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桐壺登場 その一 桐壺更衣、自らの入内を語る

その一 桐壺更衣、自らの入内を語る

 御代の帝はまだお若くて、即位したばかりでした。朱雀の御所にいらっしゃる一の院の御子であり春宮であられた帝は、一の院の譲位によって即位されたのです。それゆえに後宮はすでに賑わっておりました。どのお方も新しい御代に家門の希望を背負っておりますから、それぞれに。
 私は後見となるべき父を失って入内した、通常ありえないものでした。落ちぶれた大納言の娘の入内ならまだしも、落ちぶれた亡き大納言の娘の入内です。通常ありえません。
 入内の支度は母がとりしきりました。母はいにしえの名流の出です。大納言という身分の男が死んだことによって、女の本来の能力が遺憾なく発揮されることとなりました。
 私の後見は母です。母は有能です。しかし社会は男のもので、世の人々は「然るべき貢献がない」などと普通に侮っておりました。だがしかし。
 さあ、これぞ本物の品格である。本物の高貴である。ほんの一年や二年で会得できるものではない。流れる血というものがあるのだ。見よ、愚かな紛い物達よ。
 私の入内は美しかったのです。美しい過去だったのです。
 私は皇太子妃にと望まれて育ちました。その皇太子様はどこに行ってしまわれたのでしょう。
 閉ざされてしまった未来の光景、私の入内。それゆえに人々の目に痛むほど強く攻め込んで、そのせいかどうか、まるであの政変はなかったかのように、落ちぶれた故大納言の娘は落ちぶれた公家の娘と呼ばれたのでした。まあ、中には本物を知らない者も大勢いて、そういった者達は私の入内を質素だとか、地味だとか、暗いとか、感じ悪いとか、心がないとか、仲間内でひそひそと面白可笑しく笑い合い、「さすが落ちぶれ公家の娘よね」と言ってのけたようですが。
 賜った局は桐壺。淑景舎です。二条院で生まれ育った私にふさわしい、丑寅でした。
 そう、いとやむごとなき際を見せつけながら、いとやむごとなき際にはあらぬ更衣の私は、均衡を破る怪物です。人々は並外れた怪力を苛立ちながら羨んだのです。
 ありえない、ありえない。何という破廉恥な女。厚かましいの真骨頂よ。
 人々はざわつき、私は今をときめきました。

 
 


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