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徒然なるままに:決断

道というものは、あなたが今通っているところではなくて、あなた自身だということを覚えておいてください。
あなたの外で起こっている変化というものは、本当はあなたの意識の中で起こっている変化なのです。
なぜならば、あなた自身があなたの現実を創っているからです。
ですから、あなた自身の変化を信じて変化に逆らわず、その変化の流れに乗って自分の一番やりたいことをすることが、あなたの本当の道を歩くことに繋がってきます。
それがあなた自身の肯定的な成長に繋がってくるのです。
その時その時の本当のあなた自身にフォーカスしている状態、それが一番大切なことになります。
ひとつの道、これでなくてはならないということはありません。
もし道がひとつなら、この世の中には一人しかいないことになります。
       バシャール

生きていると、大きな決断を迫られることがあります。

どの学校? どんな仕事? 誰と結婚? どこに住む?

その時その時の様々な要因に翻弄されながらも・・・決断を迫られます。

損得勘定で決断するのも良し

人間関係のしがらみの中で決断するのも良し

世間体や見栄で決断するのも良し

良い子ちゃんでいることを優先するのも良し

誰かに言われるまま、霊能者や神仏に言われるままも また良し

・・・その決断に我欲とエゴと煩悩がこびりついていませんか?

天地自然の風を感じ取ることができていれば、
無欲になれます。
中庸に立てます。

我欲とエゴと煩悩はあります。あって当然・・・だって生かされているのだもの。

我欲とエゴと煩悩は悪でも善でもありません。

ただ風の如く 現れて、頬を撫で髪を揺らし、どこかに消えていくだけです。

自分自身で生きているうちは、そんな風のような我欲とエゴと煩悩に翻弄されます。

向かい風でも、追い風でも、無風でも、風に支配されています。

生かされていることに気づけると、もう風は草花を揺らし、紅葉を踊らせ、雲を流すだけ・・・風を見る、風を嗅ぐ、風を聞く、そして風に触れる。

風は確かに在るけれど、風の無に触れた瞬間、空が拡がります。

我欲とエゴと煩悩の中で生きるために決断するのも また良し。

一切有情への供養と廻向の中で天地自然に生かされていくのも また良し。

決断の神さまは、あなたがどんな決断をしても微笑まれておられます。

それが我欲とエゴと煩悩の決断でも 善き哉 善き哉と微笑まれます。

それが無我の決断でも 善き哉 善き哉と微笑まれます。

どちらが正解、どちらが優れている はありません。

決断を迫られた時、まずは肩の力を抜いて、自分のこころに坐しましょう。

目を閉じて・・・

聞こえてくる音を聞きます。

そのまま自分の体の中から聞こえてくる音に耳をそばだてます。

こころがザワザワしながら大声で叫んでいる声が聞こえてくるかもしれませんが、それも 善き哉 善き哉 です。

こころが何かの感情でいっぱいになってくるかもしれませんが、
それも 善き哉 善き哉 です。

やがて眠ってしまうかもしれませんが、それも 善き哉 善き哉 です。

意識の中に、本当はやりたいこと、選びたいことが見えてくるかもしれません。

意識の中に、でも我慢しなきゃ、諦めなきゃ、ムリだよ の思いが浮かび上がってくるかもしれません。

そこで決断する必要はありません。

つむじ風のように我欲とエゴと煩悩が舞い上がっただけですから、しばしの間、待っていましょう。

つむじ風がどこかに消えてしまったことに気づいたら、もう意識の中の迷いも消えかかっています。

そう、そのまま迷いを手放して・・・決断しなくても良いから、迷いを手放します。

ふっっっ と大きく息を吐きながら、迷いも吐き出してしまいます。

目を開けて、決断など先延ばしにして日常生活に戻ります。

すると・・・迷っていたAとBのどちらに行くように天地自然の風が吹きます。

それはきっと抗えない風、抗いたくない風のはずです。

我欲とエゴと煩悩に染まった風でも構いません。

嘘っぱちな正義や良い子などより、よっぽど自分らしいのですから。

決断の神さまは「あなたらしく生きなさい」と仰います。

我欲とエゴと煩悩はジュエリー宝飾品に過ぎません。

もっと自分らしく生きる、もっと自分らしく輝くために身につければ、

我欲とエゴと煩悩は善悪、優劣、貧富などのしがらみから解き放たれて

本来の美しさで輝いてくれます。


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