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ふれあそび と 関係性

ふれあそび の場で誰かと ふれあっているとき、ふれあい を通して 気持ち や イメージ が生じることがありますが、

その 気持ち や イメージ から、相手と自分との間に いろいろな関係を感じることがあります。

ここでは、「相手との関係が帯びている性質」を「関係性」と呼ぶことにして、ふれあい のとき、どんな関係を感じるのか、書いてみたいと思います。

基本の7つの関係性

まず、わかりやすさのために、7つの基本的な関係性を挙げます。ここで「〇〇関係性」というのは、「〇〇関係のような感じ」という意味です。
実際は、これらが混ざって、いろいろなヴァリエーションがあります。

1) 友達関係性:対等な関係性
仲の良い子ども同士で戯れるような関係は、ふれあそび の場でよく見かけます。男性の多い ふれあそび の場で たまに起こる神輿担ぎのような荒々しいシーンでは、その場をチームとして共有する仲間関係のようなものも出てきます。

2) 親子関係性:力に圧倒的に差がある関係性
体格のいい相手に持ち上げられたりすると、幼子が父親に遊んでもらっているような感じになることがあります。
身体的な力だけでなく、精神的な力で包み込まれることもあり、母親に甘えるような関係も現れたりします。

3) 恋愛関係性:恋するものと、恋されるものの関係性
性を意識して、惹かれる気持ちを伴う関係です。
青春時代、初めて手が触れた瞬間に感じた甘酸っぱいものから、ディープなものまで。
片想いの切ない感じもあれば、両想いの甘い感じもあります。

4) 主従関係性:コントロールするものと、されるものの関係性
相手の体とつながって、自分の体が相手の体の一部のようになると、主人と召使のような関係を感じたりします。
また、飼い主とペット、猛獣使いと猛獣のような関係もこの関係性を帯びていると言えます。師匠と弟子のような関係もそうでしょう。

5) 敵対関係性:争い合う関係性
ふれあそびの場では、獣がじゃれ合うような感じで見かけます。
戦いごっこ や 武術の組稽古のような感じでも見かけます。
友達関係性と混ざると、ライバルのような関係になることもあります。

6) 観察関係性:観るものと、観られるものの関係性
自分の立場を脇に置いて、ただ相手を観る存在だけになる感じ、あるいは逆に、見えない存在に観られていると意識している感じです。
たとえば神さまが陰から誰かを見守っているような感じがあります。

7) 無関係性:関わらない関係性
相手の存在を意識しない感じ。
たとえば、誰かと深くふれあっているとき、周りの存在を忘れてしまうようなとき、周りと無関係になります。

多種多様な関係性

すでに基本の関係性の中でも、いくつか例も挙げましたが、実際、ふれあいの中に見られる関係性は、これらの基本の関係性が混じり合って、無数のヴァリエーションがあります。

たとえば、同じ恋愛関係性を帯びたものでも、僕はこんな関係性を味わったことがあります:
自分はトロイア戦争でアマゾネスの捕虜となったギリシア兵士で、自分の生殺与奪を握っているアマゾネスの頭領と恋に落ちた感じだったり……
敵国のスパイとは知らず、くのいちに恋しているボンクラ侍になった感じだったり……
身分の違いから、お姫様に陰ながら恋い慕いつづけてきた近衛兵になった感じだったり……
はたまた、深海で人魚に魅入られたダイバーになった感じだったり……

関係性を通して「夢」の世界を生きる

このように、ふれあい から生じる 気持ち や イメージ から、いろいろな関係性が生まれてくるのですが、その関係性から物語が生まれることがあるのです。

寝たときに見る夢を説明するのが難しいのと同じように、ふれあい から生まれた関係性をいつも言葉にできるとは限りませんが、記憶に残る物語が生まれた関係性はその物語の設定を語ることで説明することができます。

説明が前後してしまいましたが、先に上げた恋愛関係性のヴァリエーションも、そのときの印象として残った物語の設定を代わりに書きました。

この関係性から生まれた物語の世界は、現実とは違う「夢」の世界です。
「夢」の世界で生きることは、ごっこ遊びとも言えますが、ただ単に頭で役を設定して、その役になった振りをする、ごっこ遊びとは違います。

まさに寝ているときに見る夢の中で生きているように、今の自分とは違う別の存在になりきって生きる時間で、そこで感じた感情は本物です。

その意味で、ふれあそい の関係性から生まれた「夢」の時間は「リアル」な時間と言えます。

関係性が流動的な関係

寝ているときに見る夢が、次から次へと変わるように、ふれあそびでは、相手ごとに関係性は変わるので、相手ごとにいろいろな「夢」を見ます。

また、同じ相手でも時が違えば、関係性が変わります。
現実では、同じ相手とは「安定した関係」、つまり関係性が固定した関係を望むこともありますが、実は、二人の関係も、そのときどきで違っていて、その関係性も変わっていくものです。(その変化を抑え続けて問題となるのが、日常生活で人間関係の問題が発生する構造なのかな?)

ふれあそび の場では、関係性が固定した ふれあい を続けていると、そのうち どちらかが飽きて、離れることになるのですが、

同じ相手と ふれあっている間も、関係性を固定せず、二人の間に起こっていることを、ありのままに受け止めると、関係性も次々と変わっていくことがあります。そんなときは、ちっとも飽きずに同じ相手とずーっと ふれあっていることもあります。

たとえば、
最初は、抵抗するように ぎこちなく ふれあっていたのが、
いつしか、友達が ふざけ合うようになっていて、
しばらくしたら、恋する二人のようになっていて、
最後には、母が幼子を抱きしめるようになっていた、とか。

このように、ふれあいを通して、関係性が変化していくのを見るのが、僕は面白いです。

それにしても、なぜ、関係性が変化していくのでしょうか?
僕もまだわからないのですが、相手との ふれあい を通して、普段、抑えている気持ちを味わうために、自分に必要な関係が現れているのかな~、となんとなく思っています。

そのせいか、素直に相手との関係性を味わえたときは、自分の中で抑えていた気持ちが解き放たれて、スッキリした気分になります。そして、ふれあってくれた相手への感謝の気持ちで胸がいっぱいになるのです。

あなたは、ふれあい を通して どんな関係性を味わったことがありますか?

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