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》おたおめ まいぶらざー《

FacebookとLINE、cloudのカレンダーは毎日「ともだち」の誕生日を教えてくれる。通知を切っているため、数日後に誕生日だったんだと気がつくことがほとんどだ。

歴史の授業で一番苦手だったのは、年号と日付を覚えること。

恋人と付き合い始めてからも「記念日」を忘れてしまう。以前付き合っていた人から、当時「今日、何の日だと思う?」と聞かれて、「何だっけな?なんかあったっけ?ごめん、それより、今日、何月何日だっけ?」っと答えたことがある。相手は「そういうとこだよ」と笑っていたが、確実に傷ついていた。目の奥が全く笑っていなかった。

とにもかくにも、日付を覚えることが苦手だ。


日付で忘れないのは、兄姉の誕生日くらいだ。

今日は兄の誕生日。

兄が上京して、初めての誕生日のとき(もしくは2回目かのとき)、兄の元で働いているスタッフさん、兄の友人らと誕生日会を開いた。何もしていないが計画の段階から私は参加していた。

その時の誕生日会は、まず、兄の店で地元の友人から届いたビデオメッセージを見る。その後、私と兄は友人たちが集まっている誕生日会に向かう、というものだった。そのときの会場はロータスだった。兄と喋りながらロータスに着いた。

その光景は一生忘れないだろう。

ロータスの2階は兄の誕生日会に駆けつけてくれた人で埋め尽くされていた。階段にまで人が溢れていた。驚きと嬉しさのあまり、私は涙が止まらなかった。

兄を受け入れてくれる人や応援してくれる人が、こんなにも大勢いて、忙しいだろうにわざわざ来てくれたのだと思うと、泣かずにはいられなかった。兄の友達から「何でお前が泣いてんだよ!」っと突っ込まれた。的確なツッコミだ。

ただただ、嬉しかった。

兄との思い出は数えきれない。いいことも悪いこともある。

一時期、紹介されるときに、よく「[兄の名前]の妹だよ」と言われていたことがある。何ともバーター感溢れているが、これがとっても嫌だった。間違いなく妹ではある。妹であることは間違いのないことだ。兄が素晴らしい人であることも間違いのないことだ。

しかし、この紹介の嫌なところは、この紹介により突然、態度を変える人が少なからずいることだった。突然丁寧に接される。話をしていても兄を褒める内容しか言わなくなる。

もちろんだが、私と兄は別人だから、私に兄のことを褒め称える内容の話をされても、私がそれを兄に伝えることはないし、私と仲良くなっても兄の店のアイテムが割引されることはない。兄との商談が進むわけでもない。残念ながら、私から「あ、こういうタイプの人なんだな」と思われるだけだ。


生まれて現在に至るまで、この紹介のされ方をされているわけだが、ここ最近はあまり気にしなくなった。私が勝手に知っている兄の関係者で私が初対面の場合は自分からこの紹介の仕方をしたりもする。なにより、話が早くて便利だ。

毎度ながら「全然似てないね」とは言われ、聞き飽きてはいるが、兄のおかげで友達も増えたし、私の枠組みではまず出会わなかっただろう人とも知り合いになれる。いいこともある。

兄には感謝しかない。

自慢の兄だ。「すごい人ですね」と言われれば、「そうなんですよー。兄めちゃめちゃすごくて」と返事をするくらいには、自慢の兄だ。

兄は何歳になったのだろう。ちょっとよくわからない。今年も兄の誕生日がきた。

今年も盛大に誕生日会が催されたようだ。みなさん、ありがとう。

感謝を忘れてはダメだぞ。兄よ。
いつもありがとうね。
おたおめ まいぶらざー。

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