旅日記

授業のあとに講師に話しかけに行って「最初に話しかけに来てくれた人にだけ渡そうと思ってたんだよ」と名刺をくれたその人の家を訪問し、「今年の夏休みミャンマー行くんだけど来る?」と言われたので「はい行きます」と二つ返事をしたことがある。大学一年生の時だった。夏までは朝から皿洗いのバイトに入り、FUJIFILMのコンパクトデジタルカメラを買った。

その講師はミャンマーの日本語学校を開校しようとしていて、面白そうだったので手伝いをすることにした。私の他にも他大学の女の子がもう一人いて、3人部屋に泊まって2週間ほど行動した。よくうちの親はこの得体のしれないツアーを受け入れたもんだと思うが、8年経った今でも交流が続いているのだから、少ない情報だけでわれわれの関係を充実したものだと理解した親の審美眼は大したもんだと思う。単純に止めるだけの力がなかっただけかも知れないが。バックパックに格安航空のエアアジア。100均のネクタイを締めて、プライスレスな知識だけを装備している不思議なおじさんに付いて行くことにした。

ミャンマーに到着したその日は、香辛料が効いたたっぷりの油にほろほろの肉が沈んだ「カレー」を食べた。美味しかった。それから開校式に向けて、仕立て屋で布を選び、4日か5日かけてロンジーという民族衣装を誂えてもらった。着物と似た形状のぴたっとした巻きスカートで、身につけるとしゃんと背筋が伸びた。式までの間は、4日間朝の一時間だけクラスをもたせてもらった。そろばんを教えた。段ボールで作ったそろばんの模型を使った。そうそう、その頃の朝ドラは波瑠主演の「あさが来た」で、そろばんが世間で少しだけフィーチャーされていたらしかった。夏までの間は、日本にて外国人にそろばんを教えるボランティアをしていたのだが、そこの主宰者がわけてくださったいくつかの木のそろばんに、ダイソーで買い足したプラスチックのそろばんを持って私はミャンマーへ行っていた。何もかもがそうなるべくしてなったという風に一つ決まったら勝手に次が決まるようにして日々が過ぎていた。大学一年生とは本当に、何者でもなくて何者にもなれるピチピチの存在だ。その時撮った写真といえば、トランジットで一晩降りたタイのドンムアン空港付近の場末の酒場のショーでさえとびきりの出来事としてこっちを見て来るんだよな。開校式で身につけたロンジーはとても繊細な刺繍が見事だった。野犬は痩せていて夜見ると怖かった。屋台の朝ごはんはどこもシンプルな味付けの麺類で美味かった。日本語学校の学生が連れて行ってくれた山の上から見た夕焼けはたまらなく赤かった。写真を見ると今でも新鮮な気持ちが蘇る。

しかし写真がなくても一番覚えてるのは、3人で泊まったホテルにて、もうひとりの女の子が体調を崩しているのに私がおかまいなしに電気を付けて夜更かしをしていると、「共同生活だから相手のことも考えようね」と彼に叱られたことなんだよな。恥ずかしかった。日中そろばんのクラスではその子にアシスタントをしてもらいながら自分はずっと主人公然としていたし、彼に対してはその子を出し抜いて気に入ってもらおうとかちょっと思ってた。よく考えてみればふたりとも気に入ってるから連れてきているのだからそんなことははじめから必要ないのだが。私は、彼のそろそろ電気消そうのくだりだけで、急激に自分が自分のことばかりの傲慢な人間だと可視化された気がして、しばらくトイレにこもって反省しながら旅日記に普通の日記を書いた。19歳の夏はミャンマーに行ってまでそんなことをしていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?