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“恐怖” に感染しました

コロナ騒動が始まってから、ネットニュースやSNSに、怒り、憤り、その底にある、不満、そして恐怖が、どんどん増えてきたのは、僕だけでなく、皆さんも感じてらっしゃると思います。

ひきこもりの僕は、もともと世間から切り離されているので、自分の心を穏やかに保つことだけを考えれば、SNSを見なければいいことくらい、わかっているのですが、

今は、みんなが感じているものを感じていたいと思って、あえて、毎日、SNSに目を通してきました。

「自粛」という言葉が、変な風に使われ出してきたあたりから、胸がムカムカしだし、吐き気を覚え、自分の中にも苛立ちを感じ始めていましたが、

それが次第に激しくなって、やがて、その苛立ちの下に、恐怖があることに気づきました。

そのとき、不思議に思いました:

精神病以外に特に持病もない(苦笑)僕は、感染したときのリスクも低い。

ひきこもりの僕は、感染するリスク、感染させるリスクも低い。

このご時世、「超」模範的な生活を送っているので、社会的に批判を受けることもない。

一方、世の中には、僕よりも、感染したときのリスクが高いと言われている方がいるし、感染リスク、経済的リスクの高い状況に置かれている方が大勢いる。

そういった方たちが、リスク相応に恐怖や不安に思ったりすることは、それは当然だ。

だけど、なんで僕は、それほどリスクも高いわけでないのに、こんなに恐怖を感じるんだ?

僕が恐怖しているのは、リスク不相応な気がして、なんだか変だと思うようになったのです。

そして、気づいたのは:
「あっ、"恐怖" に感染した!」

~ * ~ * ~ * ~ * ~

この恐怖を見ないフリして、
何かポジティブなことに目を向け、
誤魔化すこともできないわけじゃないけど、
せっかく感染した恐怖を味わってみることにしました。

恐怖を無視するでもなく、
恐怖に圧倒されるでもなく、
ただ自分の中にある恐怖を味わう。

SNSのニュースフィードからは、来る日も来る日も次から次へと恐怖がやってくるので、一時期、お腹を壊してしまったのだけど、ようやく、ちょっとづつ回復してきています。

~ * ~ * ~ * ~ * ~

恐怖を味わってみて、
今、自分にとって何が恐怖か、
わかってきました。

まだまだ消化不良気味だけど、
僕が今の空気感に感じる恐怖を、
昔の出来事に例えて、
こんな話を書いてみました。

この話は、沖縄の人なら、よく聞かされた話です。
ただ、用語などは、僕が勝手に言い換えたところもありますし、他の資料を一切参照せずに、自分の記憶だけで書いた話なので、細かいところは歴史的事実と異なる、正確性の欠いたものです。
あくまで、僕が今の世情をどう感じているかを例えた話です。

以下、『南の島の昔話』の始めの部分を抜粋して載せます。

~ * ~ * ~ * ~ * ~

むかしむかし、今から75年ほどむかし。
ある南の島が戦場になったときの話。

その島には、
本土からやってきた兵士が
守りについていましたが、
あっという間に、敵軍に上陸されて、
島は住民を巻き込んでの
激しい戦場となりました。

住民の男たちも、
戦場に駆り出されていきました。

敵軍が村の近くに迫ってくると、
住民は銃撃戦を避けるため、
大きな洞穴(ほらあな)に隠れました。

味方が劣勢になってくると、
味方の兵士も住民が隠れている洞穴に
入り込んできました。
そして、皆、息をひそめて、
銃撃戦が止むのを待つのでした。

ある洞穴では、隠れていた住民たちの中に、
乳飲み子をおぶった母親がおりました。

外では激しい銃撃戦が続いている中、
その子が大声で泣き出しました。

その洞穴に、一緒に隠れていた兵士が
母親に言いました。
「敵兵に見つかってしまう。
 子どもを泣き止ませろ」

母親は、慌てて赤ん坊を抱えて、
乳をやろうとしました。
ですが、それでも泣き止みませんでした。

兵士は、刀を手にして、母親に言いました。
「今すぐ泣き止まないのなら、
 この場で斬る」

顔を青くした母親は、
我が子の顔を自分の乳房に
強く押し付けました。

一緒に隠れていた他の住民たちは、
自分たちも敵に見つかることが怖かったり、
あるいは、
味方の兵士に逆らって
ひどい目に遭うのが怖かったりして、
兵士と母親のやりとりを
ただ見ているだけでした。

母親は、必死に我が子の顔を
自分の乳房に押し付け続けました。
赤ん坊はもう泣きませんでした。

母親が気がついて胸から離したときには、
赤ん坊は窒息死していたそうです。

~ * ~ * ~ * ~ * ~

今、僕が何を恐れているか、というと・・・

この話の中で、皆が息をひそめて敵から隠れている洞穴の中で、味方の兵士に「赤子を泣き止ませなければ、斬る」と言われた母親のように、

この騒動の中、いろいろな側面で、周りの空気に圧されて、自分の「赤ん坊」を「窒息死」させている人が、大勢いるように思えて、とても胸が苦しいです。

しかし、これは大きな流れなので、一介のひきこもりが、個人として世の中全体に対してできることは、ほとんどないと諦めています。

ただ、 実際、僕自身が、「母親」と「兵士」のやりとりを目の前にしたら、
一体、僕はその場でどう振舞えるのだろう、
と思うと恐怖です。

~ * ~ * ~ * ~ * ~

一緒に洞穴に隠れている全員が死の危機に晒されている恐怖の中で、

お役目として、あるいは、単に己の身の安全のためか、いずれにしても、「赤子を斬る」と言った「兵士」の心境も理解します。

(ただし、「戦争」の終わり方の考えもなしに、「戦争」を始めた「司令官」や「大将」達については、僕は白眼視します。)

そして、自分自身を案じて傍観した「他の住民」の心境も理解します。

かといって、「赤子」を見殺しにしてしまったら、
たとえその場を生き延びたとしても、その場にいた全員が、心に一生に残る深い傷を負ってしまう。

自分も含めてその場にいる人たちを危険に晒すことを覚悟の上で、泣きやまない「赤子」に寛容でいられるか・・・

「兵士」や「他の住民」から睨まれることを覚悟の上で、事に対峙する勇気を持てるか・・・

そして、
「赤子」と「母親」も「兵士」も「他の住民」も含めて、その場にいる人たちが、心も体も傷つかずに済むように、機転を利かせることができるのか・・・

そんな考えが堂々巡りしています。

~ * ~ * ~ * ~ * ~

だけど、目の前の「赤子」を見殺しにしたら、絶対、自分は一生、後悔するのは、わかっている。

それは、リスクの低い僕くらい、「赤子」に寛容でありたいと思っているから。

そうじゃないと、この世界から「赤子」と「母親」の居場所がなくなってしまう。

そうなってくると、
「兵士」や「他の住民」は怖いけど、
社会的に失うものは何もない僕くらい、
その場で声をあげないと、情けないよなぁ。

なんだか流行病にかかるよりも怖いけど、
やっぱり勇気は持たざるを得ないなぁ。

だけど、残る機転は?
・・・これは、全く自信がないなぁ・・・

というわけで、
自分がこのような状況に
立たされるかもしれないと思うと、
僕は、今、とても怖いです。

ひきこもりだから、
そんな場面に出くわすことなんか、
まず、ないはずなのに、
今話題の流行病にかかることよりも
ずっと恐怖です。

~ * ~ * ~ * ~ * ~

これをお読みの方に、「兵士」や「他の住民」の方もいるかと思うと怖いけど、

ただ、今どうしても言いたいから、
ビビりながらも、つぶやいてみます:

「赤子が周りにお構いなしに泣くのは、
 自然なことなんじゃないかなぁ。

 あんまり周りに強要しすぎると、
 自分で自分の首を締めることに
 なりかねないと思うんだけど。」

そして、「赤子」をおぶった「母親」たちへ:

「赤子 が泣くのは、
 人の世の理を超えたこと。
 赤子 があなたのもとへやってきたのも、
 人の世の理を超えたこと。
 あなたが 母親 であることは、
 人の世の理を超えたこと。
 あなたが 赤子 を庇うことは、
 人の世の理を超えたこと。

 あなたは、自分が 赤子 を庇うことが、
 他の人に迷惑をかける、
 自分勝手な行為だと、
 気が退けてしまうかもしれないけど、
 僕も 赤子 がいたら、そうしてるよ。

 それに、恐怖に怯えて、
 傍観している 他の住民 の中には、
 赤子 の存在のおかげで、
 かろうじて息ができている人もいるし、

 ひょっとしたら、赤子 のおかげで、
 洞穴にいる人たち が、
 別の意味で 助かる かもしれない。

 だけど、
 今、この時期、あるいは、この先、
 あなたは 赤子 を守ろうとしても、
 守りきれないかもしれない。

 もし、守りきれなかったとしても、
 それは、あなたの責任じゃない。
 それも、人の世の理を超えたことだから。

 ただ、そういうとき、 敵国 では、
 相手に、こう言うらしいよ:
 『グッド・ラック!』

 僕もあなたに心から言うよ。
 『グッド・ラック!
  グッド・ラック!
  グッド・ラック!』」

~ * ~ * ~ * ~ * ~

すべての「赤子」と「母親」に幸運を○3
てつろう拝

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