同性愛 時々 異性愛 ~10話~

「お疲れ。」

 私の同期で入社当時からなにかと世話になっている本郷誠二が、仕事中に私の部署に訪れ私に話しかけてきた。部署は違うが、以前あるプロジェクトで一緒に仕事をしてからは、話すことが苦にならない程度には私たちは打ち解けていた。本郷は男特有の上から目線な態度や、欲求をぶつけてくる気持ち悪さをあまり持っていない男であった。だから私は本郷に対しては特に嫌悪感も抱かず、一緒にいれることが出来た。

「お疲れ、どうしたの?」

 私はパソコンに向かうのをやめて本郷を見た。

「201会議室の鍵ってこの部署で保管していたよな。」
「うん、借りたいの?」

 私は椅子から立ち上がった。

「できれば借りたい。どこの会議室もいっぱいなんだ。」
「会議が多い時期だもんね。」

 私は201会議室の鍵が保管されている給湯室近くの鍵置き場まで歩いた。本郷は律儀に部署の人間に挨拶しながら私の後を追っていた。

「この紙に使用用途と名前書いて。」

 鍵置き場の前に到着すると、私は近くの棚の中に入っていた鍵の使用承諾願いを一枚出して本郷に渡した。

「案外厳しいんだな。」

 本郷は承諾願いの内容を読み文句を言いながらも、その紙を受け取り近くの壁を机代わりにして記載を始めた。

「鍵がなくなった時、犯人探しからするのは面倒でしょ。」

 私も内心この使用承諾願いを面倒くさいと思っているが、以前誰かが鍵を紛失して未だに見つかっていないという話を聞いてからは書く手間を省かなくなった。

「俺は無くさないから安心して。」
「当たり前よ。」

 自信ありげに鍵を私から受け取り、ポケットに入れた本郷。意外にも達筆なのだなと本郷が書いた使用承諾願いを見て私は思った。

「ねぇ、東。」
「ん?」

 私は本郷の書いた使用承諾願いに不備がないことを確認すると、顔を上げて本郷を見上げた。

「今日の夜空いてる?」

 本郷はポケットに手を入れて私に聞いた。
 私の頭には一瞬莉子のことが過った。けれど急いで帰ったところでその時の人格は何かも分からないし、莉子以外の人格ならば私はコミュニケーションをとる気にもならない。急いで帰って莉子が失踪しないように見張らなきゃ、という緊張感はもう私の中には無かった。何かあればGPSで探し出せばいいやという安直な考えでいた。

「ないよ。どうしたの?」
「話したいことがあってさ。」
「珍しいね。」

 本郷の様子からは変な下心は感じなかった。きっと仕事のことで何か話があるのだろう。

「いいよ、定時の時間にエントランスで会おう。」
「おっけー。ありがとな」

 本郷はそう言い残すと私の部署の人間に一礼し、自分の部署へと帰って行った。

 定時までに仕事を終わらせるという目標が出来た私は一層仕事に集中した。数時間後集中力が切れてスマホを見ると、何時に帰って来るの? と端的なLINEが送られてきていた。きっとこの文面はリンだろうと私は分かった。

 私は返事をせずにスマホを閉じた。無視することにも罪の意識を感じないほど、私は今の生活に飽き飽きしていたのだ。勿論、莉子への愛は少しも揺らいでいない。最近では難なく莉子以外の人格にも、気持ちを無にして対応することが出来ている。けれど、今の私たちの関係が最善のものであるかどうかは分からない。恋愛をしていると断言できる自信が、私にはなかった。なぜなら私は最近少しも莉子に触れていないのだ。

 愛情表現=性行為、だとは思わないが愛情表現≒性行為ではあると私は思っている。それに私は、最近莉子に対して少しも性欲が沸かないのだ。性欲も情と同じで正直なのだろう。触れても何をしても莉子は元の莉子には戻らないと言う刷り込みが、私に虚無感を与える。何もかも無意味だ。  

 その空白感が今の私の行動の軸になっていた。
 定時の時間が近づき自分の終わらせた仕事の量に満足すると、私はパソコンを閉じた。上着を羽織り荷物を確かめてからエントランスに向かう。

 エントランスではもう既に本郷が私のことを待っていた。私は本郷に近づきながら
「ごめん、待った?」
と声をかけた。

「いいや、全然。」

 私が追いついたことを確認すると、本郷は歩き出した。

「てきとうな飲み屋でいいよな?」
「おなかペコペコ。なんでもいいよ。」

 会社を出て本郷はきょろきょろして居酒屋を探す。近くに飲み屋街があるので、本郷はすぐに居酒屋を見つけて歩き出した。本郷と私が歩いているのを見て、同じ会社に勤める女社員たちがひそひそと小声で何かを話していた。本郷はそれなりに女社員たちから人気がある。変な噂を立てられても迷惑だな、と思いながら私は本郷と少し距離を保って歩いた。

 早い時間だからか居酒屋にはスムーズに入れた。私たちは適当に料理とお酒を注文し、しばらく他愛もない話をしていた。話題には困らないぐらい、私たちは気が合う。いい同僚という関係がぴったりだった。料理とお酒が運ばれてきて、二人がいい具合に酔ってきたとき、本郷は意を決したように背筋を伸ばし私をじっと見つめた。

「東」
「何?」

 普段本郷は言葉を詰まらせるようなことはしない。けれど今は何かを言おうとして口を開けたり、私の顔色を窺ったりしていた。突然変わった空気感につられて、私も背筋を伸ばした。

「どうしたの、珍しい」

 私は本郷の様子を見て笑った。

「真面目な話なんだ」

 私が笑ったことに対して怒っているらしく、本郷は眉をハの字にした。

「聞くって言ってるじゃん。早く言ってよ」

 本郷は大きく息を吸って吐いた。そんなに気合いを入れて何を話すんだ、と私は未だに本郷の様子を笑って見ていた。

「好きだ。」

 しかしその本郷の言葉で私の笑いは引っ込んでいった。
 あれ? 私たちって恋愛感情とか沸くぐらいの間柄だったっけ? と本郷の告白を聞いて私は不思議に思った。ああそうか、冗談か。そう思いなおして本郷を見ると、本郷のどんなに厚い壁も貫通するほど鋭利な槍のような眼差しを受け、私はその“冗談”という言葉を脳内から消し去った。私の脳みそに確実に届き、私のことが好きなのだと私の脳内に刷り込むような勢いでその槍は飛んできた。

「え、私を?」

 私は我に返り自分を指さすと本郷は頷いた。

「あー……。そっか……」

 私は自分の頭を掻いた。唐突に居酒屋に誘い話があると言われてこの展開を予想していなかった私は、相当な馬鹿だ。
 けれどそれは私が同性愛者であり、本郷が自分の恋愛対象ではないからである。本郷のことは嫌いではないが、その告白を受け入れることが出来ないと断らなくてはいけない。

 本郷は私が同性愛者と知っても言いふらしたりするような奴ではないだろうし、と私は自分が同性愛者であることを打ち明けようと決めた。

「俺じゃダメか?」

 私の気の乗らない反応を見て本郷はシュンとしている。
 細身でスマートで仕事が早く女性社員から人気を得ている本郷が、何故私なんかに告白をしているのだろう。自信なさげに肩を落とす本郷を見て、私は彼から受けた謎の好意に疑問ばかり浮かべた。

「いや、本郷がっていうことじゃなくて。」

 必死にフォローする私をつぶらな瞳で見つめる本郷。なんだか意地悪をしている気分になった。私ははぁとため息をついて、ジョッキを手に取りビールを喉に流した。

 勢いよくジョッキをテーブルに置いて私は様々な不安を吹っ切った。

「私、同性愛者なんだよね。」

 周りの目を気にすることなく私はなるべく冷静を装って言った。きっと本郷は驚きの表情を浮かべて私を拒絶するだろう。私は普通ではないのだから。

 しかし私からカミングアウトを受けても本郷は驚いた表情を浮かべず私への拒絶反応を示さなかった。
 あれ? なんでそんなに驚かないの? と思わず言ってしまいそうなほど本郷の表情は変わらなかった。まるで私が同性愛者であることを知っているようだった。

「それでもいいって言ったら?」
「は?」

 私の話を本当に聞いていたのだろうか? そんな風に思ってしまうようなことを本郷は口走り、私は間抜けな声を上げた。

「俺性欲とかないし、東のことは好きだけどやりたいとは思わない。東がどこの女性と恋愛しても良いから、俺と結婚して欲しいんだ。」

 どこの女と恋愛しても良いから結婚しろ?

「本郷ってホントに私のこと好きなの?」
「うん。」

 好きな人が誰と恋愛してもいい、そんな感性を私はまったく理解できない。

「東のことが好きだからそばに居て欲しいんだ。奥さんになって俺と協力して生きていって欲しい。でも外でほかの女性と関係を持ってもいいよ。」
「意味がわからない。本郷もしかして、親に早く結婚しろってとやかく言われて手当たり次第に口説いているんじゃないの?」

 私は腕を組んで言った。

「親はもう死んだ。」

 本郷は空になったジョッキの底を見ながら言った。その色のない声で、私は触れてはいけないことに触れてしまったんだと気が付いた。

「ご、ごめん。」

 私は常日頃から自分の恋愛対象は普通ではないのだと自負していた。それは少数派の人間であれば当然ことで、差別を受けることは日常茶飯事だ。両親でさえ私を軽蔑していた。そんな境遇にいる私が本郷の恋愛の嗜好にとやかく筋合いはないと、私こそ強く念頭に置くべきはずなのだ。

「俺、性行為には興味ない。ただ好きな人にそばに居て欲しいんだ。変わってるってよく言われるけど、独占欲もなければ執着心もない。」
「本当に私がほかの女の子と性行為してきても文句言わないわけ?」

 迷いなくうなずく本郷に私は頭を抱えた。自分の愛の形とは全く異なる本郷の感覚は、理解に苦しむ。そんな愛の形もあるのだ、といくら自分に言い聞かせても頭の中は疑問符でいっぱいだ。


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