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3. 帰省初日

◆ 最初の面会

 父の緊急手術が行われた日、私は上の妹モミジから、父が「一週間、水しか飲んでいなかったから、栄養失調で緊急入院した」とだけ聞きました。突然の入院に驚きましたが、ひとまず安心しました。
 そして、父の緊急手術から二日後、当初の予定通り、私は次男ユウゾーと一緒に那覇空港に着きました。空港で待っていたモミジの車に乗って、一旦、ユウゾーを実家に預けて、モミジと一緒に入院先の病院に急ぎました。
 病院の前の道の壁や電信柱は、葬儀業者の広告で埋め尽くされていました。
 父の病室へ向かう途中、病棟の同じフロアのいくつかの病室を通り過ぎましたが、そこにいるのは顔や体にたくさんの管をつけた寝たきり患者さんばかりで、血色はなくやせ細っていました。
 父の病室に入ってみると、入院までの一週間、水しか飲んでいなかった父は、確かに血色は薄く痩せてはいましたが、「手術が終わってからは食欲が戻ってきた」と言って、「余命数日」の状態からはすっかり持ち直したようでした。
 そこで初めて、私とモミジは緊急入院の経緯を父から聞きました。
 話を聞いて、私は、モミジからの危篤の知らせに慌てて帰らなくて良かったと思いました。もし私が帰ってきていたら、おそらく模合の方達も遠慮したでしょうし、だからと言って私達家族ではそんなに手際よく父を入院させることはできず、こんなに事はスムーズに運ぶことはなかったでしょう。
 父は運がいい、こんなに運がいいのだから、父はまだ当分死なない、と私は感じました。
 父が「あいつらが来てくれて本当に良かったよ。」と弱々しい息でハっと笑いながら言いました。父は友人には恵まれたんだなぁと私はつくづく思いました。
 一方で、弱々しくハッと吹き出すような笑いに、どうして自分が今生きているのかわからない、という父の自分自身への皮肉と当惑を私は感じました。
 酸素マスクを外して話していた父が少し息苦しそうでしたので、その日は早めに切り上げることにしました。私は父の手を握って、モミジと病室を出ました。
 その日から、友人の披露宴までの一週間、私はユウゾーを連れて父の面会に通いました。父の体力が落ちていたので、一時間くらい会話をして帰る日々が続きます。

◆ 荷物に溢れた実家

 父の入院先から私は実家に帰りました。
 私の実家のアパートには、キッチン・ダイニングの他に三部屋ありました。このアパートには、この話の20年前、私が中学に入学するころ、家族五人で引っ越してきました。最初、六畳和室が父、もう一つの六畳和室が私、八畳洋室が母と二人の妹に割り当てられました。
 それから、この家の住人は出たり入ったりを繰り返して、この帰省時点では、もとの私の部屋だった六畳間がツグミと二人の姪達の部屋に、もとの女三人の部屋だった八畳間ともとの父の部屋だった六畳間は荷物が一杯でほとんど物置状態でした。母は八畳間の二段ベッドの下で眠るだけでした。ちなみに二段ベッドの上も荷物が置かれていました。山積みの荷物は部屋だけに限りません。キッチン・ダイニングも流し台に人が一人立つスペースと、人が一人通れるほどの通り道しか残されていませんでした。
 物置と化した二つの部屋の間は、ふすまで仕切られているのですが、どちらの部屋にも荷物が厚く高く積まれて、まるで二つの部屋の行き来を阻むためにバリケードを築いたかのようでした。私は、実家のありさまをモミジから聞いていましたが、これほどまでにひどいのかと驚きました。
 父が使っていた部屋には、大きな液晶テレビが置かれていました。食事はその部屋のちゃぶ台で食べるのですが、高く積まれた荷物の山に囲まれて、ツグミや二人の姪も合わせてみんなで座って食べると、余計に圧迫感が増すように感じられました。

 夕食を終えて、私はまず自分の作文「家族」が載っている文集『雄飛』を探し始めました。自分の荷物の場所を母に聞くと、それはテレビの部屋の押し入れの奥に入っているというのですが、押し入れにたどりつくまで荷物をどけるのにひと苦労でした。
 やっとの思いで、押し入れにたどりつき、段ボール箱を取り出しました。
 箱を開けると、『雄飛』を数冊見つけましたが、どういうわけか、高校一年のときに発行されたものが見当たりません。なんでもとっておく当時の私の几帳面な性格からすると不可解なことでした。自分の作文が載っていない他の年度のものだけ取っておいて、肝心の載っているものがない。どうしてなのか、全くわかりませんでした。
 私はとても焦り始めました。父に読んでもらおうと思っていたのに、文集が見当たらない・・・。
 こめかみに強張りを覚え、視界が狭まっていくような焦りを感じていることに私は気づきました。そこで、静かに自分の息を感じてみました。
 やがて、視界がもとの広がりを取り戻し、同時に落ち着いた私は、先日の東京での集まりで旧友がこう言ったことを思い出しました。「高校の図書室に文集のバックナンバーがあって、閲覧することができる」と。
 私は、次の日、父の病院へ面会に行った帰りに高校で作文をコピーすることにしました。

◆ 夜中の口論

 私とユウゾーはテレビの部屋に寝泊まりすることになっていたのですが、大人一人横になるスペースもありませんでした。私とユウゾーは、いくつか荷物を移動して、その上さらにちゃぶ台を立て懸けたりしながら、なんとか押し入れから布団を取り出し、それを敷くことができました。
 とにかく、要らないもので部屋は溢れかえっていました。
 夜になり、ユウゾーを寝かしつけて、私はテレビの部屋からダイニング・キッチンに戻りました。ここもまた荷物でいっぱいのダイニングでは、母とツグミが荷物に囲まれてテーブルで話し込んでいました。ツグミは安い紙パック焼酎を飲んでいました。
 私はまず言いました。
「父さんの部屋の荷物、さっさと片付けたら、父さんがわざわざ別にアパートを借りなくてもいいじゃないの?」
 母はイライラして、不機嫌そうに答えました。
「アンタのお父さんの気持ちを考えてごらん。きっとアノ人、最後は独りで過ごしたいハズヨ。自分がアノ人の立場だったら同じようにするね。誰にも迷惑かけたくないからね!」
 私は、母の答えに疑問を持ちながらも、これまでの状況ならそれもあり得ると思いました。
 それから話題は病気が発覚してからの父の話に変わりました。最初の入院の間、医師や看護師にいつもケンカ腰で不満で一杯だった父の様子、そして病院を飛び出して、ダイビングや模合仲間との旅行など自由に過ごしていたことを聞きました。
 そのうち話の内容は、ツグミ達の引っ越しのことに移りました。ツグミと二人の姪達の親子にとって、六畳の和室では狭いので、別のところに引っ越したいということでした。
 ツグミはそれまで臨時採用で仕事を続けていて、給料も安く不安定な立場でしたので、二人の姪とともに実家に留まっていました。が、その年、ついに本採用となり、独立して家賃を賄えるようになりました。
 とはいえ、私には、家賃を払ってまで、母子家庭でわざわざ独立するのは不自然に感じました。そこで、私はこう言いました。
「ツグミ家族が出てって、この3LDKの部屋を母が独りで住んでいるのも不経済だ、もともとこの部屋に五人で暮らしていたのだから、今の四人で狭いというのは理屈に合わない気がする。そもそも父さんの部屋も母さんの部屋もダイニング・キッチンも荷物が多過ぎなんだから、荷物を整理すればいいだけじゃないか。少なくとも、父さんの部屋を整理するだけで、随分広く使えるようになるんじゃない?まぁ、ツグミ達が出ていこうが、出ていくまいが、あの部屋は無駄にしているから、とにかく片づけよう。」
 それを聞いて、母はものすごい剣幕で叫びました。
「イーィ!あの部屋を片付けると、アンタのお父さんが戻ってくるかもしれないじゃない!」
 酔っ払ったツグミも同調して、興奮した声を上げました。
「アイツが家にいたら、どんなになるか、わかったもんじゃない!」
 そして、続けざまに畳みかけるように、母はまた叫びました。
「アノ人が戻ってこなかったとしても、今度はアンタのばあちゃんが『ワタシの面倒見てー』ってこの部屋にやって来ることになるかもしれないじゃない!」
 これが私の家族でした。他人は呆れてしまうかもしれませんが。
 もうじき死ぬかもしれない人を、この期に及んでも尚、受け入れたくない。受け入れられないことを既成事実とするために、わざわざ部屋を全く不便な状態にしておく。そして、自分達を困った状況に陥れる。便利な状態にすることを提案すると、嫌な人が来ることを恐れて怒って反対する。自分達で自分達の首を絞める、まさに狂気でした。
 母とツグミがこんな半狂乱な反応をしたとき、私は自分の胸に何本も矢がブスブスと刺さったかのように、胸がギュッと強張るのを感じました。そして、胸の痛さをかばうように背中を丸めて、両肩をいからせていく自分の体に気づきました。
 両肩が上がるにつれて、拳を握り両腕が固くなり、思わず怒り出したくなる、そんな心の変化に気づきました。
 そのとき、私の心の中に、同じような仕草で怒っている父の姿が見えました。

 私は、自分が荒い息をしているのに気づきました。
 私は両拳を意識して解き、荒い息に意識を置き続けました。
「アンナ人達と暮らすなんて絶対イヤよ!」
 私が荒い息に意識を置いている間も、母は延々とヒステリックに叫び続けていました。
 私は、まるで仁王立ちのまま矢面に立ち続けた弁慶のように、立ち続けました。
 私は荒い息のまま、何度も拳を握り、その度に拳を解く、それを繰り返していました。
 怒り爆発寸前の私でしたが、自分の荒い息に気づきながら、母やツグミが父に戻ってきてほしくないと思うのももっともだとも思っていました。いつも機嫌の悪い人が家にいて、家全体がピリピリした雰囲気になるのは、誰だって嫌でしょうから。
 だからといって、山積みの荷物で部屋を一杯にしておいて、家が狭いと言うのはあまりにも馬鹿げているし、父が今後退院できるかもわからないのだから、とにかく要らないものは捨てて気持ち良く広々と使えるように部屋を片付けよう、と説得を続けました。
 しかし、説得は母の耳には届かず、その後もヒステリックな母の一方的な叫びが夜更けまで続き、どちらかというと明け方に近い真夜中、話は平行線のまま終わりました。
 私はユウゾーの寝ている部屋に戻り、横になりました。が、胸に強張りを感じて全く寝付けません。そこで静かに座って目を閉じました。
 胸の真ん中のギュッと強張った感覚に意識を置いて、息苦しさを感じ続けました。
 しばらくすると、胸の強張りは、ドクドクと脈を打つようになり、それからジンジンし始め、だんだんと細かい感覚に変わっていきました。
 やがて、細かな感覚が次第にかすかになっていき、感じられないくらいになったとき、一瞬、熱を感じたと思った瞬間、突然、焼きごてを胸に押し付けられたような熱さを感じました。
 ジューっと胸が焼けるように感じて、思わず息をのんで、ギュッと胸が強張りました。
 胸が焼けるような感覚を感じたとき、私は思いました。
 ああ、これが、私達家族が昔からずっとお互いに投げつけあってきたものだ、と。
 傷つけられた怒り、傷ついた悲しみ、傷つけられる恐れ。父の憤り、母の愚痴、妹達の叫び、私の無関心。いろいろなことが頭をよぎりました。
 そして、また胸の強張りに意識を置いて、胸の力を抜く。ジューっと焼ける感覚が起きて、また胸が反射的に強張る。また、胸の力を抜く・・・これを何度も何度も繰り返す。
 終わりがないようにも感じられました。
 ですが、そうやって繰り返すうち、焼きごては次第に小さく、ぬるくなっていき、やがて熱さの感覚は消えました。
 眠気と疲れを感じた私はそのまま横になりました。

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