同性愛 時々 異性愛 ~8話~

 私の両親は熱心なカトリック教徒だった。そのため私は幼い頃から毎週日曜は教会に行き、ミサに参加することが義務付けられていた。生まれてすぐに洗礼も受けているらしいが、幼い頃からやんちゃで信仰心もなかった私は神様やキリストを信じてはいなかった。厳格な父は私の態度が気に入らず、反抗する私に親とは思えないほどの厳しい躾をしていた。  

 出来の良い兄は父親から可愛がられ、いつも私を悪者に仕立てる。父も兄もどこか男尊女卑な考えを持っていた。この世で一番偉いのは神様でありイエスキリストだ。イエス様を純潔なまま身ごもったマリア様は美しい、と口癖のように父は母に話していた。

 成長するにつれてその言葉は、マリア様のように純潔ではない母のことを貶した言葉だったのだと私は気が付き、なおのこと父が嫌いになった。母はいつも父の言うことを聞く、奴隷に成り下がっていた。酷いことを言われても困ったように苦笑いを浮かべて耐える母に、私は何故反抗しないのだと聞いたことがあった。母は、父さんは神様が送ってくれたキリスト様のような存在だから、と意味の分からないことを口にしていた。

 ミサに参加するたびに母は良妻賢母だと称賛されていたが、男の言いなりになる弱々しい母なんて私の目には少しも魅力的には映らなかった。誰かに支配される人生なんてまっぴらごめんだ。男と結婚し苦労を虐げられ、自分の意見も言えぬまま子孫繁栄のために子供を産む。そんなレールの引かれた人生を抵抗もせずに歩むなんて私は絶対に嫌だった。

 私は心の底から自分の家族が嫌いだった。カトリック教徒は皆父のような人間のなんだ、と偏見を持ち私はキリスト教を信じている人から離れ宗教とは無縁の人間とばかりつるんでいた。18歳の時、初めて男の人と深い関係に陥ったが、性行為後の不快感は言葉に表せるものではなかった。他人に体を侵食される気色の悪さは、麻酔もなしに内臓をえぐり取られるほどの痛みと苦しみがあった。女として男に体を預けることにこの上ない屈辱感を覚え、私はそこで自分は男と恋愛する人間ではないのだと気が付いたのだった。

 それから私はすぐに好きな女が出来た。今まで気が付かなかったのが不思議なほど、私はすんなりと女を好きな自分を受け入れたのだった。
 キリスト教では積極的には同性愛が認められてはいない。子供を作ることを目的にしない性行為をすることは、タブーなのだ。私の根底にある忌々しいカトリックの教えは知らず知らずのうちに私の生活を阻んでいた。だから私は今まで男という生き物に嫌悪感を持ちながらも、男は私の恋愛対象なのだと思い込んできた。

 その束縛が無くなった私は、酷く開放的な気持ちになった。自分の恋愛対象が女性であることが親への報復のようで、お前らの教育は間違えていたぞ、と言って父を奈落の底に落としてやりたいほどだった。

 そんな強気な態度で居ても、どんなに見栄を張り自分を偽っても、結局は父を恐れている私は、父に自分の恋愛対象が同性であることを打ち明けることが出来ず時を過ごしていた。しかし25歳の時に父に話があると家に呼ばれカトリック教徒の人でいい縁談相手がいるがどうだろうか、という提案を受けた際に私は自分が同性愛者であることを両親に打ち明けたのだった。

 勿論私が同性愛者であることを拒絶される恐怖はあったが、成人し昔の素行を忘れさせるほど立派に働く私を見て、もしかしたら父も私の性の在り方を認めてくれているのではないか、と心のどこかでそんな淡い期待をしていた。しかし私のそんな願望は当然まかり通らず父はひどい剣幕で怒り、二度と家に来るな、勘当だ、と私に告げた。母は悲しい表情で私を見ていた。口には出さないものの、脳内で私のような不届き者を産んだことを後悔しているのだろう。きっと私を産んで育てたことを悔やみ、ゆるしの秘跡で告白をするのだろう。哀れな人間を見る家族の視線、愚か者は地獄に堕ちろと言われた気分になった。

 私はそのまま何も言わずに家を出た。それから数年経ったが両親には会いに行くどころか、一度も連絡すらしていない。世の中がこんなにも多様性に満ちている時代に、何故親にここまで非難され避けられなければならないのか分からない。神が作った私という人間が異性を好きになれない生産性のない人間だったとしても、普通に生きる権利を与えてもらえない理由にはならないと思ってしまうのは、やはり私が罪深き人間であるからだろうか?

 心待ちにしていたはずの親を不幸にする喜びよりも、受け入れてもらえなかった悲しみの方が勝り、それはとんだ見当違いであった。神様もイエスキリストも実在していたかどうかなんて分からないのに、実在しているか定かではない方が崇め奉られ、実在していることが確かな私の人権が認められないのは一体どういうことなんだろう。

 すっかり自信を喪失した私が仕事に打ち込んでいた時、私はとあるレズビアンのバーで莉子に出会ったのだった。お互いに惹かれあい時を共にするだけで、私は自分の傷が癒えていくようだった。性別なんて関係ない、私はこの人と一緒に居たいんだ、そう思った私は自分が同性愛者であり少数派の人間であることや親から拒絶されたこと全てがどうでもよくなった。ただこの人の隣にいれればそれでいい、私は初めて自分の居場所を見つけたのだった。

 今の莉子を見れば辛い現実。しかし思い返せば今の辛い現実に納得してしまうほど、莉子に出会った瞬間から今までが幸せすぎた。こんな辛い状況も乗り越えて見せよう、と様々な不快感を飲み込んで私は目をつぶった。咄嗟に指を組んで祈る母の姿を思い出したが、そんな記憶はどこかに投げ捨てて私は目を開いたのだった。

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