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責任に関しての学生時代のとある思い出。

私の学部学生時代は「留学」と「起業」がキーワードになっていて、1~2週間海外で過ごしただけなのに「留学」と呼んだり、「学生のうちに起業してれば失敗しても就活に有利」だとか言われていた。

学生起業家なる人たちが現れ、「学生らしいアイディア」「社会を変革する」みたいなのがブームになっていたように思う。こういう波に乗った学生たちは「スタバでマックを開いて作業する」のがイケてると思っていたろうし、実際にやっていた。(今でもこれをかっこいいと思ってたらそれはだいぶ重症だが)

そしてその学生たちは世の中に言う。
「それは思考停止しているのと一緒だ!」
「本質が見えてない!」
この「思考停止」「本質」はこの界隈の流行語のようなもので、このワードを言えばそのディスカッションみたいな場で他の人の意見を断罪して論破して優位に立ってるように見えるのだ。

実際には、声高らかに「本質が見えてない!」と言っている人の見えている「本質」なるものはちっぽけで浅はかで自分勝手だ。
これに気がつく頃には青い学生時代は終わりをむかえている。
「スタバでマック」と同様に、周りの意見をしっかり聞かず、あるはずのない「本質」などを語って論破して相手を傷つけるようなことを学生時代も終わったような人たちがしていたら、その方はもっと周囲を静観し、自分の暴力性に気がつき反省する必要がある。


もれなく私もこの波には乗っていた自覚がある。
「社会起業家」なるものに好感を持ち、その時のメンバーと起業を目指したこともある。学生起業家を目指す人たちが集まる合宿やセッションにも参加して、他大学の学生たちや学生たちを応援するコンサルタントのような人たちとも夜な夜な話続けたりもした。
当時は「朝まで議論した」という事実と達成感、疲労感で充実していたように感じていたが、今思えば、そんなことせず『資本論』でも読破していた方が実のある時間になっていたかもしれない。

私がこれに参加するようになったきっかけにはとある人の活動があった。
その方の話を聞いて「社会を良くする社会起業」に関心を持った。その方と学生を応援するコンサルタント会社が主催した数日間のセッションにも参加して、私も何かできたらいいなと純粋に思っていた。この数日間は楽しかったし、大学とはまた違う環境で充実していた。

その後、憧れていたあの人は不祥事に見舞われた。
少し尊敬の念を抱いていたばかりに失望は大きかった。


しかしそれよりも私が違和感を抱いたのは、学生を応援するコンサルタント会社に対してだった。彼らはその人をマスコットキャラクターとして学生たちを呼び集め、少しは利益が出たろうのに、その不祥事が起きたときに何もしなかった。
本当に何もしなかったのだ。
その方との関係は全くなかったかのように、その不祥事に触れることはもちろんないし、その時集まった学生たちに対しても何もなかった。
学生相手に教育っぽいことを掲げて商売をしているのであれば何かしらのフォローアップが必要だったのではないかと今でも思っている。

私自身はというと、「この人がすごくてね」といろんな人にこれまで出会った社会起業の話やコンサルタントの話を好意的に話したことを後悔した。もしこの時期の私から聞いた話でほんの少しでも人生を狂わされた人には、もう会うことはないだろうけど、今でも申し訳ない気持ちがある。

コンサルタント会社側の気持ちがわからないわけでもない、ような気もする。
契約期間はすでに終了していただろうし、不祥事を起こしたマスコットキャラクターとは無縁だとしておきたいだろう。イメージがほとんど全てのコンサルタント業界であろうから汚点が見えてしまっては困る。汚いことは必死に隠して、綺麗な部分と口当たりのいい部分を魅せる、それが彼らの仕事だったのだろう。

人間としてはどうかと思う。
一定期間ではあるが当人と関係して、それを売りに学生に対して教育なるものをしていたのに素知らぬ顔をする。不祥事を起こした当人には制裁が下ったが、彼らは知らない人を装う。それでいて「学生を応援する」と謳う。(ある意味ではこういう場合の逃げ切り方を身をもって教えてくれたとも言えるのかもしれない)

人間は忘れる生き物だから、忘れるのを待っているんだろう。
いまさら彼らになにかしてほしいとも思わないし(おそらくこれも彼らが狙っていた見解だろうが)、彼らもすでに解体してしまっているのでどうしようもない。


なにか問題が起きたら責任が問われる。
責任の問い方や問われ方、追及の範囲は難しいのはそうだ。
他方で、誰にまで責任を問うのが適当かを認識できているかどうかに誠実さがあらわれるのではないだろうか。

不祥事を起こした当人の責任は問われる。
その周りにいた人は責任がないのかと言われればそうではない。
積極的に関与していれば尚更、当人でなくても責任が問われるのは当然だ。
そんな場において「私は知らなかった」「私とは無関係だ」と言ってしまうのは、全く良くない。加えて「不祥事を起こした当人の責任を追求するだけに終止するのではなく」などと言って、当初の問題から目を逸らさせるのはお門違いの反応だろう。

最近はいろんなことがあり、昔のことを思い出した。
この話はもうこれまでにしておこう。

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