同性愛 時々 異性愛 ~13話~

 やってしまった、と私は自分の発言をだいぶ後悔した。
 ここまで感情的になって発言してしまったのなら私は莉子のこと、そして自分の心情をマコに話さなくてはいけない。

 ため息をついて私は顔を上げた。心配そうな顔でマコは私を見ている。酔っぱらった頭でも、自分の発言がいかにマコを傷つけているか分かる。今まで現実から目を背け、莉子以外の人格と向き合うことを恐れ逃げてきた私こそ、被害者面をしていると言ってよい。真実を伝えなくてはいけない、私は鼻から息を吐き一瞬だけマコに笑顔を見せた。

 私の笑顔で少しだけ安堵したマコは、私の目の前に膝を下ろした。

「マコは解離性障害っていう病気なんだよ。多重人格とも言う。」

 マコは自分の口元に手を置いて言葉を失っていた。きっとマコは必死に記憶をたどっていた。そして私の言葉を否定しないところからするに、心当たりがあるのであろう。

「マコは莉子って言う人の中に突然現れた人格だ。」
「そっか……。」

 マコは自分の前髪をかきあげてうつむいた。

「私は莉子を愛している。」

 そんな言葉をマコに言うのは間違っているような気がした。でももう後には引けない。

「他にも人格はあるの?」
「あるよ。」
「やっぱり、そうなんだ。」
「やっぱり?」

 私はマコの言葉を反復した。

「最近時々記憶がなくなるし、夏南もそっけなくなったなと思っていたの。まさか私が本当は存在しない人間だったなんては思わなかったけどね」

 マコは自分のことをあざ笑った。

「それでストレスためてお酒いっぱい飲んできちゃったの?」

 その問いに私は首を横に振った。

「違うよ、誘われたんだ。」

 私は本郷のことを思い出した。本郷にプロポーズされたことをマコに話すべきか否か判断できる知能は、今の私にはない。怒って暴言を吐いた後の疲労感で自制のたがが外れた。

「そこでプロポーズされた。」

 マコの目がゆっくりと大きく開かれていく。酔っぱらって後先も考えずに発言していた、とは言い切れず、心のどこかではマコに現実を植え付けて二度と莉子から出てこないようにすればいい、とすら思っていたかもしれない。

「大阪に出張だから、一緒に来てくれって。」
「男の人?」

 マコは私とは目を合わせず、涙を浮かべながら聞いた。

「うん、そうだよ。」
「でも夏南は同性愛者でしょ?」
「そう言ったよ。そしたらそれでもいいから結婚して欲しいんだって。」

 マコの表情からは隠し切れない絶望がにじみ出ていた。けれど私には良心というものがないのか、マコに対して申し訳ないと思う気持ちが全くもって生まれない。自分がどんな発言をしているのか、顧みる余裕がなかった。

「結婚するの?」
「まだ決めてない。」
「そっか。」

 マコは立ち上がってリビングに向かった。

「夏南、ちょっと来て。」

 マコはこちらを見ずに言った。その声には色がなく莉子と重なる後ろ姿で、私は一瞬ドキッとした。もしかしたら今までも莉子だったのではないか、そんな思いが生まれる。

 私はマコの後を追ってリビングに向かって歩き出す。リビングに入ると、リビングがいつもより綺麗な気がした。綺麗になった部屋をじろじろと見ながら、私はソファーに腰を掛けた。

「今日はね、私と夏南が付き合った記念日だったんだよ。私の中では。」

 マコは台所に行っておいしそうな料理たちを運んできた。チキンやグラタン、パスタ、そして手作りケーキ。

「だから夏南は何も言わなくても早く帰ってくると思っていたの。」

 机の上に並べられた料理たちは見た目が華やかで、手が込んであることが一目瞭然だった。

「でも私が架空の人物ってことはこの記念日も私にしかない記憶なのよね。」

 私の隣に座ったマコは私の方をちっとも見ずに、ただ一点を見つめて涙を流した。

「私、今日一生懸命掃除して夏南が好きな物作って待っていたの。最近夏南は仕事ばかりで疲れているから、少しでも元気出たらいいなと思って。」

 マコの涙はとどまることなく流れ続ける。その涙を拭う資格が私にはない。

「私、自分が夏南に愛されている奥さんだと信じていたの。だからこんなにも夏南のこと思って行動できた。でも現実は違う。夏南は私のことなんて愛していなかった。」

 違う、そんなことない。なんてもう今更私は言えなかった。

「夏南、ごめんね。今まで一緒に居てくれてありがとう。」
「待って、お願い待って。」

 立ち上がろうとするマコを私は必死に抑えた。

「なんで止めるの? 私は夏南の好きな人じゃない。夏南が好きなのは莉子って人なんでしょ?」

 何も言えなかった。けれど私は必死でマコを抑えた。マコはもう動くのをやめて私に向かい合った。そして私の手を握って笑顔で話し始める。

「ねぇ夏南。私は夏南がどこかで生きてくれているだけで幸せなんだよ。」

 マコが話す口調は莉子に似ていて、私は涙を抑えきれなかった。

「もちろん、私が一緒ならもっと幸せだけど。でもね、私は夏南が幸せである未来の方が愛おしくて仕方ないの。夏南、こんな人格が入れ替わって貴方に負担をかける私なんて捨てて、プロポーズ受けなよ。そして幸せになって。」

 私はその言葉が莉子から告げられた別れの言葉のような気がして、急いでマコを抱きしめた。

「辛かったでしょ? ごめんね。」

 私を抱きしめて優しい声で私をなだめるマコ。私の心にどじゃぶりの雨が降った。雨粒たちが私に別れの痛みを与えようと必死で地面におちていた。おかげで雨粒たちは地面で跳ね返っていた。

「もう楽になって?」
「ううん、いやだ。行かない。別れない。」

 私はきつくマコを抱きしめた。

「だめだよ。」
「嫌だ!」

 先ほどまでの自分の態度を忘れて私は悪あがきをしていた。こんな私に優しい笑顔を向けるマコなら、きっとこの悪あがきを受け入れてくれるだろう、という軽率な思い込みが私の中にはあった。

「これも全部食べる。」

 私はマコが作った料理を無心で食べ始めた。

「冷蔵庫に入れていたからもう冷めてるよ。」
「いいの。」

 必死で頬張る私の姿をマコは笑って見ていた。その笑顔を見て私はその場限りの安心感を得た。

「私も食べようかな。」

 マコは涙を拭い、いただきますと一言言ってから自分の作った料理を食べ始めた。

「美味しい?」

 その問いに私は頷いた。泣いた後特有の意識の離れが生じているからか、正直味が分からない。でも今の私にできることと言えばこんなことぐらいしか思いつかなかった。

 食の細い私がこんなに無理やり腹に食事を詰め込むのは、本当に稀だ。アルコールの次は食事かよ、と体も悲鳴を上げている。

 それでも隣に居るマコが莉子の様で、先ほどマコに対して吐いてしまった毒をもう消し去ることは私にはできない。結局マコを引き留めたのも、莉子と重なってしまったからだった。

 莉子の中にいる他の人格たちとどう向かい合っていけばよいのか、私には分からない。もう私には莉子を愛する資格がないような気がする。その証拠に、マコは少しも私を見ようとはしない。

 莉子を失いたくない執着心の塊である私は、これからどうやって生きていけばよいのだろうか。取り戻したい信用を私はどこかに放り投げてしまった。それをあてもなくまた見つけ出そうと必死に探すように私は、食べ物を体内に入れ続ける。

 マコは一度も私を見ようとはしなかった。
 どうしよう、私たちは、少しも幸せじゃない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?