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『鬼の夜ばなし5 三人の鬼女のつぶやき(生きながら鬼となった女たち)』 

「でね 悔しいからあの寺の釣鐘つりがねに閉じ込めてやったわ そしたらいつの間にか わたし 蛇になっちゃってて 気が付いたら辺り一面火の海だったのよ」
 囲炉裏いろりの炭が一瞬勢いよく燃え上がった。

「うふふふ」まだあどけなさの残る無邪気なこの娘には、藤色の小袖がよく似合っていた。興味津々なのだろう、若さゆえの真っ直ぐさで、娘は話しながら反対側の女を始終ながめていた。

「まあ それじゃ 中のお人は 蒸し焼きじゃないの」
「あらそれでも足りないぐらいよ 還俗《げんぞく》してわたしを嫁にするって嘘ついたんですもの あいつ」
 
 娘の視線を受け流し、向かいの女は俯きうつむ加減に首を傾け呆れあきれたように笑っていた。
 女の死に装束の白絹しろぎぬと頭に乗せた鉄輪《かなわ》の方が十分呆れた姿なのだが。

「恋焦がれる炎とは なにもかもを焼き尽くしてしまうものですね」
 しわがれた声がする。
 娘と女の真ん中で老婆が茶をれていた。
道成寺どうじょうじは 大変な騒ぎでしたろうに」
 鉄瓶てつびんの湯気が老婆の深いしわでていく。
 鉄輪かなわの女にまず老婆は茶をすすめた。
 ありがとう。礼を言いながら女の頭がぐらつく。

「重たいでありましょうに もういい加減 はずすがよろしかろうに」
「それが だめなのです はずせませんの 二度と元の姿には 戻れないのです」
 女はかぶりを振って、ひんやりとわらった。鉄輪かなわは頭にとりいたまま外せない。未来永劫みらいえいごうこのままだ。人を呪うとは、こういうこと。

「やっぱり丑の刻参りうしのこくまいりなのね あなた それをおやりになったの」
 小袖の娘は好奇心を抑えられない。
「ねっそれどうやるの 呪ったお相手は どうなりましたの」

「いえわたくしはただ 宇治川に二十一日潔斎けっさいしただけ」
 女は遠い目をした。

「鬼を呼んでしまったのです そのまま自らが鬼と同化し本懐ほんかいを遂げようとなさった」老婆が後を引き取った。
「あら そういう方法もあったのね ふうん」娘はなにやら思案顔だ。試してみてもよかったかも。とそういう顔だった。

 ここは安達ケ原あだちがはらの一軒家。丑三つ時の夜の底に、女たちの情念が熾火《おきび》のように揺らめいている。
 外は森閑しんかんとして風の音さえない。野に蠢くうごめくものたちは、息をひそめて女たちの話しに耳をそばだてる。

 女は長い髪を五つに分けて結い上げていた。
 蝋燭ろうそくを三つ立てる鉄輪かなわの、鋭く尖ったとがった先には、流れ落ちた蠟が固く凝《こご》っていた。

「ねえそれで それで どうなったの」
 娘は幼子のように話の先をねだった。
「あんなに逢瀬おうせを重ねたお方が あっけなく心変わりなさるとは思いもよりませなんだ」
 
 ひとつ息をついて
「わたくしよりも ほんの少し若いというだけの女の元へ向かわれ
 以来わたくしの元へは もう二度と通ってはいただけませんでした。 
 そう いつの間にか わたくしも変化《へんげ》しておりましたよ。
 変化した姿で どうやら大路おおじを 風のように駆け抜けていたようで 気が付いたら あの女の屋敷でした」

 寝間の男女に刃物を振り回しているおのれの姿が鏡に映る。
 その刹那せつな、女は急速に自分を取り戻していく。傍らの若く白い柔肌やわはだの女と、この鬼となった己の姿の対比。なんと浅ましい姿だろう。
 愛しいお方にこの姿を見られてしまった。消えてなくなりたいと願ったところまでは覚えていたが、その先は記憶が定かではなかった。

 ふたりの話しに耳を傾けていた老婆も、今の今まで忘れていた、自分のしでかした凶行きょうこうがふと目の前に立ち現れ愕然がくぜんとする。
「ああ 私はただ遠い昔の思い出話を ここで 道に迷った旅人たちに語っていただけだったのに」

 栄耀栄華えいようえいがも思いのままだった遠い昔、まだ美しかった自分と愛おしい者たち。それが度重なる戦乱に消え失せ、流れ流れてたったひとり地の果てに流れてきた。もうここから新たな場所へ飛び立つこともかなわない。

 語るはしから、どこにも向けられない恨みや怒りが甦りよみがえり、帰る場所のある目の前の旅人たちが、ただただ妬ましかった。

「どうか私の寝間だけは覗かのぞかないでくださいまし」
 夜半、老婆は毎回、旅人にそう告げて自室にさがるのだ。
 そういわれて覗かない者はない。もったいぶった言いぐさに、何かあると思わせる。すると案の定、皆、戸を開けてしまうのだ。
 寝間には犠牲になったむくろが積み上げられていた。
 腰を抜かした者たちを手に掛けるのはたやすかった。
「ふうっ」と老婆は大きなため息を吐いた。

 生きながら鬼になった女たちはそれぞれ成敗せいばいされ、罪を命で贖うあがなう結果となったが、この女たちを鬼にしたものはなんだったのか。
 嫉妬しっと心であったり羞恥しゅうち心であったり過去へのがれる想いであったりするのだろうが、鬼となったことを女たちは決して悔やんではいなかった。
「それもまた人というもの」呟いたのは、はたして誰だったのか。

参考 『平家物語』、『今昔物語』、馬場あき子著『鬼の研究』
・<道成寺><鉄輪の女><安達ケ原の鬼婆>の壮絶な物語は、中世に確立され、能や歌舞伎等で演じられてきました。今回も作者の独断と偏見での創作となりました。ご高覧たまわりありがとうございました。

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