同性愛 時々 異性愛 ~3話~

 家に帰宅しシャワーを浴びて着替えている間、私は一瞬も莉子のことを忘れることが出来なかった。一睡もしていないにも関わらず睡魔は襲ってこない。脳みそがやけにはつらつとしていて、昨日から今日にかけてあった出来事を鮮明に思い出させる。

 もし私の知らない莉子の人格が、私がそばにいない間に現れて莉子がどこかに行ってしまったらどうしよう、という恐怖が常に私の中にあった。メグぐらい外に出ることに嫌悪感があればまだ安心なのだが、莉子に現れる人格を網羅できていない私は、起きるかどうか分からない様々な予想を立てては自分の首を絞められた感覚に陥り、人目を気にしないのならば悶絶躄地を体現したい程苦悩していた。

 少しも仕事ははかどらず、私は自分自身に苛立ちを募らせながら家に帰るチャンスを伺っていた。上司に有給を申請し厭味ったらしい態度をとられても、不思議と私は何も感じなかった。私の置かれている状況を少しも知らない上司にどんな真っ当なことを言われても、私は聞く耳を持てなかった。蚊帳の外に居る上司にどんなに脅されたって私はちっとも怖くないのだ。身にならない説教を受ける無駄な時間を過ごしたのち、時計を見ると16時を回っていた。

 私は急いで帰り支度を済ませ職場を後にした。誰かに声をかけられたような気がしたが、きっと気のせいだ。普段使うことがあまりないタクシーを二日連続で拾い、私は莉子の家へ向かった。スマホを見ても莉子からの連絡は来ていなかった。これは良き兆候なのか悪い兆候なのかは分からない。メグの人格のままでいてくれたらどれだけ良いだろう。私は興味もないSNSを見て気を紛らわしていた。

 タクシーが莉子の住むマンションの前に止まり私は清算を済ませ莉子の部屋へと向かった。呼び鈴を鳴らしても莉子は出てこなかった。
 もし未だメグならば呼び鈴には反応しないだろう、と私は落ち着いて考え合鍵で莉子の家へと入った。

「ただいまー」

 私はあえて名前を呼ばずにリビングへ通じる廊下を歩いた。返事はなくやけに家の中は静かで、私の背中に伝る汗の音すら聞こえそうだった。リビングに入るとそこには莉子の姿はなかった。寝室を見ても莉子はいない。

 私は全身の血の気が引くのを感じた。あらゆる不幸を想像し脳みそまで震えあがった。もしかして莉子の人格に戻り仕事に行ったのかもしれない、と私は考え直しスマホを取り出して莉子に電話をかけたが、莉子は電話には出ない。何度もかけたがそれでも一向に莉子は電話には出なかった。

 やはり仕事になんて行かず莉子を見張っていればよかった、そんな後悔が私の心の中で渦巻いた。スマホが家にないことから、莉子がスマホを持って外を出歩いていることだけは分かった。しかしGPS機能を付けなかったせいで、今やそのスマホは私にとってただの重い箱と化している。時間がない中でもGPS機能を付けて居場所がわかるようにするべきだった、そんな取り返しのつかない後悔だけが無限に地面から沸いて、私の体に躊躇なく伸し掛かる。

 探し回るにも当てが多すぎるため、しばらく家で莉子からの連絡や莉子の帰りを待っていた方がよいだろうと判断した私は、ソファーに腰かけ冷静を取り戻そうとした。額を抑えて肘を足に押し当て、うつむいた状態を保ったまま数分が経過した。

 寒い真冬であるにも関わらず床に汗が一滴落ちて行った。汗を拭い顔を上げた私は目の前の机に置かれたスマホを凝視していた。冷静さを取り戻そうとあらゆる思考を手放した私に、睡魔が襲ってくる。

 もはやこれは現実逃避な気もするが昨日から一睡もしていないので当たり前か、と私は睡魔に抗うことをしなかった。閉じ始める瞳のせいで狭まる視界、遠のく意識。夢と現実の狭間の心地よさにひと時の苦しみからの解放を感じていると、私を現実に引き戻すスマホの着信音が脳内に響き渡った。はっとして私は睡魔を弾き飛ばしスマホを手に取ると、表示画面で莉子からの着信であることを知り急いで電話に出た。

『もしもし、今どこ?』

 私は電話に出るや否やすぐにこの問いかけをした。

『どこって、いつものクラブだけど?』

 なんだか莉子の言葉遣いは奔放さを感じる話口調であった。

『クラブ?』

 莉子は普段夜遊びなんてしない。きっと今の莉子の人格は莉子ではない。

『そうだよ。なんか用事?』

 不機嫌そうに莉子は言った。

『何時に帰って来るの?』

 莉子の今の人間性を掴めない私は、距離感を間違ってしまわないよう必死だった。

『週末はいつも帰らないでしょ?』

 帰らないと詫びることもなく告げる莉子に、恋人が外泊をすることなんて許せるわけがない、と私はついカッとなった。

『何言ってるの!?ダメに決まっているでしょ?』

 そう叫んだ後に私は言い過ぎたと思い自分の口元を抑えた。今の莉子の人格が果たして私を恋人として認識しているのかなんて分からないのにこんな束縛するようなことを発してしまえば、今の莉子の人格と私との信頼関係が危うくなる。

『は?』

 案の定、莉子は私の発言に苛立ったらしく不満の声を漏らしていた。

『夏南は私の保護者? ただの同居人の癖に口出さないでよ。』

 ただの同居人、そうか今の私と莉子の関係はただの同居人なんだ。私にとってその言葉は、なんて寒々しい言葉だろう。

『ごめん、ちょっと心配だったの。』

 私はそう答えることが精一杯であった。

『もう大人だし、心配なんてしなくていいから。』

 莉子の電話口からは複数人の男の声が聞こえた。

「サチちゃん早くおいでよ~」
「うん、今行くね」

 莉子は男に返事をしていた。今の莉子はサチという人間で、男性を恐怖の対象とはしていない。今の莉子の男への言葉の発し方を聞くと、むしろ恋愛対象は男であるようだった。そう推測した私は自然と涙を流していた。制御できない真夏の汗のように滝の如く流れる涙は、いつか見たアニメの悲劇のヒロインの涙のように非現実的だった。

 私は今の現実を簡単には受け入れられそうもなかった。自分の大切な恋人が、これから見ず知らずの男と戯れ、きっと性行為をしてくるのだ。いつも私が触れることが出来ないところまで男に侵食される。嫉妬なんて言葉じゃ表現できないほどの憎しみが、私の心に生まれた。

 今すぐ莉子に触れた男どもの前身の皮膚をはぎ取って、二度と莉子を感じることが出来ないよう脊髄を通る神経を切ってやりたい。地獄でも味わえないような屈辱や苦しみを与えて、叫喚地獄と言っても表現が足りないほどの無間地獄に陥れてやりたい。通話の切れる男が、自分の理性の切れる音の様だった。

 同性愛者である莉子に、自分の体が男に弄ばれたことが知られてしまったら莉子は生きてはいけない。彼女はそれほどまでに男性に対し強い恐怖心を抱いている。もしサチとさっきの男の行為中に莉子の人格が戻ったら、莉子は一体どうなってしまうのか。

 想像するだけで自分の思考回路を壊してしまいたくなるほど、彼女を襲う悲劇は残酷だ。今すぐにでもサチのもとに行って連れて帰ってきたい。しかし今莉子がどこのクラブに居るのか、はたまた今クラブにいるのかすら分からない。もうすでに行為は始まっているかもしれない。

 そう思っただけで体中を流れる血液が沸騰し内臓が爆発するほど怒りがこみあげてくる。怒りに満ちると人は震えあがるのだなと自分の手を見て知った。自分の取るべき行動は果たして何なのか、私は考え続けた。けれど具体的な解決策は見いだせずに、価値のない嫉妬心だけは底なしに沸いてくる。

 居てもたってもいられず立ち上がったり座ったり頭を掻きむしったり私はだいぶ落ち着きがなかった。いっそのことこのまま死んで楽になりたいとすら思った。

 悶絶しあれやこれやと考えていると、再びスマホが震えた。私はすぐさま誰から来た電話なのかを確認することもないまま電話に出た。走ったわけでもないのに心拍数は全力疾走をした時のように早かった。

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