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桐壺登場 その六 若宮誕生、その時を語る

その六 若宮誕生、その時を語る

 宮中は出産の穢を忌むので、里帰り出産です。臨月を迎えた私も実家の二条院へやっと帰ることができました。
 やっと帰れたものの、それどころではありません。出産とは何と凄まじいものなのでしょう。人類はこの営みを一体どれほど繰り返してきたのでしょうか。一体何のために繰り返してきたのでしょうか。
 何という脅威。何という戦慄。何という神秘。
 神に平伏するように、私はこの絶対的他者に畏怖し、平伏します。
 女ってすごい。これを穢とかいう社会などクソクラエだ。
 このように私は生命の領域のすぐそこまで逝って触れて参りました。そこにお前がいたのだったね。

 生まれたのはやはり男御子でした。世間の期待通り、美しい男御子でした。
 帝が早く見たいとお思いになられたということで、急いで宮中に参上させることとなりました。生まれたばかりの赤子が浮かれ調子に連れて行かれる、というわけです。私はまだこんな体だから。
 少し悲しいです。
 赤子は滅多にないほど美しい御容姿であったということです。そうでしょう。私もそう思いました。その美しさ、感動しました。
 実は私、子どもってそんなに好きじゃありません。うるさいし、汚いし、遠慮がないし、意味不明だし。かといって嫌いというほどでもない。要は興味ないんです。
 何かの書物に書いてありました。生まれたての赤子はしわくちゃで猿みたいだって。馬小屋の匂いがするって。だから覚悟していました。そういうものだって。
 それなのに美しいのです。お日様の匂いがするのです。抱いていると幸せなのです。
 帝もそのように我が子をお抱きになられたことでしょう。
 少し寂しいです。

 寂しい私はこんなことを考えておりました。聞いてください。
 更衣とは決して軽々しい身分ではありません。いとやむごとなき際にはあらぬ、という原文から皆さん、相当勘違いなさっているご様子ですが、これは平安貴族社会構造のどてっぺんの三角形の部分の話です。際とはそういうことで、際にはあらぬとはそういうことです。だから更衣とは、ほとんど多くの人々にとっては、決して軽々しい身分ではないのです。
 そして後宮には後宮の調和というものがあります。
 それなのに、いつも桐壺!また桐壺!昼も夜も桐壺!いつもいつも桐壺!何なのよ!
 さすがに皆の声が聞こえます。分かります。分かります。皆の気持ち、ごもっともです。
 ある時など私、朝までずっと一緒という、あられのないことをしでかしました。あれではまるで並みの女官だとあちこちで叩かれました。
 その通りです。反省しました。
 そして思いました。ひょっとして帝は私を妃して扱っていないのではないかと。
 これに気づいて私、落ち込みました。落ち込んで、落ち込んで、ついに、
「それでもいい」
と思いました。妃とか、女御とか、更衣とか、身分とか、どうでもよくなりました。まるで、動くな、と言っているかのようなあの重たい装束も、それを引き摺りやる一足一足が喜びとなりました。
 ずずず、ずずず。
 実は楽しかったのです。反逆が。逆走が。
 私たちは比翼の鳥。連理の枝。
 さあ、ともに戦おう。
 あなたが我が子を抱いている姿、目に浮かびます。あなたもそう思っていて?

 この美しさ、普通じゃない!

 ああ、やっぱり私はあなたの妃なのですね。
 間もなく私は地獄の職場に復帰するでしょう。
 あのきらびやかな重装備の戦闘服を再び身に纏うでしょう。
 その前に状況を整理しておきましょう。
① 私の御子は異様に美しい。
② 私には帝のありえない御寵愛しかない。
③ そのどちらも世間によく知られている。

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