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かが屋「これじゃ終われない」2万円と自信を失った初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#1(前編)

結成4年で『キングオブコント』決勝の舞台を踏んだ若手実力派コント師・かが屋。日常を切り取るセンスやその演技力を知っていると、彼らのコント人生は順風満帆だったのでは、と想像してしまう。

しかしそんなかが屋も、初めてウケるまで2年かかったという。

ふたりきりでコントを作った青春時代、自らの弱点と向き合いライブシーンで評価され、テレビ収録で憧れのバナナマンに会うまでの、かが屋の歩みを聞いたインタビュー前編。

「若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>」
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。

悔しくて忘れられない、あの日の中野の商店街

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加賀 翔

──かが屋にとっての「ファーストステージ」はいつでしょうか?

加賀 2014年4月13日が最初のライブです。正式にかが屋を結成する前になります。

賀屋 なかの芸能小劇場のフリーライブね。お試しで1回出てみようって気楽な感じで。

加賀 当然ウケると思ってたから緊張もしなかった(笑)。

賀屋と組む前にピンでやってたころは『R-1』予選でもナーバスだったし、けちょんけちょんにスベってたんですけど、ふたりだと「大丈夫だ!」って心強くて。

賀屋 僕は小学生のときに少年合唱団に入ってて多少舞台慣れしてたんですよ。多感な時期に人前で歌ってたから舞台には強い(笑)。

加賀 ふたりとも冷静だったけど、じゃあうまくいったかっていうと、つんつるてんにスベった(笑)。

賀屋 恥ずかしかったね……。僕の大学の友達も観に来てたんですけど「まあ、初めてだからねえ……」って慰めてくれて。

加賀 「舞台立つだけでもすごいよ!」って。

賀屋 大敗した人にかける言葉の定番(笑)。めちゃくちゃスベったまま終わるのはちょっとイヤだなと思って加賀と続けましたね。

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賀屋壮也

──スベって「この人とは合わない」とコンビ解消するのではなく、このふたりでリベンジしようと思ったのはなぜですか?

賀屋 元を取りたかったんですよ。コントの練習もけっこうガッツリしたし、何より制作費がめちゃくちゃかかった。ひとつのコントに2万円以上使ったよね? ふたりとも初めてのコントに舞い上がって、衣装とか小道具を買い込んでしまった。

──現在のかが屋のシンプルなコントからは想像できない……。

賀屋 トイザらスで無駄にクオリティの高い赤ちゃんの人形や、おばあちゃんを演じるためのカツラも買った上に、ライブのエントリー費も3千円。2万円以上失ったのにスベって「出ただけですごい」なんて納得できなかった。

加賀 そうだね。あの日の帰り、小道具全部抱えて電車乗ってたら、その1日がギュイーン!って脳内で高速再生されたよ。自宅から小道具持って劇場着いて、「俺が1回エントリー費払っとくから。あとで1500円ちょうだい」って言って。出番まで練習して、着替えて、カツラ被って、絶対ウケると思いながら舞台出て、スベって、今ここ!って。

賀屋 あの日歩いた中野の商店街とかすごい覚えてるなぁ。だからファーストステージはいい思い出ないです。悔しくて忘れたくても忘れられない。

オーディションライブという名のギャンブル

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──悔しい初舞台を終え、かが屋を結成し、すぐにマセキに入ったんですか?

加賀 入所は2015年なんです。マセキって、入所するためにまずオーディションに受かり続けないといけないんですよ。受かると月1回開催のライブの出演権を獲得する。そのライブに出続けて、だいたい1年くらい経ってやっと「入りませんか?」と声かけてもらえるんです。

今思うと一種のギャンブルですよ。あのころは焦ってたなぁ。

賀屋 4カ月で入る人もいれば、2年くらい通っても声かけてもらえない人もいるし。

加賀 そうそう。パーパーさんも同じころオーディションに通ってたんですけど、ものすごいウケてたんですよ。でもなかなか所属決まらなくて「これ俺ら行けるか……?」って不安になったんだよ。

賀屋 あのパーパーですらダメだったら、僕らはどうなるんだろうって。

──『有吉の壁』などでのパーパーのイジられ方を見てると、かが屋のふたりが「あのパーパーですら」って思うのは意外な感じがします……。

加賀 それはほしの(ディスコ)さんの「僕なんかね、どうしようもないですよ」っていう謙虚さとか謙遜のせいなんですよ。僕らはずっと「この人イカレててすごいな!」って尊敬してるよね。

賀屋 イカレ具合もそうだし、実力もめちゃくちゃあるんだよね。『キングオブコント』も2017年には決勝行ってるし『お笑いハーベスト大賞』もハナコさんより先に受賞されてる。『R-1』も決勝行ってるし、ちゃんと振り返ると経歴はエリートなんですよ。

──たしかにそうですね……。

賀屋 今、パーパーさんがイケてないコンビに見えてるんだとしたら、それはほしのさんの謙虚さが見事に効いてるんです(笑)。

起きてる間は、ずっと一緒にいた

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──マセキに入ってからは、順風満帆でしたか?

加賀 マセキ入ってからも1年くらいウケてないです。

──結成から2年間、笑いを取れなかった。

加賀 そうですね。ほんとにコントがうまくなかったんですよ。声が小さい、展開がないって言われ続けて。「素材はいいんだけど、基本がなってないよね」って。

賀屋 それしか言いようがなかったんだろうね。

──ウケるまでの日々は苦しかったと思いますが、コンビ仲に悪影響はなかったですか?

加賀 その時期はずっと一緒にいたんですけど、苦じゃなかったですね。

むしろふたりの時間を増やしたくて、当時ふたりとも働いていたコンビニの店長に「シフト同じにしてください」ってお願いして。

賀屋 7時から15時。

加賀 8時間一緒に働いて、そのあとファミレスで2時間ネタ作りしてライブ出て。終わったら大学行って23時くらいまで反省会して、帰って寝て起きたらまたバイトで会う。

賀屋 ほんとにずっと一緒にいました。ネタももちろん作るんだけど、好きな音楽とかバイト先に来る女性のお客さんがかわいいとか言って盛り上がったりして。

加賀 しゃべって終わるだけって日もよくあった。

賀屋 加賀が休養から復帰する直前、ふたりで公園を散歩しながら話すっていうのをよくやってて、あのとき大学のキャンパスを思い出しましたね。あのころはこういう感じでずっと一緒にいたなぁって。

僕が学生のころは大学の敷地が広かったので、キャンパスの隅っこで夜遅くまでネタ合わせしてたんですよ。

加賀 僕は中卒だから大学のキャンパスに入れるのがうれしかった。賀屋が卒業したあとは公園でよくネタ合わせしてるけど、まわりの風景はあんまり変わらないね。

賀屋 そうそう。「あのころみたいに」とか「初心に帰って」とは思わないけど、一日中一緒にいたころを思い出したときに、またかが屋でやっていっても大丈夫かなってぼんやり思って。加賀の休養直前もずっと一緒にはいたけどしゃべらなかったんですよ。

加賀 休養前はめちゃくちゃ仲悪かったというか、僕がほとんど死んでて会話にならなかった。なんか頭回らないし、寝れないから、賀屋と会っても疲れるだけなんでしゃべらなかったです。

あとで医者に聞いたら、脳の一部に血が通ってなくて一部の機能が止まってるよって言われて。実際、記憶もほとんどないんですよ。去年はただただキツかったですね。

「声が小さい」弱点と向き合って迎えた転機

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──話を戻すと、マセキに入って芸人として活動し始めて、初めて「ウケた」と実感したのはいつですか?

加賀 2017年の11月の電車のネタでしたね。声が小さいのをずっとイジられてたんですけど、だったらもう黙っちゃおうって開き直ったんですよ。賀屋は盛ったキャラクターで、電車の中でイチャつくカップルをやって、大きな声出してもらって。

加賀 これがなんかウケたんです。賀屋の気持ち悪いキャラクターと、とことんしゃべらない僕っていうのがハマった。僕らもうまくいったって実感してたし、ほかの芸人さんにも褒めてもらえて。そこでもうちょっと一生懸命やってみようかって。

じゃあ次はどうやったら声が出せるかって考えて作ったのが方言でしゃべるネタ。方言だったら声出るぞ!って気づきました。

賀屋 このコントもウケて、事務所の先輩の寺田(寛明)さんがツイッターで動画をシェアしてくれたんですよ。「かが屋、ちょっと前からずっとおもしろくないですか?」ってツイートしてくれて。

加賀 そこでまわりの僕らを見る目が変わって「かが屋がおもしろいらしい」って空気ができた。あのツイートがうれしくて250円でダウンロードした星野源の「恋」聴きながら走ったよ。

賀屋 あれはうれしかったねぇ。そこから寺田さんの主催する大喜利ライブにも呼んでもらえて、僕らを見てくれる芸人さんも増えて、少しずつ注目されましたね。

──声が小さいという弱点と向き合って初めて、ウケるようになったんですね。

賀屋 方言のほかにもキャラクターの作り方とかも工夫して。さっきの電車のネタみたいにキャラクターそのものが調子乗ってると声出しやすいとか、泣きながら謝れば大声出しても不自然じゃないとか気づいて。

加賀 リアルにやろうと思った結果、よけいに声が小さくなってた。ただでさえ緊張しいで大きい声が出せないのに、アプローチのせいでよけいに声が聞こえにくくなるという(笑)。最初はボリュームとの闘いでしたね。

失敗続きの初舞台。そして、バナナマン設楽のTシャツ

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──私がかが屋を知ったのが2018年の『あらびき団』(TBS)の年末特番でした。ちょうどブレイクし始めたころだと思うんですが、テレビの初舞台はいつごろですか?

加賀 最初は中京テレビの『前略、西東さん』。

賀屋 そうそう。狩野英孝さんに連れられて「マセキ軍団」として若手同士で戦う企画だった。

加賀 忘れもしないですよ、2018年5月12日。僕、前日に岡山に帰って、17歳から付き合ってる彼女のご両親に「結婚を考えてる」って挨拶しに行ったんですけど、相手のお母さんに「芸人辞めるんやったら考えてもいいけど……」って断られちゃって。結局許してもらえなくて、あとでボロボロ泣いたんですよ(笑)。

賀屋 その翌日に人生初テレビ。

──うわぁ……。

加賀 僕、目パンパンに腫らして出たんですよ。

賀屋 このメンタル状態で初テレビ大丈夫?って感じだったよ(笑)。電車のいちゃいちゃカップルのネタやったんですけど、それも僕が気持ち悪すぎて、お客さんに引かれちゃってまったくウケない。

加賀 テレビ初披露のコントで悲鳴を聞くという……。おまけに僕が楽屋弁当の海老天おにぎりにあたってエビアレルギーで吐いちゃうし。

賀屋 アレルギーでまた目パンパンに腫らして(笑)。

加賀 5月11日と12日は地獄の2日間でした。僕、誕生日が5月16日なので、絶対に忘れられないです。

──心中察するに余りある……。全国ネットのテレビ初出演は覚えてますか?

賀屋 『バナナマンの爆笑ドラゴン』(NHK)です。放送自体は『ENGEIトライアウト』(フジテレビ)が先なんですけど、初収録は『爆笑ドラゴン』だったはず。憧れのバナナマンさんに会えるので感慨深い現場でした。

加賀 しかもシソンヌさんがかが屋を選んでくれて出演できた。僕らを知ってくれてるだけでもうれしいのに、選んでもらって……。

賀屋 いや、もう最高。シソンヌさん、ジャルジャルさん、ハナコさん、そしてかが屋っていうメンバーで、司会がバナナマンさん。

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──憧れのバナナマンの前でのコントは楽しかったですか?

加賀 それが本番うまくいかなくて楽しむどころじゃなかったんですよ。絶対にうまくやりたかったから、めっちゃ練習したのに……。

──ここでもかが屋の初舞台は失敗……。

賀屋 バナナマンさんに観てもらえるなんて燃えないわけがないんだけど……。

加賀 気合い入りすぎちゃって空回りしちゃったんですよね。そこから収録の記憶があんまりないです(笑)。で、結局一番鮮明に覚えてるのが、設楽(統)さんのTシャツ。

──Tシャツ?

加賀 収録が終わって、喫煙所で初めて設楽さんに挨拶して、僕が昔バイトしてた喫茶店に設楽さんが来たときの話をしたんです。「緊張しちゃって、設楽さん帰るまで厨房に隠れてました」って言ったら「そんな緊張することないのに」って気さくに笑ってくれて。その間もずっと設楽さんの顔見れなくて、Tシャツのイラストをじっと見つめてて。

賀屋 めっちゃでっかいビルのイラスト。

加賀 そう。摩天楼のでっかいビルが、おちんちんみたいな落書きになってる絵。左右に金玉みたいなのも描かれてて「設楽さん、すごいエッチなTシャツ着てる!」と内心思った。

賀屋 収録よりも、憧れの人がエッチなTシャツ着てる思い出のほうが強いという。

加賀 あのTシャツ欲しくて、どこのブランドか知りたくてタグのぞこうとしたんですけど。結局わからなかったなぁ。

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【かが屋】
2015年結成。加賀翔(かが・しょう、1993年5月16日、岡山県出身)と賀屋壮也(かや・そうや、1993年2月19日、広島県出身)のコンビ。『キングオブコント2019』で決勝進出。賀屋は『R-1グランプリ2021』でもファイナリストに。『爆笑問題&霜降り明星のシンパイ賞!!』(テレビ朝日)や『かが屋の鶴の間』(RCCラジオ)に出演中。『みんなのかが屋YouTube channel』も不定期更新中。
「かが屋の!コント16本!2」のアーカイブ配信が6月13日(日)まで販売中。

文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=田島太陽

【インタビュー後編】

【前編アザーカット】

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