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桐壺登場 その十五 私が死んだ後の彼の健闘を語る

その十五 私が死んだ後の彼の健闘を語る

 さて、あいつ、どうしているかしら。
 引きこもっておりました。
 やっぱりね。駄目な奴。
 時々、私の実家に使者をやって、私の法事にかこつけて、子どもの様子を探っています。
 面倒くさい奴。はっきり言えばいいのに。子どもと一緒にいたいって。
 こんな調子なので夜の御公務もずっと無視です。たまに溜息つきながら弘徽殿に行きます。弘徽殿には一の御子もいます。それで光る君を思い出してまた溜息です。
 それは駄目だって。学習しなよ。相も変わらぬ逆撫での仕方、残酷な男です。

 野分の風が吹き出した秋の夕暮れ。帝は桐壺ゆかりの女房の靫負命婦を呼び出して、二条院へと使者にお立てになりました。そしてそのまま清涼殿で風になぶられています。
「夕暮れ時って悲しいよね」
 また始まった!格好つけめ!きっと一緒に演奏したあの曲も思い出しているでしょう。私もです。
 靫負命婦が戻ってきました。まだお休みにならないでおられる帝を見て、命婦、ああ、と涙ぐみました。私は、ははあ、劇場型という新しい手法にすっかりはまってしまった母上にまんまと感化されてきたな、と思いました。
 帝は数人の女房を集めて物語をさせておりました。御自身は月明かりの秋の庭を鑑賞している体を装って、私と過ごした思い出の後涼殿の方を眺めております。女房たちには長恨歌の物語をさせて、そこに長恨歌の物語絵の屏風を持って来させて、気分を煽っております。宇多帝の御代に描かれた超高級屏風です。
 一見すると、死んでしまった最愛の更衣を偲んでいる場面ですよね。でも違うんです。この演出、少々作為的ではありませんか。つまり帝は長恨歌を鑑賞している体を装って私を偲んでいるのではなく、私を偲んでいる体で宇多帝の御代を眺めていたのです。
「で、どうだった」
 私がそばにいないと一人では何もできない帝は、やっと、はっきりと、光る君を返して、と二条院に言ったのです。それで格好つけていたのです。
 子どもは通常、母とともにあります。それは母が生きていようと死んでいようとです。だから光る君は二条院にいるのです。
 ですが帝には思惑があります。天皇親政です。後見のない妃は好都合でした。そして御子はますます光るように美しい。これはいける!だから返して!
「で、どうだった」
帝の御下問に命婦は答えます。
「このような身で宮中に上がるのはとても憚られます、とのことでございました」
「いや、お義母さんはいいのよ。参上しなくて。俺の倅のことよ。どうだったのよ」
「若宮はもうお休みでいらっしゃいました」
「何、お前、何しに行ってきたの?もう夜明けじゃないの!」
 命婦は今しがた見聞きしてきた感慨深いことどもを殆どお話することもできずに、お返事のお手紙をそっと、無言でお渡しします。それを読んだ帝、
「何で?お前、ホント、何しに行ったの?何で我が子を直ちに参内させよ、という俺の要件が、

  荒き風ふせぎし陰の枯れしより小萩が上ぞ静心なく

という返事になるの?俺、

  宮城野の露吹きすさぶ風の音に小萩がもとを思いこそやれ

って、ちょ〜わかりやすく書いたよね!それなのに何でこんな酷いこと言われなきゃなんないの?何で?俺、何かした?そもそも俺、ひかっちをここにずっとおいときたかったのにお前たちが、例がございません、とか言うし、あちらは喪中でございますから、とか言うし。まあ、それは分かるからさ、わきまえたさ。でも何で俺だけ除け者なん?何で何もかも、俺は何もかも持っていかれて、その上、何でこんな酷いこと言われなきゃなんないの?」
 打たれ弱い彼、取り乱しております。そして格好つけでもあるので、必死に上からあおります。命婦は黙っております。きっと言えないお喋りに花を咲かせていたんです。ああ、とまた涙を拭います。
 それにしても母上は一体どうしてしまったのでしょう。葬儀の時といい、今回といい、あの優秀な母上がこのようなボケをしれっとかますようになるなんて。推察してみましょう。

① 光る君か帝位につかないわけがないと牽制している。
  有り得る。ここまで来たのなら、ならなきゃ報われない。
② 孫と離れたくない。
  有り得る。もうこれ以上、何も失いたくない。
③ ①+②で混乱している。
  有り得る。宮仕えの本意を思えば答は明確だが、明確ゆえに明晰な判断も停止状態。
④ それ以外。

 まさか、帝から参内を催促されて勘違いしているのでは?
 勘違い?
 いや、むしろ自分が帝の妃で春宮の母だと妄想しているのでは?
 光る君を返してしまえば催促はそれっきりで終わりだもの。焦らせば焦らすほど求められるもの。追いかけてくれるもの。これは何かににている!
 有り得ない!
 いや、有り得る?
 これは平安貴族の恋の駆け引きに似ている!

「まあよい。ともあれ、あれは宮仕えの本意をしっかりと果たしてくれたのだ。故大納言の北の方もせいぜい長生きして若君の成長を見届けることだな」
 そう切り捨てる彼の独り言は残忍てす。何故なら彼の言う宮仕えの本意とは、後宮の女たちの宮仕えの本意、ひいてはその後ろにいる男たちの宮仕えの本意と全く違うからです。だから故大納言の宮仕えの本意とも、その北の方の宮仕えの本意とも噛み合いません。でも私は革命の同志だから彼のそんな残忍ところ、しびれました。だからたった今、私のことをあれ呼ばわりしたことも、その覚悟の程に免じてゆるす。
 そんな平安時代では来訪のお礼にお使者に品物を渡します。こんな喪中でもというか、喪中ゆえにというか、私の母は命婦に私の遺品を差し上げました。立派な装束一式に髪上げの調度類。命婦、さぞ嬉しいことでしょう。伝説の桐壺更衣が実際に使っていた実物です。え、あ、これから伝説になります。命婦はその私の遺品を帝にお目にかけました。
 ついさっきまで長恨歌を遠景に、私の死を近景に、宇多帝の御訓戒を復習しながら、この先の政の具体像を練っていた帝は、今にして思えばどうやらこの時に、あの恐ろしい、倫理に反する、非情な計画を思いついたようなのです。そうとしか思えないのです。
「訪ねゆく幻もがなつてにても魂のありかをそこと知るべく」
 彼はそっと口ずさみました。でも彼が私の偽物を探し出して後宮に迎え入れるのはまだ先の話。だからこの時、私が思ったのは、「彼、もしかして私がここにいるって見えているのかしら」ということでした。

 月が美しい夜なので弘徽殿の方では管弦の遊びが催されています。ほら、聞こえますでしょう。人々の神経に触ることなど平然と蹴り倒して、深夜にまで執拗に奏でられる夜な夜なの大音響。
 私にはよく分かる。これは彼女の私への追悼の演奏会。帝に煩いと不快に思われても、世間に思いやりがないと罵られても、悪びれもせず、かき鳴らされる、それ。決して上手くはないけれど、音曲はそれが響くこともあるという、それ。
 楊貴妃は音曲の天才だったといいます。実際、数々の名曲と愛器と伝説を残しています。にも関わらず、弘徽殿女御のやかましくぎこちなく下手なそれは、楊貴妃のそれを彷彿とさせます。痛々しいまでに想起させます。その熱量、感情、豊満、本当に彼女は楊貴妃そっくり。
 いや、違う。追悼をする彼女は模倣だ。楊貴妃は私か。私、楊貴妃、嫌いなんだけど。

 月は沈んた。彼はまだ起きています。「灯火を掲げ尽くして」と白楽天が描いたように、まだ起きています。宿直申しの声が聞こえてきます。右近の司なので、もう丑の刻です。帝は人目を気にして、やっと夜の殿に入ります。そして朝、起きられない。朝の政も怠ってしまう。私たちのやっていることはあの頃と何も変わっていなかったと言えましょう。
 食事もとらない。朝餉の膳には形ばかり箸をつけて終わり。大床子の御膳などは全く見向きもしない。大好物のチーズでも駄目。だから
「こういう宿命だったんでしょうよ。周囲の非難も恨みもお構い無しで、あの更衣のこととなると物事の通りも一切無視して、生きていたら生きていたで、死んだら死んだで、今またこう。こんな風に政務さえ捨て去っている有り様なのだから、もってのほかだと言うしかない。困ったことだ」
と、人々は異国の例まで引き合いに出してひそひそと囁き合います。またこれ。繰り返されるこの話題。でもすでにしてその話題は私たちの手の内も同然の展開。それに帝の引きこもりは最初の空っぽ状態の引きこもりとはもうすでに違います。彼はその力で思い描いているのです。何を思い描いているかって?それはね。

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