20180705_四方四季_w1260h570

四方四季の庭

合気道の稽古に熱心に通っていたころ眺めた美しい景色について。

まえがき

浦島太郎の話に、竜宮城にある不思議な庭のことが出てきます。

庭の座敷から、
東を眺めると春の景色、
南を眺めると夏の景色、
西を眺めると秋の景色、
北を眺めると冬の景色。

つまり春夏秋冬の景色を同時に眺めることができる庭です。この不思議な庭は「四方四季の庭」と呼ばれています。

僕はかつて「これはおとぎ話の中だけの話で、本当には存在しない」と気にも留めませんでした。
しかし、思いもかけずその庭のようなところを訪れたことがあります。
もちろん亀の甲羅に乗って、海底深く潜っていったわけではありません。
それは、僕が合気道の稽古に熱心に通っていたときのことでした。

1. 身体接ショック

僕が合気道をやっていたなんて言うと、学生時代の古い友人なんかは驚くと思います。
なぜって、学校で体育が苦手で嫌いな男の子って、クラスに一人か二人いるものですが、僕もそんな子だったので。
そんな僕が三十路も過ぎて、ひょんなことから運動、それもよりによって合気道なんてやり始めることになりました。始めたきっかけは、またの機会にお話するとして、とにかく最初、ショックだったのは、他人と体が触れること。
握手もハグも文化として根付いていないこの国で、社会人の日常生活で、他人の体に触れる、あるいは触れられる機会というのは限られていますよね。
それが、道場では、手首や腕、肩、ときには胸倉をギュッと掴まれ、体全身で投げられ、倒され、抑えられる。それも思いっきり(笑)。
自分の体でさえろくに使ってこなかった私にとって、急に他人と体と体で激しく接触するようになったのは、とても強烈な体験でした。

と同時に、体が触れ合うという体験の豊かさにも驚きを感じました。
同じように技を掛けても、相手によって柔らかさや滑らかさが違うし、技を掛けられても相手によって重さや強さ、動きが違う。
傍から見ているだけではわからなくても、実際、受けてみると全然違うものを感じる。
触れることで、相手の体の造りや動きの個性をより豊かに味わえるということに気づかされたのも、このときでした。

2. 幅広い年代の道場生

それから、異様に見えたのは、稽古に来る人たちが多様なこと。
合気道を始めるまで、毎日、会社と家を往復するだけだった僕にとって、日常、接する人と言えば、働き盛りのサラリーマン、特に業界柄、ほとんどオッサンばかり(笑)。異なる世代に会うことなんて全くと言っていいほどありませんでした。
それが、道場には老若男女、さまざまな人が集う。
高校生・大学生から、社会に出たばかりの青年、働き盛りの壮年・中年、それから還暦を過ぎたころの初老の方から後期高齢者の方まで、それも、男性に限らず女性も一緒に稽古をする。さらに、子どもクラスと一緒に稽古をするときは、幼稚園児から中学生までの子どもたちも加わる。そんな幅広い年齢層の人たちと同じ時間を過ごすというのは、本当に衝撃的でした。
それも、ただ単に同じ場所に集まるだけじゃない。実際、組になれば、お互い技を掛け合う。老若男女が集って同じ行為をする場面って、子どもの頃に行った盆踊りくらいしか思い浮かばなかった僕には、そんなお祭りみたいなことが、ここ、合気道の道場では日常になっているのが、なんだか文化の違う国にでも来たような、異様な光景に映ったものでした。

3. 合気道の技

ところで、老若男女、さまざまな人が集まって、お互い技を掛け合うと、そこでは面白いことが起こります。とりわけ、一般的に力が弱いとされる年配の方や女性との稽古で、実際、技を体感してみると、「強さ」へのイメージを修正せざるを得なくなるときがあるんです。
例えば、自分の親と同世代の白髪の先輩に思い切り掴みかかって、わけもなく軽々と投げられると、高齢化社会が問題視ばかりされ、すっかり薄っぺらくなった「敬老」という概念が根底から覆される。
また、帯の色が白から茶に変わって、少しは自信がつき始めたある日、基本の投げ技の稽古で、入門間もない女性と組んだときのこと。彼女の受けを取ったら、たまたま上手い拍子で投げられて、あやうく頭を打ちそうになり、まさに冷や汗ものでした。
こんな感じで、一般的に強さを象徴する筋力というのが技の一要素に過ぎないと身を持って知らされることが起こるんですよね。
ヒョロヒョロな僕が、三十路を過ぎて今さら、マッチョになって強くなろうたって無理な話だけど、合気道なら今からでも強くなれる、うまくなれるんじゃないかって、希望を抱くようにもなりました。最初は「自分は運動音痴だから、簡単な受け身だけできるようなれればいいや」なんて思って始めたのですが、次第に合気道を本気で上達しようと熱心に稽古に通うようになっていました。


4. 成熟の過程

そうやって道場に通い始めて三年も経った頃、道場生の変化や入れ替わりを見てきて、年代ごとに共通する特徴とか成熟の過程みたいなものを感じるようになりました。

まず、受け身を取るにも技を掛けるにも、どこかホワァーっとしてあどけない幼稚園や小学校低学年の子どもたち。それが学年を上がるにつれてだんだんと動きにメリハリがついてサマになっていく少年たち。
体格も大人と変わらなくなったものの、急に強くなった腕力を持て余して、技が少々荒っぽいティーンエイジャー。それが、だんだんと自分の力を制御することを身につけて、どんどん技を洗練させていく青年たち。
しかし、そんな青年たちも、多くが進学や就職などを転機に、次第に稽古から遠ざかっていき、一部が細々と続けていく。
一方、働き盛りになって、若さだけでは頑張りが効かなくなるころ、早ければ三十ごろから、僕のようにそれまで合気道と縁の無かった人が新たに入門してくる。
早くから始めた人も、遅くから始めた人も、それからさらに稽古を続けていき、還暦過ぎてもなお、壮年顔負けの、充実した技を繰り出す初老の先輩方。

しかし、そんな年配の先輩方も、いつかは衰える。
やがて、体の故障や病気のため、だんだんと体が硬くなり、動きが制限され、受け身ができなくなる。故障のため長らく休む方、とうとう稽古から離れた方もいました。

一方で、腰が痛い、膝が痛いと、ヒーヒー言いながらも、できる技を一緒に稽古する高齢の方もいます。
そんな先輩と稽古するときは、技をかける前に
「ちょっとここの手首を痛めているから、弱くしてね」
とか、
「腰が痛くて受け身が取れないから、投げるのは途中で止めてね」
とか言われます。
そんなときは、揉むように腕をつかみ、支えるように倒し、伸ばすように関節を極める。
「こんなんで強くも上手くもなるわけないよなぁ」なんて内心思っても、仕方がないのでこちらも気を付けて技を掛けます。(実はこれは武術の稽古として、とても大切なことだったのですが、未熟な僕がその重要性に気づいたのは合気道をやめた後のことでした。)

稽古の後、そんな先輩方の更衣室での話は、病気と手術の話。
「片方の肺を手術で取ったのですぐに息があがっちまう」とか、「この間、心臓に管を入れてから血をサラサラにする薬を飲んでいるので、一度出血したらなかなか止まらない」とか・・・
そう、合気道の稽古では、人が衰えていく過程も見ることができたんです。

5. 四方四季の庭

このような道場生たちの成熟の過程への理解は、道場生たちと直接触れ合い、稽古を重ねていくにつれて、僕自身の体の中で深まっていくようにも感じていました。
例えるなら、稽古で触れるたびに相手の写真を撮っていて、その写真がどんどん自分の体のアルバムに蓄積されていく感じ。
同じ相手でも、昨日稽古したときの写真と今日稽古したときの写真は違っている。実際には一日の差を感じるのは難しいですけど、毎回写真を撮り続けているうちに、半年、一年となってくると、差がはっきりとしてくる。それも日々の稽古で撮り続けた写真は、一人の同じ人間として変化の過程を連続的に感じさせる。
稽古のとき、道場生を見るとき、そのときの相手だけでなく、それまで稽古を重ねた、時間的に厚みを持った相手が感じられる。時間軸上で考えるなら、最初、点のような相手の存在が線のように感じられるようになる。

そしてあるとき、こんな風にも感じられるようになりました。
それまで道場生一人ひとり別のもののように見えていた変化の過程が、それぞれの年代がオーバーラップしてくると、まるで一人の人間の変化の過程として見えてくる。
たとえば、三歳差の二人と三年稽古をすると、三年後には年上の三年間の変化の過程と年下の三年間の変化の過程がつながって、まるで一人の人の六年の変化の過程のように感じられるようになる。もちろん、三年後の年下が、三年前の年上と同じ地点にいるかというと、そんなことはありえませんが、細かい線がいくつか重なると一つの輪郭が浮かび上がってくるように、何人かの変化の過程が重なることで一つの線が感じられる。
たとえ線がまばらでも断続的な線がいくつも連なると、時間軸上ある幅を持った範囲で一つの存在が浮かび上がってくるように感じられる。
これを幅広い年齢の道場生たちに当てはめると、四、五才から八十歳余りまで人の一生をほぼカバーする、長い長い時間軸に横たわる一つの存在に感じられる。

そう感じるようになったとき、道場で一緒に稽古をする道場生たちは、僕にとって道場生それぞれの年代を眺める窓であり、そして、幅広い年代の集まる合気道の稽古は、人生の各時代を同時に眺めることができる特異な場所になっていました。

そう、これがはじめに書いた「四方四季の庭」です。

そこでは、ただ単にそれぞれ別個に流れている異なる年代の時間を見るのではなく、まるで一人の人の人生を一度に眺めているような繋がりを感じて各年代を同時に眺めることができました。

それを眺めていると、
過去、現在、未来へと流れる時間から離れた、
時間のない場所から時間の流れを眺めている、
そんな気分。

統合された世界を眺めるような、
自分が神さまになって世界全体を一望するような、
そんな気分。

その光景には絶対的な美しさがありました。
僕はそれに見とれてしまうのでした。

6. 絶望的な虚しさ

絶対的な美というのは、その美しさのあまり見る者の心を必ず揺さぶるものです。
そして、揺さぶられた心の底からは、何かが浮かんできます。
それは、喜びかもしれませんし、恐れかもしれません。
愛かもしれませんし、憎しみかもしれません。

合気道の稽古に通っていた当時、「庭」の美しさに見惚れてうっとりした後、遅かれ早かれ、僕の心の底から浮かんできたのは、

虚しさでした。

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自分の親と同じくらいの年の先輩で、まるでサイボーグのように屈強な方がいました。若いときに入門して何十年も稽古されてきた、道場の中で一番のベテランの方でした。僕なんかが下手に技を掛けると、「これじゃ駄目なんだよな~」とか先輩は笑みを浮かべて、逆に僕は腕を返されたかと思うと、悠々と抱え上げられて、投げ落とされる始末。まるで千変万化の技を繰り出す先輩は、道場生みんなから尊敬されて、僕たち若手は先を争って先輩に指導を仰いだものでした。
が、ある日の稽古中、正座から立ち上がろうとした先輩が、突然アッと叫ぶと左膝から崩れて、そのまま立ち上がれなくなりました。その故障のあと、先輩はしばらく見取り稽古に通われていましたが、そのうちお見えにならなくなりました。
何十年もかけて積み上げてきたものが一瞬にして崩れ去るところを、まさに目の当たりして、僕はショックを受けました。

そう、どんなに強くなっても、どんなに上手くなっても、いつかは衰え、体が動かなくなる、という当たり前の現実。

もちろん、八十歳、九十歳になっても屈強な若者たちをバンバン投げ飛ばすような達人というのも理想ですが、みんながみんなそうなれるわけでもないし、仮にそんな達人になったとしても、いつかは同じように朽ち果てる。

もともと体育が苦手だった僕は、他人と比べて強くなるということなんてどうでもいいことでしたが、昨日の自分より上手くなりたい気持ちは心のどこかにありました。高齢の先輩方の稽古姿は、そんな動機さえ虚しいものにします。

それなら一体全体、なんのために稽古をしているのだろうと、全てを放り出したくなる気持ちに駆られる。
コツコツ積み上げても、最後には全てが無に帰る。
虚無感の闇が大波のように押し寄せてきて、今にも飲み込まれそうになる。
そんな絶望的な虚無感を抱えながら、きっと何か意味があることがあるはずだと自分に言い聞かせて、僕は必死に稽古に通い続けていました。

7. 年配の先輩の姿勢

そんな絶望的な想いで稽古に通っていたあるとき、一緒に稽古している年配の先輩方を眺めていて、こんな風に思うことがありました。
ここが痛い、あそこが痛い、ヒーヒー、ゼーゼー言いながら稽古を続けている高齢の先輩たちには、昨日も明日もなく、ただ今日のこの日だけ、この瞬間だけに生きていると。
それに気づいたとき、実は、これが人が生きる上で一番大切な何かなのではないか、そして、それが合気道が道である理由なのではないかとハッとしました。
今、この瞬間において、他人との比較も、過去・未来の自分との比較も存在しない。
それまで僕は、上達すること、右肩上がりに成長すること、未来ばかりに気をとられていたことにようやく気づいたのです。合気道を始めるまで、成果主義や勝ち組・負け組などと、とかく生き残ることが強調される世知辛い競争社会の中で、目に見える形で結果を出し、評価されることばかり意識していた僕にとって、この気づきは衝撃でした。

しかし、そんな気づきがあったものの、依然、僕には「今、この瞬間に生きる」ということが実際のところどういうことなのか、本当には理解できず、その後もややもすると技の上達に気を取られがちでした。
だけど、高齢の先輩方の稽古姿は、否応なしに思い出させます。
どんなに強くなっても、上手くなっても、いつかは衰え、失せてしまうこと。しかし、たとえそうであっても稽古を続けるということの中に、人が生きる上で大切な何かがあること。
そのことを思い起こさせてくれる合気道の稽古は僕にとって貴重な場となりました。

高齢のある先輩は、ことあるごとにこんなことをおっしゃっていました。
「いやぁー、アタシにとって、運動の機会は合気道の稽古だけ。これだけが命綱だよー。」
僕はそんな言葉を聞くたびに、こんなことを思っていました。
「世の中には他にもマイルドな運動があるのに、わざわざこんなタフな運動を選んでするのは、ゼッタイ何かある!」

生きる上で大切なことがあることを、老いは見せてくれている。
そんな気がしながら、稽古を続けていました。

8. ある日の稽古

人間、絶望的な虚無感を抱えたまま、そう長くはがんばっていられません。
技の上達よりも大事なことがあると信じつつも、やはり虚しさを振り払うことのできなかった僕は、やがて無気力となり、それまで熱心に通い続けていた合気道もやめて、ついに自宅にひきこもるようになりました。

ただ部屋で一人ボーっとしていたある日、ふとある日の稽古のことを思い出しました。
それは、あるとき、手術のためしばらく稽古を休んでいた高齢の先輩が、久しぶりに稽古着姿でお見えになった日のこと。
その日、稽古に来ていたのは先輩と僕だけでした。
先輩は僕が入門以来、お世話になっていた方で、小柄で痩せているけど動きは軽快で、稽古のときはいつもポンポン飛び跳ねてはバンバン受け身を取っていました。
が、その日は病み上がりで、すっかり弱っていて、受け身を取られなかった。

そんな先輩をそーっと投げる。
そんな先輩の受けをふんわり取る。

稽古の間中、ずっとそんな調子でした。
以前の僕なら「こんなんで上手くなるわけないよなぁ」とか内心思いながら稽古していたでしょうが、その日は違っていました。

打込む、腕を握る、肩を取る、触れる瞬間瞬間、「ひょっとしたら先輩と稽古できるのも、今日で最後かもしれない」そんな思いが頭をよぎる。
そう思ったとき、目の前の先輩、道場の薄抹茶色の畳、白い壁、道場内の空気、すべてが紗がかかったように白く輝いているように見えて、この瞬間がとても愛おしいと感じました。

稽古のあと、更衣室で、すっかりやつれた体の先輩は着替えながら、かすれ声でこんなことをおっしゃっていました。
「どんどんできないことが増えていくけど、やれることだけをやるだけさ」

そう言って更衣室から出ていく先輩の後ろ姿を見て、
「あぁ、俺もこんな爺さんになりたい」
って思ったことを思い出しました。

誰もいない部屋で独り座っているとき、そのことを思い出して、
「『今、この瞬間だけに生きる』ってあのことだったんだ」
と、今更ながら気づいたのでした。

あとがき

その後、結局、一年余り、自宅でひきこもっていましたが、ある日、ひきこもる前に少しだけかじった ふれあそび の集いに行ってみたくなり、思い切って参加したのをきっかけに、また ふれあそび をやり始めるようになりました。(「持ち寄りパーティ」)

ふれあそび とは、ふれあいをあそぶこと、あるいは、ふれあいであそぶこと。触れることで生じる感覚や動きを味わいながら自由に遊ぶこと、誰でもできるものです。

ふれあそび の集いに通い出して一年ほど経ったとき、ふと合気道の道場で眺めた景色を思い出して、こんなことを考えるようになりました。

ふれあそび は、こどももおとなも、じいちゃんもばあちゃんも、障害の有無も関係なく、誰でも触れ合うことを楽しむことができる。

ひょっとして ふれあそび なら、
あのカッコいい爺さんたちにまた会えるかもしれない。
今度は素敵な婆さんたちにも会えるかもしれない。

いつか僕もあんな爺さんになれるかもしれない。

またあの「庭」を眺めることができるかもしれない。
それどころかもっと面白い眺めかもしれない。

今度またあの美しさを眺めることができるとしたら、
自分の心の奥から一体今度は何が湧き出てくるのだろう?


そんなことを想像しては、ワクワクしてしまうのです。

あの「庭」を訪れることができますように。
2018年 七夕
てつろう拝



【改訂履歴】
- v0.2、2019/08/07 :
  コンタクト・インプロヴィゼーションを ふれあそび に置き換え
- v0.1、2018/07/07 :初出(星空文庫)

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