気持ちを可愛いにしてくれる。
二次元三次元誰でも見るのも好きだし、みんな履けば良い。 
私も学生の頃から好んで履いていたし、歳だけ重ねてしまった今でも沢山持っている。

初めはなんだったかな、好きなゲームの女の子(というか制服に白いニーソみたいな記号は定番だった気がする)で、好きな人がオタクだったからとか、そういう理由で集めはじめた。今ほど安く簡単に手に入るようなものじゃなくて、黒無地1セット1000円するようなそんな時代でした。
スタイルが良いわけでもなく、化粧が上手いわけでもなく、オシャレでもない自分が"可愛い"に近づけるような、そんな安易なオタクのアイテムで装備品だった。

年齢でファッションを変えるとか私はあまり好きではなくて(好みやしたくて変わるのは良いけど)、20なかばでもアラサーと称されてもいつも普通に履いていた。
けど、ある時期から全く履かなくなった。身につけていることがアイデンティティのように感じていたのに。それについて考えたときに、「ああ、好きな人を好きで居られなくなったからだ」と思い当たった。

まじないと、のろいが同じ"呪い"という漢字になるように、私にとってのニーソックスは可愛くありたいの呪いだったんだろうなと思う。自信がなくて、でも好ましくは思われたくて、言葉にするのは不得意だから、せめてもの。もうその時点で私は可愛いけど←

何故こんなことを急に書き出しているかというと、今日数年ぶりに履いたから。
ショーパンを履きたくて、でもストレスでふくらはぎ荒れてて、5月とはいえまだ外は寒くて。引き出しから引っ張り出したニーソックスは、初めて好きな人に貰ったものでした。あの頃の私が履いていたやつだった。でも古いし安い素材だからもうブカブカですぐ落ちてきちゃうのね。それでも大事にしちゃってたんだけど。
もう、良いかなぁと思った。あんなに奥にしまいこんでた大切だったけど、ゴミ袋にいきました。それだけなんだけどね。

これからも私は履きたいときにはニーソックスを履くし、完全に別離をするという宣言ではないんだけど。自分がこだわってた何かが少しずつ開放されてるなと思う。 
私はアイデンティティにこだわらなくても私だし、キャラクターがなくったって私だし。なりたい自分には、いつだってなれる。どんどんフラットな思考が出来るようになってきた。

さよなら、誰かのための私の可愛い。そんな可愛い私。

貴方の元になにかを届けられるような、何者かになるためにつかいます。 今のところは塾への交通費になるかもしれない←