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桐壺登場 その十六 元彼の行方、原作になくても語る

その十六 元彼の行方、原作になくても語る

 月日が経って光る君が参内しました。子の成長は不気味です。なおかつ美しく生まれ出た子が美しく生い立つのは、とてもこの世のものとは思えません。
 本物の怪物。
 それを目の当たりにした帝。由々しきことだと感じたようで。私も心配になりました。美しいということは力ですから。美しすぎるということは力が強すぎるということですから。その強すぎる力が禍とならなければよいのですが。それはまだ先の話。

 翌年の春、次の春宮が決まりました。弘徽殿腹の一の御子です。案の定、人々は、ほっとしつつも拍子抜けして、言いたいことを好き勝手言いまくります。
「ねえねえ、春宮、ついに決まったって」
「ほうらね、やっぱり駄目だったでしょ」
「いくら可愛くても、ねえ」
「ちょっと待ってよ、可愛いは関係ないでしょ」
「関係あるわよ」
「結局、可愛いからこそ春宮にはしないのよ」
「あら、一の御子だって可愛くてよ」
「一の御子、がんばれ」
「だからあ、可愛い可愛くないは関係ないでしょ」
「関係あるわよ!だってよくある物語だとここは薄幸の美しい二の御子が大逆転で決まりなのにさ!そんで目出度し目出度しって大盛り上がりの場面なのにさ!」
「おい!これは婦女子の読み物なんかじゃないんだぞ!一の御子に謝れ!」
「婦女子の読み物を馬鹿にするな!っていうか婦女子って言うな!」
「もういいよ、一の御子で」
 言いたいことを言いたいお方は他にもいらっしゃるのですが、弘徽殿の彼女は何も言いません。言えません。お察し致しします。
 それと現春宮様、話題に出ません。完全に忘れられています。お察し致しします。

 母上もさぞ、がっかりしたでしょう。あれよあれよと負に巻かれてここまで来たというのに、最後の最後でその負の力は我々を裏切った。宮仕えの本意は潰えたのです。さぞや恨みも深かろう。
 しかしこのお方は我が身を不幸でジャラジャラと飾り立てて、孫をダシに、時の帝と御文をとりかわしては光る君を行ったり来たりさせておりました。私は安心しました。宮仕えの本意なんてご都合主義の他力本願、ない方が良いんです。そもそも私の母は優秀なんですから。その母が、
「今はせめて亡き娘のところへ早く訪ねていきたいものです」
とか言っちゃって。
「残される若宮がお痛わしゅうございます」
とか言っちゃって。
 これから母上はきっと、悠々自適に無害で高級な、この世の果てまでも味わい尽くした者にのみ許される恨み辛みを自慢気に振り回して、今度こそ優秀な自分自身を綽々と生きるでしょう。

 そうそう、手長足長から聞いたのですが、あの皇太子様、生きています。
 あの時、殺されてもおかしくなかった私の元彼、皇太子様。越前経由で秘かに海外に亡命させたのは何と、あの右大臣だそうで。しかも右大臣はそのことを誰にも言わなかったそうで。
 私、ちょっと感動しました。、あの鈍そうな右大臣がこんな気の利いたことを自分の頭で考えて、実際に行動することができただなんて。今までこっそり馬鹿にしていただけに感心しました。
 それで皇太子様、今、何処に?
 こちら側にはこちら側のエロイムエッサイムな情報網というものがありまして、それを駆使して手長足長が調べてくれました。
 皇太子様は今、とあるオアシス国家に身を寄せていらっしゃるそうです。キャラバン隊を率いて貿易という商売をしているそうです。
 私も行きたい!
 私もやってみたい!
「行けばいいじゃない。幽霊なんだから。瞬間移動で、ぱぱーっと」
とか言うあなた。分かってないね。そんな非科学的なこと、できるわけないじゃないですか。
「じゃあ空を飛んでいけばいい。生きている人が地面を歩いて行くように、幽霊はふわふわふわふわ空、飛んでいけばいい。だって地球は丸いんだから」
分かってないね。まあ、私もこっちの仕組み、まだよく分かんないんだけどね。
 私が中空をふわふわ歩き回れるのは生前に縁を結んだ二条院と宮中だけです。生きるというのは契約みたいなものらしくて、死んでしまうと本当にもう不自由です。どんなに頑張っても嗅ぎ回れるのはその境界線くらいです。境界線というのは夢と同じです。
 私は二条院で生まれて、帝の後宮に入内して、桐壺更衣と呼ばれて、光る君を生んで、死にました。その契約範囲外のことはどんな霊感をもってしても不可能なのです。仮に私、行けたとしても何もできません。死んでいるので何も経験できないのです。
 それから私、幽霊じゃないから。
 じゃあ何なのかってって言われたら困るけど、幽霊じゃないから。
「ちょっと待って!あんた、自分の葬式を見に火葬場まで行ったじゃない!二条院を出発して鴨川から糺の森に行って愛宕まで行ったじゃない!初めて来るぅって、はしゃいでたじゃない!」
 それは本体があったから。いや、本体はこっちか。肉体があったから。くっついていっただけなんです。楽々できました。私、難しい理屈は何も考えていませんでした。
 どうやらそういうことらしいのです。そして私の命が使ってた肉体は火に焼かれてゆっくりと契約を解除して私以外へと帰っていったので、私はもう、二条院と宮中の残像でしかないのです。誰かが強力な反自然の術でもかけない限り。
 はい、ということで、白楽天が反魂の術、描いてますよね。そういうの好きっぽいですよね。放浪したり、修行したり、道士の資格まで得ているし。でも反魂の術、信じてたのかしら。どうなのかしら。私、読みながらいつも疑問に思ってました。この人、本気で描いているのかしらって。みんなはどう思う?
 私、白楽天は自然の摂理に反すること、信じていないんじゃないかしらんって思うのよね。信じていないからこそ描けるものだと思うの。もし信じていたのなら、とてもこうはいかない。また信じている人の描き様というのは別だと思うし。
 白楽天が何を信じていたのかは知らないけれど、そういう歌が大好きな平安人というのは、あなた方が一般的に思っている印象よりもずっと、いいえ、あなた方以上に、切実に、自然の摂理に精通しているからこそ、それゆえの平安人なのです。
 それに私、だから私、幽霊じゃないから。幽霊なんて本当はいないから。じゃあ何なのかってって言われたら困るけど。別にもういいじゃない。
 友達の手長足長によると、皇太子様は日本民族である御自分の根源をいつも探し求めておいでだったとのことです。千載一遇の好機となった亡命に際して、皇太子様はお生まれになった時に先の院よりお授け頂いた菊花紋の守り刀と愛読の竹取物語だけを持って行かれたということです。ペルシャを目指して行かれたそうです。ペルシャ!宇津保の敏蔭が漂着したところ!


 


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