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桐壺登場 その四 そもそものもやもやを語る

その四 そもそものもやもやを語る

 帝はまだ中宮を決めていませんでした。次代の春宮も決めていませんでした。右大臣という確かな後見を持つ弘徽殿女御の一の御子がいらっしゃるにもかかわらず、全ては保留にされていました。
 現春宮は帝の弟宮でいらっしゃいます。もう少ししたら元服して、然るべき家筋のお姫様を妃をお迎えになるでしょう。そして帝位におつきになるでしょう。
 そんな中、御寵愛の更衣の懐妊。人々はざわめきます。
 もし、男御子であったら。
 新春宮は。中宮は。

 いつの世も人々はあちらこちらで呟くもので、中心から距離をおかれた毒にも薬にもならない者ほど正論を過剰に呟きます。しかし過剰な正論はもはや間違っているも同じです。
 私は自分の懐妊が国政に影響をもたらすなんて考えていません。だって更衣ですから。健全な後ろ盾なんてありませんから。
 そもそも更衣とは何でしょう。読んで字の如く、帝の衣替えのお世話をする女官のことです。私、これ、やってるんです。って言うか、これが本来のお仕事なのです。なかなか楽しいです。やりがいがあります。
 衣替えは大切です。季節の移ろいを身に纏う衣によせて森羅万象の一部となるのです。そしてその巡りが私の評判となるのです。明快です。爽快です。それで思うのです。いろいろあったけれど、ここに来てよかったと。不安もたくさんあったけれど、自分が自分で本当によかったと。そんな風にとても嬉しく思うのです。そしてもっと見識を深め、経験を積み、工夫を重ねて、新しい挑戦もしてみたいと思うのです。
 でもね、そんな更衣の役職は帝に侍る機会もあるからと、女御に次ぐ身位で妃でもあるわけです。何だかこれっておかしくないですか。だらしなくないですか。都合良すぎませんか。だったら更衣も妃であるのだから、その先の可能性だってあるわけでしょう。つまり。
 それで人々が言うのです。「ありえない御寵愛が国を乱した例もある」と。
 安禄山の乱のことですね。ああ、憧れの大唐帝国…。我らの世界帝国…。
 でもここでそれを持ち出すの、何かずれてると思うのです。問題の本質は別のところにあるわけでしょう。その歪は至る所に現れていて、その警鐘はとっくに鳴っているじゃないですか。それは無視ですか。放置ですか。にもかかわらず「ありえない御寵愛が国を乱した例もある」ですか。大唐国史、読んだんですか。長恨歌、そんなに好きですか。
 まったく。無知で無力な人ほど無責任に有識者ぶって薄っぺらの学問を振りかざすのだから、いつの世もやり口は同じ。疲れます。

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