同性愛 時々 異性愛 ~9話~

 莉子の病気がわかってから3か月が経った。私は莉子のスマホや持ち物にGPSをつけどこにいるのか把握できるようにし、そのほかのことに関しては当たらず触らずな態度をとっていた。

 相変わらず莉子の人格は入れ替わるが、莉子の人格の変化を段々受け入れている自分が居て、それは言わば慣れというやつであった。しかし、決して莉子以外の人格を好きになったというわけではなかった。莉子以外の人格の前でどんな態度をとればよいのかわかってきただけの私は、莉子がいないこの現実に適応し始めたのだった。

 けれど本当にごく稀に現れる、恋愛対象が男性であるサチに莉子がなってしまった時だけ私は酷く困惑する。サチになってしまえばなかなか家には帰ってこない。外に行き男と行為をしてくるのは見え透いていて、GPSでどこにいるのか確認することですら私への精神的ダメージは大きい。

 サチがホテルに居るのがわかれば、私は今すぐに自分の頭に拳銃を突き付けてこの世におさらばしたい気分になる。何も知らない、何とも思わない、私は平気だ、と自分に言い聞かせて時を待つ。それしかサチが現れたときの対処方法が私にはなかった。

 慣れと言うものは恐ろしいもので、病気が分かった頃に憂いていた数々の最悪な事態を、今では何とか免れるだろうと過信していた。実際にサチがほかの人格に変わる時、男性との行為中であったことは未だにない。そんなことがあったなら莉子はきっと生きていけない。私はそんな事態が起こることを最初は酷く恐れていたが、もう恐れることにすら疲れてしまった。

 未だにリンは自分の余命が半年であると信じているし(なぜか半年から一向に時が進まない。)マコは私を愛していて、メグは未だに男性に恐怖心を抱く14歳で、サチは男を自分の性欲を解消させてくれる道具だとしか思っていない尻軽なビッチだ。

 仕事をしている時が唯一莉子のことを深く考えなくて済む時間なので、私は家に莉子を置いて仕事に打ち込んだ。とにかく私は疲れていた。考えることも現実に向き合うことも、いつか莉子が元の莉子に戻ると信じることも。

  ある日、私は珍しくアラームが鳴る前に目が覚めた。隣を見るとすやすやと眠っている莉子がいた。寝ている時は莉子の人格は変わっていないような気がしてなんだか落ち着くな、と私は莉子の頭を撫でながら思った。

 30分ほど私はぼうっと布団の中で過ごした。最近は仕事が忙しく、何もせずに時を過ごすことがあまりなかったため、起きて何かをしようという気持ちだけはあったが体を起こすことは億劫で、ただぼぅっと莉子を見つめ、久しぶりに私は思いにふけていた。

 莉子の頭の中は一体どうなっているのだろう。一回医者に行ったきりで、その後はどこの医者にも掛からなかった。どの医者も同じことを言い、精神を安定させるとかいう薬を出して終わりだろう、と私は思い込んでいた。そんな診察に高い金を出す価値はないと考えて、私は莉子を病院に連れていくことを渋っていた。

 今のところ私が知っている莉子の人格は莉子を覗いて4人だ。とりわけ出てくるのはマコで、料理が好きで笑顔を絶やさない彼女の性格は莉子に少し似ていた。けれどマコの行動は温室育ちのお嬢様のように詰めが甘い。その点においてはストイックな莉子とはだいぶ違った。

 次によく出てくる人格は、余命半年のリンであった。彼女の性格を一言で言うならば偏屈だ。彼女の時は莉子は異様に目つきが鋭く、攻撃的だ。ちょっとでもリンの気に食わないことを言えば私は凄い剣幕で叱られる。自分の余命を盾にいろいろなことを強要してくる。莉子とリンは全く違う人間だ。そのせいでリンが現れたときは私は本当に浮気をしている気分になる。

 リンの気に入るように行動しなければいけないし、彼女の要望は全て受け入れなくてはならない。正直リンが現れると私は家に帰りたくなくなる。それでも私はぐっとこらえてリンの機嫌を取っていた。機嫌がよくなるとリンはいなくなり別な人格が現れることもあり、私は莉子の中でそれぞれの人格に変化を与えるきっかけというものがあるのではないかと思っているが、どうもそのきっかけの特徴はつかめずにいた。

 泣き虫なメグは、まるで莉子の幼い時を見ている感覚にさせる。メグは外に出ることが困難であった。酷く男性を怖がり、私の影の動きにさえ怖がる時があった。私が仕事に行こうとすると抱き着いて離れないし、何時に帰ってくるの? と何度も聞いて来る。用意した食事もろくに食べないし、生活能力が全くもってない。

 怯えた表情に莉子の面影を見つけると、もしかして莉子も14歳の時こんな風に過ごしていたのかもしれないな、と思い愛着も沸いた。けれどそんな愛着は沸くのは一時で、うじうじしていて対処が面倒くさいメグを殴りたくなる時も大いにあった。

 一番何を考えているのか分からないのは、恋愛対象が男であるサチであった。彼女は私のことをルームメイトと思っており、サチが現れると夜通し帰ってこない。莉子の体を使い自分の性欲を満たさないで欲しいと私は思ってしまう。メグとサチがあまりにも対照的過ぎて、本当に一人の人間に現れている人格なのか? と私は心底疑ってしまう。サチと私は数えるほどしかコミュニケーションをとったことがない。一度だけ夜通し遊んで帰ってきたサチと私の出勤時間が重なって話したことがあった。

「おかえり」

 私は自分の心情を悟られないよう必死に取り繕ってサチに向かって言った。

「うん。」

 サチは風呂にも入らずソファーにダイブした。

「ご飯は?」
「要らない」

 サチはスマホを見ながら答えた。

「てかさぁ」

 ナチュラルメイクを自分の顔に施す私にサチは声をかけていた。

「なに?」

 私は気のない返事をしながら化粧をするふりをして、鏡に映る自分が嫌悪感を出していないかどうか確かめていた。

「夏南私のスマホ、いじってない?」

 サチはGPSのことを話しているのだろうか?と内心焦ったが私は知らない振りをした。

「なんで私がサチのスマホいじるのよ。第一貴方と私はこの家で顔を合わせることも、そうそうないじゃない。」

 私はメイクポーチをいつもより大げさに漁り口紅を探しながら言った。ガサガサと音を立てて自分の気を紛らわす。そして口紅を見つけ手に取った。

「だよね~。」

 私への疑いを簡単に無くすサチに私はほっとした。

「なんでいじられたと思ったの?」

 私は口紅を薄く唇に塗ると、化粧道具を全てポーチに仕舞った。日常的な動作を意識的に行う私は、少しでも自分の気持ち隠し平然を装いたいという思いがあった。彼女に対し真剣に向き合ってしまえば、私は今すぐにでもサチを縄で縛り付け二度と他の男の前に行かせないようしてしまう。サチに対して何の感情も持っていないんだと私は自分に言い聞かせた。

「なんかスマホ開くたびにアプリ消えていたり連絡先消えていたりするんだよね。」

 それは別の人格がやっているんだよ、とは口が裂けても言えなかった。

「寝ぼけてやったんじゃないの」

 私はそう言って自分の荷物を確認し家を出る準備を終えると、私の顔をまじまじと見てくるサチの視線に気が付いた。

「なに?」

 私はバックを肩にかけて聞いた。

「綺麗な顔しているのにいつも薄化粧よね。」

 そういうサチはまつ毛もばさばさでファンデーションも厚く、人を食ったかのような唇の色をしていた。サチの化粧はかなり濃いので、顔のパーツそれぞれの主張がだいぶ激しい。

「そりゃあサチの化粧に比べれば誰だって薄いわよ。」
「勿体ないなぁ。」

 私はこれから仕事に行くんだ、お前のように遊びに行くわけではない。スマホを片手に持ちニヤニヤして私を見るサチに、若干の苛立ちが生まれる。

「男とデートでも行かないの?」

 私から目線を外し通知音を鳴らしたスマホを見ながらそう言ったサチ。どうやら私が同性愛者であることを知らないようだった。

「行かないよ。」
「なんで? そんなに綺麗でスタイルも良いんだからもてるでしょ?」
「男に媚びて生きるのなら死んだ方がまし。」

 私はサチの返答も待たずに家を出た。
 

 以前私も男性と付き合っていた時期があった。普通に恋愛し性行為だってした。けれど付き合っている時の男に対する謎の嫌悪感や性行為時の屈辱感がどうしても拭いきれなかった。なぜ男はいつも女よりも優位であると思い込んでいるのだろうか。平気で浮気もするし、こちらの心遣いも無視するし、私に言うことを聞かせようとする魂胆が見え透いている。

 そんな男に私は対抗心を抱いてしまった。男なんて大嫌いだ。触られただけで反吐が出る。どうせ大体の人間は男女が恋愛し結婚して子孫繁栄することが偉いのだ、と思っているだろう。私は違う。そんな普通の概念に乗っかって敷かれたレールを歩む楽な人生を送りたいとは思わない。

 サチの前で落ち着いていれた自分に、私は正直驚いた。サチが帰ってこない間、私がどれだけ苦しみ嫉妬に狂いそうになっているのかは私しか知らない。考えれば考えるほど、自分の心は崩れていく。だから私はサチが現れたときはより一層仕事に打ち込む。私はサチの行動を少しも知らないし、嫉妬なんかしていない、と何度も自分に言い聞かせる。

 稀に現れるサチは私に銃を発砲し、けたけたと笑っているようだった。その銃弾すべてに当たり血だらけになった私は、その傷を自分で舐めて治すしか手段がなかった。いくら舐めても治らない致命的な傷は時を重ねるごとに増えて、遂に最近私は莉子に対する愛情よりも莉子以外の人格たちへの憎しみの方が勝っていた。

 それでも莉子を手放す勇気がない私には、莉子以外の人格を否定する余裕はなく、常に棘を持つ彼女たちを背負っていなければならなかったのだ。苦しい、逃げたい、悲しい。そう言った感情は時が経てば壊れていく。心が頑丈になって何も感じなくなっていき私は莉子にも、ほかの人格たちとの関係性にも期待をしなくなった。

 心に積もる不満たちは石化して、私にとって何故置かれているのか分からないオブジェのような、存在意義の無い物になる。私は莉子を得るために心を殺したのだ。でももう面倒くさいことはどうでもいい。以前自分の莉子への愛が本物なのかどうか考えた時期もあったが、それももう考えることすら面倒くさい。

 何もかも、もうどうだっていいのだ。

 もしかして私は心が頑丈になったのではなく、心すらも壊れてしまったのかもしれない。けれどばらばらになった心を泣きながら拾い集めるようなみすぼらしい真似なんて、私は絶対にしない。心が死のうと感情が死のうと、どうだってよい。どうせ元々私のような人間はどんなに足掻こうと、この世で生きることは苦しいことなのだから。





 隣で寝ている莉子の体が一瞬動いてゆっくり目が開けられていく。私は何かを恐れて瞳を閉じて寝たふりをした。優しく私の頭に莉子が触れる感触が伝わり心が震える。それだけで生きていてよかったと思えるほどに、私は莉子から離れられない魔法に掛かっている。目を開いた世界を想像するのは怖くて、私は出社前にもかかわらず意識を手放したのだった。


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