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お大師さん

11年前のお大師さんとの対話・・・なつかしいなぁ

高野山へいきなり呼ばれて、お大師さんとお話してきたんだけど。御廟からつきっきりで案内してくれはった。お大師さん、けっこう頭にきてるみたいで。大伽藍の大塔や金堂はスルーして(周遊チケット買ってたのに・・ぐいぐい引っぱっていくんだから)

西塔の奥、普通の観光客は行かないところに導かれて・・・そこには大樹の新しい切り株が。中門を作るために伐採。ここで生きてきた木も中門となって生きてくれる。自寺で育て自寺の建物になる 云々。。。そういえば、同じ言い訳で同じことを堂々とやった坊主がいたわ、飛騨の寺に。

お大師さん曰く、木がほしけりゃ祈れば叶えてやるのにって。山も木々も寺のもの、人のものではないでしょう。山と木々の中に寺を置かせていただいてるだけでしょう。中門が欲しい? なら私に祈りなさい。大風なり雷なりで必要な分だけ、ちょうどよい木を授けるのに。ちょっと時間はかかるけどな。

今朝、奥の院への参道の木々を見てきたでしょう。たくさんの木々が切られ墓地となっていましたね。昔からその都度もっともらしい言い訳で木を切ってきました。でも最近は特にひどい。ひどすぎます。山も木々も寺のものだと思っている。私への祈りが失せ我欲に染まってしまいました。

お大師さんの言うとおり、ここ数年、願い祈れば必要な分だけちょうどいい形で叶うことが私にもいろんな人たちにも起こっています。我欲なく、世のため人のため(→宇宙のため=山川草木も含めた、人が中心ではなく、人も宇宙もひとつな世界観の上での世のため人のため)

まず中門が欲しいのは我欲でないか煩悩でないか? まぁ10日間でも座禅すれば気づくでしょう。気づけなければ坊主はムリやから転職せなあかんな。天職ちゃうちゅうことや。世界遺産? あんなもんはお遊びやからどうでもええ。煩悩と我欲がますます大きくなっていったけどな。

とか言いながら急に空模様が・・急いで霊宝館へ導かれて。そこで平清盛の血曼荼羅とご対面。元は極彩色の曼荼羅だったけど、今は暗いドロドロがべっとりまとわりついた感じで。あんまり好きじゃないから次へ進もうとするけど、お大師さんに引き戻されて。

お大師さんが天上から見てる高野山も真言宗もこんな感じなんやって。もちろんこの世、この社会も。

お大師さんの心配事(→なんや、話し相手ってこういうことやったんや)我欲&煩悩の闇の力の方が即効性だし五感で納得できる。真言宗の源は光やった。五感を鎮め内なる感性を目覚め気づかせるための修行やったはずや。それが今は・・・(お大師さん 絶句)

そしてなぜか大日如来さんと繋げていただき、お供につけてくださいました。お土産に(ガイドブックに載っていない)笹巻あん麩のお店へ導いてくださいました。大阪まで帰り道もスムーズで。お大師さんパワーですね。

お大師さんの気持ち、よくわかります。あんなにゆったりと時間が流れている聖地だからこそ、祈りと精妙な直感を大切にして欲しいのに・・・真言宗は再起するんでしょうか? お大師さん、とっても心配されていました。

鰐淵寺の住職さんと意気投合したのは、まさにこの点! 祈れば必要なことが起こる。ひとつひとつ順番に、時間はちょいとかかるけど、不思議な自然現象(檀家さんは偶然って思ってるけど)が起こる。あの住職さん、五感に・我欲&煩悩に飲み込まれていないと感じたから。

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そして今、お大師さんはどうしてはるかな? と繋がってみると・・・

隠岐は良いところじゃ〜 と満面の笑みで大きくノビをされてました。

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