小説「いらっしゃい」②

未曾有の事態に直面した。何やら得体の知れないウイルスに我々は侵略されかけているらしい。ひいては、どうやらこんなにこじんまりとした定食屋ですら、ウイルスによる侵略の拠点にされるということで、開けているだけで、悪らしいのだ。まぁそう言われれば、しょうがないのかとも思う。国が要請する、営業時間短縮の要請に従うしかないかぁ、と急にぽっかりと空いた時間が宝物のように思えたが、私の頭の中にパッと思い浮かんだ顔があった。

決まって、ほぼ毎日21時以降に来店するあのサラリーマンはどうなるだろうか。コンビニで食事を済ませるのか、配達サービルに頼るのか、夜ご飯をこの定食屋以外で済ませることになる彼を想像して、少しだけ胸が苦しくなる。

21時半ラストオーダーのうちに、彼はいつもギリギリに来る。
「アジフライ定食で」
いつも揚げ物の定食ばかり注文する、彼の食生活を心配してサラダを豪華にしてみたが、彼は全く気づかない。気づいているのかもしれないが、何も言ってこない。腹が立ったので、そのサービスは一回きりでやめた。またより一層、脂っこい食事を摂取することになるのだろうか。もうそんなに若くないというのに。

何が正義で何が悪なのだろうか。ウイルスに立ち向かうために、全ての店が20時以降閉店したとする。でも、だからといってその時間までに食事を済ませることができる人と、自炊など、どうにかしてご飯にありつくことができる人で世界は埋め尽くされていない。21時半ギリギリに仕事が終わって、外で済ませるという選択肢がなければ、著しく健康を損ねた食事に身を投じなければならない人もいる。彼のように。そんな人を締め出し、健康な美味しい食事から排除してまで、飲食店がウイルス撲滅のために、20時以降休業する必要があるのか。みんながウイルス撲滅という正義のために歩むとするなら、私は健康で美味しい食事の提供という正義のために歩む。それは悪じゃない。正義の定義が違うだけだ。

私は休業要請に背き、いつも通り22時まで店を開けることにした。休業補償金に頼らなければいけないほど貧乏じゃないし、20時以降やってる飲食店に心ないことを言う奴らを気にかけるほど、精神は乏しくない。彼が来るなら、開けていよう。そういえば、一度だけ言葉を交わしたことがあった。
「おばちゃん、まだやってる?」
息を切らしながら、何か大きな成功を収めたような自信に満ちた顔で店に入ってきたことがあった。
「どうぞ」
本当は店を閉める準備をしていたのだが。アジフライを1枚多くサービスしてやった。
「おばちゃん、アジフライあれサービス?ありがとう。美味しかった」
目上の人に、敬語を使えないやつはやっぱり好きじゃない。

暇だ。やっぱり人が来なくなっている。それでも、
「おばちゃん、店開けててくれてありがとう。美味しかったです。明日も来ますね」
が聞けるならそれでいい。

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