君と僕と水族館と。5            イラスト 山本沙紀さん 小説 鈴木智弥

 まだカーテンを閉めていないリビングの窓から、家の前の道路を走っていく車の光が差し込んで、私たちを包み込む。こっちは暗い気持ちになっているというのに全く理不尽なものだ。
「ごめんなさい、私が弱かったせいで」
私は、彼の肩を掴む手の力を無意識に強めながらさっき水族館であったことをまた思い出す。彼よりも生きた年数が多いのだから、私が守るべき立場なのに、彼になにかあったら、私が助けてあげられるって思っていたのに。
それは、ただのうぬぼれだった。
「気にしないで、俺がもっと早く来ていれば」
「ううん、私が………」
私たちの家は、まだ暗いまま。だんだんと、道路を通過する車のライトも少なくなっていく。
「俺が守らなきゃ、だめなのにな」
「違う!」
彼のそのセリフに、私は少々強めに言葉をぶつけてしまう。
「……!」
「あ………ごめん、その」
抱き寄せていた腕を伸ばし、彼との距離が離れる。真っ暗なリビングの中で冴えた目は、暗闇に浮かぶ彼の表情をはっきりと映した。
彼は、はにかんでいた。
「もしかして、年上だから守らなきゃとか、迷惑かけれないだとか考えてる?」
「えっ、なんで」
「なんでって、一緒にいたらわかるよ。思ってることくらい」
君はいつも、私に意地悪だ。それは、今も。
「まず年齢なんて、俺は気にしてないからな。俺が下なのも、君が上なのも」
「でも、私はやっぱり君に助けられるのは………」
「俺が助ける理由、今こうやって君のそばにいる理由。そして、君が俺のことをよく心配してくれる理由。そんなの全部、好きって言葉だけで足りるだろ?」
外を走る車が、家の近くに路上駐車をした。改造しているのだろうか、ライトの色は優しい青色だ。まるで、クラゲがいたコーナーのような色彩が、彼にスポットライトを当てる。
「また、君に助けられちゃったみたいだね」
「助けてるつもりはない、君が俺の言葉を受け入れてくれただけ」
「かっこつけちゃって」
「いいだろ、別に」
「うん、当たり前」
さっき離れた二人の体は、また無意識に引き寄せあう。車の青いライトが、レースカーテンを通して部屋の中で揺れている。
「なあ、今から海に行かないか? もし、君がよかったらだけど」
「え、海? 私はいいけど、ちょっと遠いんじゃ」
「いいや、特に観光ビーチでもないただの海辺なら、近いところを知ってる。水族館みたいに、生き物を見たりはできないけどさ、デートの続き」
彼の笑顔は多分、こんな夜でさえも輝かせるほどまぶしいものだ。もしも暗闇に一人取り残されてしまっても私は、彼が助けに来てくれると信じてしまうだろう。
「うん、連れて行って。水族館の続き」
「行こう、次はだれにも邪魔させないからさ」
 私は彼に手を引かれて、もう一度家の外を出る。心地の良い涼しい風が背中をそっと押した。

「意外と近い場所にも、あるもんなんだ、海」
 彼が運転する車は、20分間ほどアスファルトの上を駆けて海岸に到着した。家を出たときにはまだ残っていた空の藍色は、もうすべて黒に塗り替えられている。
「昔、友達と釣りに来たことがあってさ。まあここに来たのはその時限りだったけど、夜になると月が海に映ってさ。ずっと記憶に残ってるんだ、ほら」
地上にむき出しになったテトラポットの上に座りながらしゃべっていると、彼に頭をそっと掴まれて、海の方を向かされる。乱暴だよって怒ろうとしたが、その光景に私はその気持ちも忘れてしまった。
「すごい………てか、満月?」
「残念だけど、満月ではないかな。多分、その一個か二個前」
「ほとんど丸いのに。それでも、綺麗」
海面に映る月明りは、波と共に揺れ動く。
「満月の日は確か雨だったから、今日が一番、今月で月がきれいに見える日だったかもな。だから、ナイスタイミング」
「えっと、ナイスかなあ………」
私は、グッドサインをする彼を横目に、そうつぶやいてみる。
「いや、違う違う! 君が水族館で気を悪くしたことをナイスって言ったつもりはなくて、結果オーライだから、もう気にするなってこと」
慌てた様子で弁明をする彼は、さっきまでのかっこいい彼とは違う。なんていうか、やっぱり年下なんだなっていう。
「君が言わなきゃ、月の虜になった私はそれを思い出すことも無かったのですが?」
少し彼に距離を詰め、脅すように顔を近づける。多分、今私がしていることはあのナンパたちと変わらない。
「ああ、いやその………ごめん」
彼は申し訳なさそうに、私の手のひらを少しキュッと握りながらそう言った。
「ふふ、取り乱した」
「だって、そりゃあ。もしかして、からかってる?」
「あはは、やっぱり可愛いや、君は。さっき年齢もなにも関係ない、なんて
言ってくれたけどさ。やっぱり年下はいじりたくなっちゃうなー。それと、今日の意地悪のお返し」
私がそう言うと、彼はむっとした様子で私の方を見つめた。ふぐみたいで可愛い。そんなことをもし今言ったら、今度は針が生えてハリセンボンみたいになっちゃうかな。
「なんか心外だけど、今日は君に怖い思いをさせたし。どんな意地悪も受け入れますよ」
「素直だね、君は。じゃあ、下に一緒に行こ。水の方」
「えーと、それが意地悪?」
私は、また彼の手を引く。足場は割と頑丈で落ちる心配もなさそうだ。それでも彼は心配性で、私の手をしっかりと握っていた。
「降りれたね、さ、さがそう」
「何を探すの?」
「それはまだ内緒。あっ、スマホのライトはだめ。月の明かりで、きっと十分だから」
「ああ、ごめん。魚なら、びっくりさせちゃうよな」
私は浅瀬の方をじっくりと見て、目当ての生き物を探す。
ちょうど、波が揺れたその時、同じく揺れ動く透明の生き物を見つけた。
「ほら、いたよ。こっち」
「え、わっ。もしかしてクラゲか?」
「うん、君、この子のこと不気味とか言ってたし。しっかりと間近でも見てもらおうと思って」
「確かに不気味って言ったけど、俺、ほかにもクラゲに思ったことがあってさ」
「ん?」
「なんだか、君みたいだなって思ってさ。ゆらゆらしてて、気を抜いたらどっかに消えてしまいそうな雰囲気があって。そう思ったら、クラゲも可愛く見えたよ」
「それって、私が頼りないってことですかー」
「君のこと、手放しちゃいけないなって」
「物はいいよう。でも、そう思ったなら、ずっと」
「うん、もう離さない」
月の明かりに照らされたクラゲと海の波の揺れ。ゆらゆらと流れる時間の中で、二人を結ぶ何かが、さらに強くなった気がした。

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