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徒然なるままに:虹

暮らし歳時記さんの今日の記事から・・・

こんにちは!根っプロです。
4月15日から七十二候の「虹始見(にじはじめてあらわる)」になります。冬の間、乾燥していた大気が潤うようになり、雨上がりの空に虹がかかるようになるという意味です。淡く、消えやすい春の虹も次第にくっきりとしてきます。
その虹の色を日本では7色と表現しますが、アメリカやイギリスでは、一般的に虹は6色といわれていて、藍色を区別しません。ドイツではさらに橙色も区別しないので5色となり、アフリカでは暖色と寒色のみで2色という部族もあるそうです。同じ虹を見ているのに、どうしてでしょうか。
もともと虹は連続して変化した色の帯ですから、はっきりとした色の境目があるわけではありません。これを何色ととらえるのかは、その国の文化によって違いが出てきます。また、色の名前を知らなければ、色を識別することもできません。
日本では馴染み深い藍色を、日本人は虹の色として数えるため、欧米では6色といわれる虹を、7色と感じるのでしょう。
ちなみに、色彩学上の定義は7色。ニュートンが、当時のイギリスで「赤、黄、緑、青、紫」の5色と考えられていたところに、「オレンジの橙」「インディゴの藍」を加えて7色としました。

チベット仏教:ゾクチェンでは、生前に・もしくは死が訪れた時に、輪廻から解脱できていれば、遺された死体は、幾重もの虹となって空へ放たれて消えてしまう、と伝えられてきました。

生前なら、身体が何となく軽くなった感覚、前よりも身心頭魂が自由になった感覚がするそうです。

時には、その人のまわりのオーラ:エーテル体が朧気にキラキラしているのが、他の人たちの目にも見えることも・・・

仏陀さまは、何度も「この世」に現出して下さっていますので、もし生の仏陀さまを直接見ることができれば、仏像やタンカ(仏画)に描かれているような光背が見えるかもしれません。
(仏陀さまの化身には、いつでもどこでも光背があるのですが、それを見た人の目と意識が三毒・五悪念に染まっていると・・・見えません)

死後の虹の身体には3形態があります。

最も仏陀さまに近い境地にまで覚醒解脱できた覚者は、自分の死が近づくと、洞窟や小さな小屋に籠もり、死を迎える準備をします。

食を絶ち、結跏趺坐で深淵な瞑想に入り、チャクラを自ら順々に閉じていきます。

すべてのチャクラを閉じて、生氣を宇宙の森羅万象に布施しまうと、生まれた時に持ってきた仏性だけが残ります。

どこに仏性が坐しているのか? は、前世から数多に続く輪廻転生のカルマによりますが、そのカルマの集大成を今生で浄化し解脱するための今生だったので、それがハートでも下丹田でも頭や喉でも、どのチャクラでも構いません。

そんなことに優劣を求めてしまうようでは、覚醒できていませんから。

さて、穏やかな死の中で、ご褒美の悦楽ホルモンのご馳走も堪能してしまえば、そろそろこの世からお暇する時間です。

生前に三毒も五悪念も完全に排毒浄化できた上に、生への執着は勿論のこと、五善念と善業への執着も、神仏への執着さえも消え去っていれば、死体は虹の光となっていることでしょう。

仏陀さまへの執着さえ、もう消えました。

自分は仏陀だったことを完全に思い出します。

と同時に、仏性は空性へ、光明へ、涅槃へと戻っていきます。

この時、虹の光が幾重にも天空に向かって伸び上がります。

死体は完全に消えてしまいます。
結跏趺坐で坐していた影だけが遺されることはあるようですが。

この虹の身体は、パドマサンバヴァさまをはじめとする歴代の聖者たちに現れたと伝説的に伝えられています。

もう少し 緩め の虹の身体もあります。

三毒も悪念悪業も生への執着も完全に捨て去っていて、自らのチャクラを閉じていく術も会得できている覚者ならば、やはり死期を悟ると同じように洞窟や小屋に籠もって、死を迎える準備に入ります。

そして虹の身体を成就して、数多の虹と共に天空へと還ります。

死体は見事に消えていますが、髪の毛と爪だけは遺されています。

髪の毛と爪は不浄なものだと考えられているからです。

この虹の身体の成就は、近代でも実際に起こったことも記録されているそうです。
遺された髪と爪を成就者の証として祀ってある寺院もあります。

更に 緩め の虹の身体もあります。

こちらは今でも月に数回? チベットやネパールで具現化しており、死者を見送った僧侶が写真に撮ってSNSに載せることも? あるようです。

この虹の身体の成就者は、僧侶だけではなく、市井の仏教に深く帰依していた老人や善業をつんでいた人たち(チベット医師や占星術師など)にも現れるそうです。

この緩めの虹の身体の成就では、死体は消えません。
洞窟や小屋に籠もることもありません。多くのチベット人と同じように自宅の自室で静かに死を迎えます。

死んだ時に、虹が架かることは珍しくないそうです。

死体は消えませんが、どんどん小さくなっていき、数日すると、全身が腕の長さ程度にまで小さくなってしまいます。

死後に親しかった人が訪れてくれた時や葬式の日には、虹が架かることがよくあります。
その虹は、晴天でも、雨の中でも、ほんの一時だけ現れます。

ですから、その虹を見た人たちは、あの人は虹の身体となって解脱できた・・・と大いに随喜するそうです。

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そんな夢みたいなこと・・・チベットだからでしょう?

いえ、大丈夫です。

世界を見渡しても 魔界度トップクラス! な日本人ですから、大いに虹の身体を成就する可能性があります。

魔界な日常で魔人ばかりに囲まれているからこそ、三毒も五悪念悪業も
とてもハッキリと大きく見えます

まるで小学1年生の国語の教科書のようです。

三毒と五悪念に染まり、悪業の中で狂喜乱舞している自分に、フッと気づきやすいのが今の日本人です。

別に虹の身体を目指す必要はありません。

ただ 三毒五悪念悪業を浄化排毒して、様々な執着を手放すために、今、日本人として生かされていることを思い出して欲しいのです。

それは魂の声であり、森羅万象の声でもあり、この日本の声でもあるからです。

生まれてきた意味も、今生の目的も、生かされている意味も、そこにあります。

2022年は、誰にとっても、今生の中の大きな人生の節目となるでしょう。

この先の未来は、人それぞれ。いくつもの未来に枝分かれしています。

戦争の未来も、新たな病のパンデミックな未来も、貧困と飢えの未来も見えますが、感謝と喜びに溢れた平和な未来も見えます。

その平和な未来に向かって、すでに虹の橋が架かっています。

その虹が見えるかどうか?

いよいよ 虹始見 が今日、幕開けしました!


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