同性愛 時々 異性愛 ~4話~

『もしもし』
『もしもし、夏南?今私どこにいるんだろう......。』

 困惑したような声を出す莉子。先ほどの荒々しさはなく、この話し方はまさしく莉子であった。

『莉子?莉子だよね?』
『う、うんそうだよ。さっき夏南と電話したようだけど私記憶がなくて。』

 私は心の底の深くからため息を吐き出した。安堵共にこれから先の未来への不安が私を襲う。

『迎えに行くからどっかお店に入って。』

 私は上着を持って急いで靴を履いた。

『ここら辺コンビニしかないの。』
『コンビニでいいよ。マップ機能で現在地を確認して送って。』

 私が告げると莉子は言う通りに行動し、私に現在地を送ってきた。
 私はタクシーを拾って莉子の居るコンビニまで向かった。よかった、男に莉子を取られなくて、と束の間の安心感を覚えつつ今後も起こりうる様々な危険を安易に想像して安心感が簡単に霞んでしまった。

 私がコンビニに到着すると、莉子はぼーっとして陳列された商品を見ていた。その眼差しには力を感じられず、虚ろな眼差しと言えば適切であろうか。

「莉子。」

 私は莉子の隣に駆け寄った。私を見つけた莉子の目にはやはり覇気はなく、疲労が読み取れる。今すぐにでも抱きしめたかったが人目を気にしてそれはやめた。

「夏南、ごめんね。なんか私変なの。」

 私の姿を見てほっとしたのか、泣きそうな顔で私を見る莉子。自分に何が起こっているのかわからず困惑しているのだろう。莉子よりも多くの現実を知ってしまった私は、莉子が知らない悲劇まで背負ってしまった。

「わかってるよ。帰って話そう。」

 普段なら人目を気にして繋がない莉子の手を取り、私はコンビニを出て先ほどのタクシーに乗った。莉子はぼーっとしているようで、繋がれた手に抵抗もせず何も話そうとはしなかった。私が強く莉子の手を握っても全く反応はなく、なんだか莉子は魂の抜けた人形の様であった。
 莉子のアパートに着きタクシーの精算を終えて私たちは莉子の家に帰った。

「夏南、家に来ていたの?」

 私が仕事用のバックと少しの衣服を夏南の家に置いていったのを見て、莉子は言った。どうやら昨日の記憶は莉子にはないらしい。

「うん」

 私は上着を脱いでソファーに座った。

「夏南、隣に来て。」

 私が家に来るという報告を受けていたかなと記憶辿る莉子を、私は手招きして隣に呼んだ。莉子は私の隣にゆっくり歩いてきて座った。

「昨日の夜も私は莉子の家に来ていたけれど、記憶はない?」

 莉子は驚いた顔をして私を見た。

「昨日……。何故か思い出せないの。今日も気が付いたら知らない人と歩いていて、男の人だったから焦って逃げちゃった。」

 男性に嫌悪感を持つ莉子はその時のことを思い出し身震いしていた。自分を抱きしめる莉子の背中を私は摩った。

「莉子、落ち着いて聞いてね。」

 私は莉子の耳元でなるべく優しい声で言った。

「莉子はね、昨日違う人になっていたんだよ。」

 息を飲み目を見開き一点を見つめて私の話を聞く莉子。放心状態とは異なり、驚きの様子だった。受け入れ難い事実なはずなのに、まるで自分の中で散りばめられた疑問の点が一本の線で結ばれた様な感覚があるのだろう。

「私も詳しくは分からないけれど、莉子の体に他の人の人格が現れたってことだと思う。」

 莉子は自分を強く抱きしめなおした。自分の二の腕を強く握り、それでも莉子の手の震えは抑えきれていなかった。自分が知らないところで知らない人間になると言うことは、想像するだけで表現の難しい恐怖を得ることが出来る。自分の体を乗っ取られた気分だろう。

「夏南に変なLINEを送っていたり、電話をかけたりしていてもその記憶が私にないのはそういうわけだったのね。」

 私は莉子の肩を抱いた。

「今度一緒に病院に行こう?もう予約はしてあるしその日は有給取ってあるから。」

 莉子の手に上からそっと触れた。すると私たちの指は混ざり合い熱が帯びた。
 触れたことで生まれた熱も、結局は私たち個人の熱である。離れてしまえば相手の熱などすぐに忘れてしまう。

「ありがとう。」

 莉子はそう言って私に抱き着いた。
 私が強く抱きしめ返すと、莉子の体の震えが伝わってきた。自分が誰になりどんなことをしているのか分からない恐怖は想像するだけで、ブラックホールのような暗黒さと規模の大きさがある。不安も恐怖も現実も全て吸い込まれてしまえばいいのに。

「私、夏南のこと傷つけていない? 大丈夫?」

 私は先ほどのサチの存在を思い出した。記憶を蘇らせるだけでサチに対して怒りが沸いて来る。けれどサチの存在は莉子には打ち明けることが出来ない。自分の人格が異性との交流を好んでいるなんて事実を知ったならば、莉子自身が多大なるショックを受けることは想像するに容易い。

「大丈夫だよ。」

 今自分の顔が莉子に見られていなくて本当に良かったと思う。今の私は莉子の中に潜んでいる人格たちに対して、嫌悪感しかない。そんな自分を知っているからこそ愛しいはずの莉子を見ても、莉子全てを愛せないことへの罪悪感が生まれてくる。だから今の私は胸を張って莉子を愛していると言うことが出来ないのだ。今私の表情を見られてしまえば莉子にはきっと私の心情はばれてしまうだろう。

「もしかして今日私、仕事行ってないのかな・・・。」

 莉子は私の胸元から離れながら顔を青ざめて言った。

「会社から連絡ないの?」

 自分が上司からの連絡を無視しているかもしれないという予測に焦りながら、莉子はスマホを急いで取り出して上司から連絡が来ているのかを確かめていた。冷汗をかいて動揺する莉子を見て、私は不謹慎だと自覚しつつも可愛らしいと思ってしまった。

「……連絡来てた。」

 莉子は自分が仕事を無断欠席していること、そして上司からの連絡を既読無視していることにかなりのショックを覚えたらしい。莉子は顔を手で覆い、スマホを机の上に置いた。

「なんて言おうかな・・・。」

 莉子は上司に自分の状況をどう説明しようか頭を悩ませていた。普段自分を取り繕ったり嘘を付かない莉子は、人間関係においてうまく立ち回ると言うことがあまり得意ではない。真実を話しても信じてもらえなさそうな今の状況をどう説明するのか深く考え込んでいた。

「嘘をつく必要はないんじゃない?」

 私は以前莉子から聞いた上司の話を思い返して言った。話を聞く限り莉子の上司は莉子のことをよく理解してくれる、いい人ばかりだった。私の上司とは対極的だ。

「でも信ぴょう性はないよね。」

 莉子ははぁとため息をついた。人格が急に変わってしまう病気。それは気持ち次第で治せるんじゃない? と片付けられてしまうことが多い。根性論が称賛され、精神的な病気への認知が低い日本では余計にそうだ。

「医者に行くまでは自分の現状が分からないって言ったいいさ。」

 莉子はうーんと考え込んでいた。莉子が困り果てているにも関わらず、私は莉子と久しぶりに会えたことに喜びを覚えていた。恋人同士、二人で織りなす空気というものがある。心地が良いこの空気は、私を眠りへと誘った。眠らずに莉子と話しをしていたい、という思いとは裏腹に眠気の波はどんどん大きくなって私を飲み込む。

「夏南、眠いの?」

 睡魔に抗い目をいつも以上に大きく開けたり、欠伸をしたりする私の様子を見て莉子はくすっと笑った。

「昨日寝てないんだ。」

 私は莉子の肩に頭を乗せた。ふわっと香る莉子匂い。昨日から一緒に居たはずなのに久しぶりに感じた。莉子は私の頭を優しく撫でる。

「見捨てないでいてくれてありがとう。」
「え?」

 突拍子もない莉子の言葉は私に訪れていた暖かい睡魔を吹き飛ばし、莉子の頭から顔を持ち上げさせた。

「見捨てるって誰を?」

 莉子の口から聞くなんて想定していなかった重い言葉で、私は莉子を見た。
 けれど私は自分が莉子の中にいる人格に遭遇することで生まれていた、自分の持つ莉子への愛情の自信の喪失を思い出した。見捨てるわけがない、なんて顔をしているが昨日から何度も私の頭を掠めていた別れという言葉。そんな心中を莉子に見破られた気分になり、私はより一層莉子を離したくないという気持ちに駆られた。

「普通だったら人格が変わる恋人なんて、嫌になって逃げ出すに決まっているでしょ?でもこうやって夏南はそばに居てくれる。」

 莉子は私の頭をぎゅっと抱きしめた。莉子に対して愛が無くなるなんて一瞬たりともなかった。けれど今の私はその愛が本物であるかの自信は持てないし、莉子以外の人格に例え愛着は持てたとしても心の底から愛することはできない気がする。私が愛しているのはこの世でただ一人、莉子なのだから。莉子以外の人格を受け入れない、それは本当に莉子を愛していることになるのか? と問われれば私は忽ち口を噤んでしまう。

「離れないよ。」

 私はそう弱々しく返事をした。愛しているよとは言えなかった。内面が変わっただけで自分の愛情に自信がなくなる私が愛しているよ、なんて図々しく言えない。

「でもね、夏南。もしも私があなたを傷つけるようなことをしたら、一目散に私から逃げて欲しいの。」

 私は莉子を腕の中から解放し、莉子の両手を握る。莉子は至って冷静で恋人に対して自分から逃げろ、なんて言っている人間とは思えなかった。

「何言っているの?」

 私は莉子の意図を理解したくない一心で言った。
 私を突き放したいと思っているのならばもっと嫌悪感を出してほしかった。けれど莉子は否定も拒絶もしなかった。ただ私に判断を委ねている。そんなことをされたら私が莉子から離れたくないと思うと、莉子はわかっているはずだった。

「そんなことできるわけがないじゃない。」

 莉子は悲しげな表情で私を見ていた。
 私を遠ざけたいならばそんな悲しい表情をしないでよ、その言葉が私の喉の奥に引っかかって、苦しくて仕方なかった。莉子の優しさで器官がぎゅっと握りしめられているようだった。


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