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徒然なるままに:マント
早朝の夢ヨーガの導師は仏陀さまでした。
夢は・・・私は車を運転していて、赤信号になったので停止線で止まると、後に止まったパトカーから警官が降りてきて、いきなり「逮捕する!」と言われて・・・私は即座にイラ立って怒っています。
そこで夢が止まって・・・気づきました。
今生の私の意識のずっとずっと奥深くの暗闇に潜んでいる魔物の正体は、イラ立ちと怒りでした。
それは今生に生まれてくる際に、自ら羽織ったマントでした。
誰もが某かのマントを羽織らなければ、丸裸ではこの世に降りては来られないし、生きてはいけないのです。
神さまに、今回はどれにする? と尋ねられたような気もかすかに・・・。
マントには、怒り・嫉妬・貪欲・傲慢・無智のジャンルがあって、それぞれの中には、更に様々なデザインと色柄のマントがありました。
今生の私は、怒り の中から イラ立ち のマントを選び取ったわけです。
そして、怒りのマントを代々愛用していた家系を神さまに紹介され、OKして、生まれてきました。
父母も、ちょっと色柄は違うけど、同じイラ立ちと怒りのマントを羽織っていました。
だから生まれてからずっと、自分の内面のとても奥深いところでイラ立って怒ってきたのです。
それは赤ちゃんのギャン泣きのようでした。
もう何が欲しいのか、何に怒っているのか・・・も分かりません。
イラ立ち怒ることで、かろうじてこの世での自我を保とうとしているようでした。
幼少期から、ずっとそうでした。
社会に出て、いろいろともまれて、変わったかな・・・と思っていたけれど、自分にも見えない深い本質はそのままでした。
やっと覚醒できたよ・・・と思っていたけど、深い本質はそのままでした。
だから今のこの世の出来事に、勝者にも敗者にも、イラ立ち怒っていました。
夢の導師をして下さっていた仏陀さまが仰いました。
「そろそろマントを脱いだら」
脱いだら丸裸です・・・
「丸裸のあなたって何?」
そのまま仏陀さまと瞑想していると、慈悲と慈愛と自由が見えてきました。
そう言えば、今生の中で数回だけですが、誰かに言われたことを思い出しました。
「ホントはとても優しいんだ」と。
仏陀さま曰く
あなたの本質は仏陀ですよ。だからもう、慈悲と慈愛と自由のまま、この世で生きてごらんなさい。もう病も死も怖くはないでしょう?
だからコロナもワクチンも戦争も飢餓も貧困も・・・この世のすべてにイラ立つのです。
ずっと怒っていたいわけです。
イラ立ちと怒りのマントがなければ、丸裸ですからね。
でも、そろそろ裸になりましょう。
全部、この世にさらけ出すのです。
私もイエスさまも、なぜライ病を治せたと思う? 死者を蘇らすことができたと思う?
それはね、丸裸だったからですよ」
魔界と化したこの世は、あらゆる悪念悪業が満ちあふれています。
悪念悪業が強く大きいほど、ヒエラルキーの上級市民になれます。
そんなこの世では、丸裸は決して許されません。
必ずマントの着用が求められます。
つけていなければ、無理矢理にマントで簀巻きにされて、奈落に落とされます。
法律も道徳も常識も同調圧力も、マントの着用を義務づけています。
決して自分の本性を表に出して生きることは許されない世界です。
でも・・・気づいちゃった(;^^)ヘ.. 目覚めちゃった・・・。
私の本性は仏陀です。慈悲と慈愛と自由が私です。
今生だけではなく、ずっと昔から・・・そして、やっと涅槃へ帰れます。
仏陀の故郷へ、私の故郷へと。
医療ヒエラルキーの外に出たから、この世の医療の本質が見えます。
生老病死の呪縛と輪廻の外に出たから、生老病死の本質が見えます。
仏陀さまの中に飛び込んだから、仏法が見えます。宗教界も丸見えです。
涅槃に戻ったから、この世の善き未来が見えます。
この世に生まれてきた赤ちゃんは丸裸に見えますが、すでにちゃんと自分のマントを羽織っています。
そして死ぬまで・・・否、死体が葬られてもマントを羽織っています、後生大事に。
死ぬ時こそが、自らマントを脱ぎ捨てるチャンスですが、まずマントを羽織っていることに気づかなければ・・・。
何とかマントを脱ぎ捨てて丸裸になれれば、虹の身体となって涅槃に戻れます。
これが解脱です。
簡単だけど、難しい。だから生老病死は面白いのです。
さぁ 目覚めましょう。覚醒です。
そして、マントを脱いで解脱しましょう。
もちろん 今のあなたにも できますよ。
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