土曜も日曜も働きマンde出稼ぎマン
6月2日(日)
シフト制勤務の会社に転職して、1年と少し。
年末年始も、盆休みも、GWもなく働いている。
意外と子育てと平日休みが取れるシフト勤務は
相性が良くて今のところ「朝ゆっくり寝れない」
ことくらいしか不満はない
(あることは、ある笑)
数年前、コロナの第一波直前に西日本の政令指定都市に移住して
それまで車通勤が主流だったところから一転
バスや電車通勤に変わった。
田舎育ちには公共交通機関での通勤は、働くこと以上にしんどい。
満ち満ちの人の合間に入り、暑いし息苦しいし
匂いがキツかったり
リュック越しに押されたり
「この人こんなサイト見るんだ〜」って
思われるのが嫌でスマホは見れない
というか、短い時間でも、長時間でもスマホに縛られたくないから
風景や車内ポスターを穴が開くほど眺めるしかない
でも、週末の勤務は、朝も夕方も比較的人が少なくて
過ごしやすいから嫌いではない
そして、30年近く、1時間に2本電車があれば良い環境だったのに
今では時刻表に左右されず駅もバス停も
着いたらだいたい流れるようにダイヤがあるので
10分遅れたりすると
「ぇえ~ちゃっちゃ帰りたいのに、遅れてるやん」
などと悪態つくほどに、人は図々しくなる
環境というのは、いとも容易く人を変える
2号の小学校入学のタイミングで、住み慣れた土地を離れ
移住を決意したのは先々の就学で選択肢が増えると思ったから。
福祉や支援事業所を始め、どの小学校にも支援級があって。
ほんと助かります。
地元では小児を見てくれる心療内科もこれまで2号に合うところを
見つけるのが本当に大変だったもん。
帰る実家もなけりゃ。
母と祖母の墓しかない地元にいて
こどもたちが県外に進学・就職したりすれば
一人残されてぼっちになるのは目に見えていたし。
当時、それまで9年パートで働いた職場の支店の
閉店が決まり希望するなら異動を交渉してあげるよって
上司が前向きだったのもある。
全部が全部タイミングがよかった。
..covid-19という未曽有のウイルスさえ上陸しなければ笑
結論、観光業&パートだったわたしは1年半で解雇され
そのあと、2号の大人になった後の悩みや大変さを
知ろうと就労移行支援事業所の支援員になってみた
発達障害児を育てていて、傾向がわかっているから
未経験職種からの転職なのに、めちゃくちゃ合ってて
就職者出しまくった。
開設2年目の事業所に就職したとき、基盤ができてなくて
就職者0人だったのにそこから在籍した1年半で一般企業に11人就職させた。
定着率も安定してて、自分カリスマじゃんて思った笑
年収も増えて母子手当支給されなくなって
ただの低収入サラリーマンの一馬力になった笑
けど、朝こどもより早く家をでて、子どもより遅く帰って
休みの日も利用者さんの求人探したり
支援プランやスケジュールをいつも考えてて
県外への面談や企業訪問で帰宅が21時すぎたり
家でも外でも支援して
体重が1年の間に5kg落ちて(もともと身長比較の標準以下)
何のために、だれのために、働いているのか
わかんなくなった
新人が育つ頃に、同僚が、上司が次々離職して
事業所内の事務的作業
利用者獲得のための宣伝活動
就職者支援
就職予備軍の方たちのサポート
家族のケア
社会の誰かの役には貢献していたけど
一番見てやらにゃいかんこどものこと
できなくなってた
担当してた利用者さんや信頼をおいてくださっていた
企業人事の方々には申し訳なかったし無責任だと
わかっていたけど
だれかの人生より、「わたし」じゃなきゃだめな人の
大事なものをもっと見つめないといけないって
思ってこれまた転職決めた
そんで、今はこどもから大人まで認知してる
サービスを提供する企業で
学んできた「おもてなし」精神を活かして
働いている
前置き長くなったけど、
昨日いつも通ーり働いて帰宅したら
2号が「いいお知らせがありま〜す!」
「お米炊いてま〜す!」って出迎えてくれた。
その前日母と一緒に練習したから、やってくれたんだって。
(や" ざ じ ず ぎ)
20年以上引きこもり
大学の授業のスケジュール管理できず2回留年して退学後就職したけど
発達障害って気づいて鬱発症。受容できない。中卒で就職経験ないまま20代半ば、親に依存、なぜか反抗的
前職で関りを持たせていただいた利用者さんのご家族が、
「でも優しい子なんです」ってよく言ってた
わたし、当事者家族だから気持ちわかるよ
優しいよね
でも、優しいだけじゃ生活できない
親だいたい先に死ぬ。
わたしは明日いつ自分がいなくなっても自力で考えて
生きていくために行動できる子どもを育てるのが育児だと思ってる。
※重度と診断されている方とか四肢障害とか難病は無論除いて
だから、洗濯も片付けも料理も興味がわいたらまずやらせてみる
悩んだとき、自分が希望するゴールにたどり着くにはどんな手順で
何が必要か一緒に調べたり考える
自分が5歳で母が入院して9歳で死ぬまで何もわからないまま
何も教えてもらえないまま
手探りで身の回りのことを覚えたり、失敗して気づいたり
体の変化や、進学のこと、妊娠育児出産
本当に苦労したから
親のことはわからないけど、子どもだったときに感じた
不便さは想像できるから
こどもたちが何歳までここにいるのかは知らないけど
雇用形態とかなんでもいいから
お金を稼ぐってことを体験して
稼いだお金を自由に使って
生きるって大変だなぁって感じてほしい母の盛大なつぶやき
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