同性愛 時々 異性愛 ~11話~

「俺、大阪に転勤になったんだ。」
「え」
「それが決まった時、真っ先に思い浮かんだのが東だった。東は綺麗だし仕事も良くできるし、なんだかそばにいるだけで癒される。だからただそばに居て欲しいんだ。」

 本郷のその言葉は、まるで小学生の告白のような純粋さがあった。ただそばに居て欲しい、その要求は私のすべてを肯定し、私の存在を愛すこの世で一番下心のない綺麗な愛の形かもしれない。

 私がそばに居られなくなったら莉子はどうなるの? 莉子に愛を誓った私は裏切り者になるんだ。でも最近莉子に会えていない。まるで他人のような人間と時を過ごすのか辛くて、私は仕事に打ち込んでいる。治るか分からない、その医者の言葉は私に未来永劫莉子と一緒に幸せになる未来は訪れない、と告げているように今となっては思える。

「もしかして、迷ってる?」

 本郷は私の顔をじっと見て言った。私は自分の身の上に起きたことを、全て本郷に話したくなった。これまで莉子のことについて話が出来たのは、あの堅物の医者だけだった。自分が莉子のことを誰にも打ち明けられないことにストレスを感じていた、と今初めて気が付いたのだ。

「私の話、聞いてくれる?」

 私は本郷の目を見て言った。本郷は優しく微笑んで頷く。男が嫌いなはずである私はその本郷の寛容さに心を揺さぶられながらも、自分の身の上に起きた出来事を全て本郷に打ち明けた。


 莉子の話を話している間、私の酒を飲むスピードは異様に早かった。けれど私は元々酒には強く、一向に酔いが回ってこない。

「俺は、その話聞いてもまだ東と結婚したいと思ってる。」

 本郷は私の酒を飲むスピードを見て、酒を飲むのをやめた。気を使って私を家まで送ろうとしてくれているのだろう。

「なんで私のこと好きなの?」
「言ったでしょ、そばにいると落ち着くんだ。」
「今も落ち着くの?」

 本郷は微笑んでいた。恋愛対象ではない本郷だが、その純粋さに人として惹かれていく自分が心の中には居た。

「東の恋人は、ちゃんとした病院や施設で過ごした方がいいんじゃないか?   これは俺が東を奪いたいから言っているわけじゃなく、第三者目線でそう思うだけだからね。」
「そう思う?」

 私は残り僅かな酒を喉に流し込む。

「思うよ。」
「何で?」
「今、誰も幸せじゃないだろう。」

 幸せじゃない?私は幸せなはずだけど。
 でも、幸せって何だっけ?
 莉子を求めて家に帰るとそこにいるのは違う人格の他人。何度もそのことを繰り返して、もう私は期待することをやめた。莉子はもうこの世にはいないんだ、そう思って生きていた方が楽なのだ。

「幸せって、なんだっけ。」

 私は膝元に手を置いてため息をついた。

「俺と一緒に大阪に来れば幸せになれるよ。」

 私はその言葉にそうかもね、とただ一言返して微笑んだ。

「来週中には返事もらえる?」

 私は頷いた。やっと酔いが回ってきて視界がぐらぐらし始める。

「家まで送るよ。」

 本郷は伝票と自分の荷物を持ってレジに向かった。私はぼーっと帰り支度をして、会計を済ませる本郷をチラチラ見ていた。恋愛感情は決してわかない好青年、けれど嫌いではなかった。むしろ人として本郷という人間を好きだとは思う。性欲と愛情を切り離せない私には本郷の愛は理解しがたいが、私は本郷と性行為は出来ないが本郷のことを好きだとは思う。もしかして本郷が私に対して抱く感情はこんな感じなのではないか、と私は考えた。会計を済ませて店を出る本郷を、私は我に返り急いで追いかけた。

「ごめん、お金出すよ。」

 私は店の外でカバンから財布を取り出そうとした。

「いいよ、俺が誘ったし。」

 本郷は私の頭を一度だけぽんっと叩くとタクシーを拾おうとキョロキョロしていた。

「ありがとう。」

 私はタクシーが見つからず歩き出した本郷の後ろ姿にそう言った。きっと本郷の耳には届いていない。

「私、歩いて帰る。」

 今度は声を張り、本郷に聞こえるように私は言った。

「家近いの?」
「うん。それにちょっと歩きたいの。」
「そっか。」

 本郷はスマホを取り出した。

「俺のこと、どう思ってくれてもいいから何か辛いことがあったらいつでも連絡して?」

 そう言って本郷はLINEのQRコードを私に見せた。

「どう思ってもいいの?」

 私の口角は自然に上がった。スマホを取り出し本郷と連絡先を交換する。

「いいよ。でもフィアンセ希望。」
「考えとくわ。」

 私たちの関係は恋人ではない。けれどお互いに一緒に居る空気感は居心地が良く、今まで連絡先を交換していなかったことが不思議であったぐらいだ。私は本郷に手を振って莉子の家に向かう。



 冷たい夜風に当たり瞬時に過った帰りたくないと言う思いは、本郷が言っていた誰も幸せじゃないという言葉を事実にしていた。

 私は今、少しも幸せではない。もうなんだか疲れてしまったのだ。
 帰り道に莉子と出会いの場となったバーがあった。レズビアンが集うバーで私は莉子に一目ぼれしたのだ。懐かしいなと店の扉の前に立った。中からは賑やかな声は聞こえてこなかった。今日は休みなのかな? と思い看板を見るが今は営業時間帯だった。私は重い扉を押して店内に入った。

「いらっしゃい。」

 バーの店長と思しき人がタバコを吸っていた。
 私は店長の前のバーカウンターに腰かけた。

「ご注文は?」

 私は渡されたメニューからカシスオレンジというカクテルを選んだ。
 店長は静かにカクテルを作り始めた。店内には私しかいない。

「あんた、結構前に店に来たよね?」

 カクテルを作る作業の手を止めずに店長は言った。

「はい、よく覚えていますね。」
「店に来てくれた人は忘れないよ。」

 私がこのバーに来たのは一度きりで、しかももう一年以上前の話だった。店長の記憶力に脱帽する。店長は私にカクテルを出した。

「一緒に話していた子とはどうなったんだい?」

 店長はきっと莉子のことを言っていた。私はカクテルを一口飲んだ。甘酸っぱくて正しく”女子が好きな味”であるカクテルは、甘い告白を受けた今の私に持ってこいなカクテルだ。

「あの後付き合いました。今も付き合っています。」
「そうかい、それはいいね。」

 付き合っています、なんて言ってしまった。私たちの関係性はそこまで強いものであるとは思えないが。
 私ははぁとため息をついた。

「どうしたんだい?やけに気が重そうだね。」

 店長は前かがみになって私の話を聞こうとしていた。

「いろいろあったんですよ。」

 カシスオレンジに入っていたサクランボをぱくりと口に入れた。いくら噛んでも種が見当たらない。サクランボって種なかったっけ?

「そりゃあ、そうだろうね。貴方、全世界の不幸を背負ったような顔しているもの。」

 店長のストレートな言葉に私は笑った。

「そんなにひどい顔していますか?」
「ひどいよ、整った顔が台無し。」

 小奇麗な格好をした店長が吸っているタバコには紅い口紅がついていた。

「愛している人が現れたり消えたりするんです。」

 客の前でも躊躇なくタバコの煙を吐く店長は、私の話を静かに聞いていた。

「確実に私は彼女を愛していた。でもそれも怪しくなってきました。」

 タバコを灰皿に押し当ててもう一度前かがみになる店長。きらびやかな衣装からは谷間が丸見えだ。

「当り前だよ。」

 一瞬だけその谷間に気を取られたが私はすぐに店長の顔に視線を移した。

「当り前、ですか?」

 店長は前かがみな体勢を戻した。

「愛にはいろんな形があるさ。たまに相手から愛されなくても愛を持ち続けられる人もいるけれど、それは少数派。やっぱり女は愛されているのが一番幸せなんだよ。」

 ズキズキとひどい頭痛が私を襲った。莉子と別れたいと思う自分の本心を、身体が拒否しているようだった。

「人によって寛容さは違うからね。現れたり消えたりすることが許容できていない貴方は、今の恋愛は向いてないんじゃないか?」

 許容、それは愛情の指標のようなものかもしれない。その人のどこまでを許容できるのか、それでどれだけその人を愛せているのかを図れる。私は今まで少しも許容はしてなかった。してきたのは妥協だった。見た目は莉子だから、と嫌がる自分を無視して嫌な現実から目をそらした。溜まる鬱憤は日に日に増大してゆく。

「消えている時だって、愛してくれているんです。」

 無駄な抵抗とわかっていながらも、私は必死に自分は莉子と別れたくはないんだと自分に言い聞かす。

「愛は見えなきゃ伝わらないわ。消えている時、貴方は彼女からの愛情が見えているの?」

 見えていない、少しも見えない。愛どころか莉子の姿すら真っ暗闇に葬られたように、見えないのだ。今の私は目隠しをさせられ腕を縛り付けられた状態で、録音済みの莉子の過去を耳元で流されている気分だった。過去の楽しかった記憶に依存して、今を見ていない。

「見えないです、少しも。」

 もういっそ殺してくれないか、そう懇願したくなるほど私には現実が痛くて仕方なかった。今を見ることが莉子への裏切りのような気がしてならなかった。

「人間、何度でもやり直しができるわ。貴方の彼女がどんな理由で現れたり消えたりするのかは分からないけれど、今を愛おしいと思えないのなら未来なんて愛せないわよ。」

 私はカシスオレンジを一気に飲み干した。甘ったるいカシスオレンジは喉にへばりついて気持ちが悪い。まるで私と莉子の思い出のように、甘くて忘れられない味だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?