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絵本から経済を考える 第8回 「続・鬼の経済学」 谷 美里

 前回の連載では、現代の発展途上国における貧困問題を扱った代表的な絵本2冊『Beatrice’s Goat』と『Cloud Tea Monkeys』を取り上げ、それらの物語形式が昔話でお馴染みの「長者譚」と「報恩譚」であることを指摘した。そして、他者に親切にすればやがて報われ、貧しさから抜け出せるというストーリーは、貧しき世の人々の願いを反映した昔話ならいざ知らず、現代の英米で制作された途上国を舞台にした絵本としては、致命的に着眼点がズレているということを述べた。私たちが見るべきは、幸運な異例としての「長者譚」や「報恩譚」ではなく、むしろ「報われなさ」の方であるはずだからだ。
 そこで、「報われなさ」に着眼した物語の例として、「鬼」の話を挙げた。例えば、『おにたのぼうし』や『やんちゃももたろう』などの絵本に登場する鬼たちは、心優しく親切であるにもかかわらず、彼らの行為は最後の最後まで報われない。彼らが報われないのはなぜかと言えば、それは、鬼たちが「交換」もしくは「贈与返礼」という人間社会のシステムから完全に排除されているためであった。
「貧困者の報われなさ」というのは、ある意味でこの「鬼の報われなさ」と似ている。貧困状態というのは、他者の持ち物と交換可能な、あるいは贈与/返礼できる金銭やモノを持っていない状態のことである。貧しさゆえに支払うべき金銭が支払えなかったり、贈与/返礼ができなかったりするというのは、その人が社会の信用システムの中に入れないことを意味する。ひとたび信用システムから排除された者は、報われない負のスパイラルに落ち込んでいく。
 よって貧困問題は多くの場合、まずは「交換」「贈与返礼」の信用システムの中にどうやって入るかというところから考えねばならない。

 開発経済学の分野では、貧困者に施しをするという行為は、貧困問題の解決法としては不適切であると言われている。貧困者に施しをするのは、贈与に対する返礼ができない者に対して贈与をするということであり、それはすなわち、社会の信用システムからの脱落を突き付けることを意味する。長期に渡る施しは、施しを受ける者の尊厳を傷つけ、貧困から脱出するためのやる気を奪い去り、却って貧困を永続させてしまう。一方の施しをする側は、施しをしたことによって良心が満たされ、それ以上のことを考えなくなってしまうのだ。

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