レターマン

毎月一回はエッセイを書こうと思って始めたnoteもシナリオ書くのに集中していたのか、すっかり9月以降書いてなかった。なのでまた書こうかと思ったり思わなかったり。

年賀状。最早死を迎えているようなあの紙。30も手前になりもう年始挨拶も会社くらいだけになったわけだが、小中学からの15ないし20年くらいの付き合いの友人からは年賀状が届くようになった。どうやら大人なのでこういうのもしなければいけないのではとかなんとか。なるほど。それもそうかもしれん。
そういえば今の子供って手紙を書けるんかなって思ったり。通信環境が発達した全てが科学で証明される時代。神妙不可思議で胡散臭い手紙などの書き出しできるんかなと。俺の時は小学校の時は年賀状が何枚来たかがステータスなところあったし、卒業アルバムにはバチクソ住所書いてあるし、他にもプロフィール手帳とかで個人情報マシマシカラメの中で生きて来て、手紙の書き方も教わったけど、必要じゃ無くなってきた今どうなんだろう。コロナ禍になり逆に人の書く手紙も、たった一行でも手書きのメッセージがあると中々いいものだなと思うようになったあるときにとある事を思い出した。

俺の父親、おとんはごみ収集、廃品回収などの仕事をしていた。朝早くに仕事に行って帰ってくるのは16時ごろという、子供の俺には家族がいて良い感じだった。
この仕事をしていると何処から現れたのかわからない漫画とかカードとかよく持って帰ってくれた。小遣いが少なかった俺に遊戯王カードを持って帰ってくれたりとかしてくれた。今はダメだけど昔は暗黙の了解で持って帰ってた。すごい前のことこれは。
当時、エレメンタルヒーローのオーシャンという遊戯王カードがあってVジャンプの袋とじだった。カードの交換で中々レートの高かったそのカード。ある日おとんが持って帰って来た。これが欲しいと喜んだ俺に定期的にオーシャンを持って帰ってくれるようになった。これで何枚か交換していたのだが、オーシャンの流通量が需要と供給を超えてしまい、価値がどんどん下がり子供ながら「だからダイアモンドはいっぱいないのか」と感心したもんだった。

話がズレたが本題。たしかあれは俺が高校三年だったかその辺の時。帰宅した俺はリビングで考え込むおとんを見かけた。仕事で役職を持ったおとんは会社のことをいっぱい考えており悩んでいるところをよく見た。今日もそうなんだろうと思った俺におとんが話しかけて来た。
どーやら手紙で悩んでいるようだった。おとんの書く書類とかを何故か俺に添削依頼をしてくる事があったのでそれかと思って見ようとしたらどうやら違う。
仕事での回収ルートの時にとあるマンションだったかアパートが向かいにある場所があるらしい。朝、変わらない時間に来るゴミ回収車に対してその住民の子供が手を振ってくるらしい。
よくある光景でおとんも手をたまに振り替えしていたりしていたらしい。
そんなこんなが続いたある日。その子供からなんと手紙をもらったというのだ。そしてその返事をどう書くかで悩んでいたのだった。
ということです中島家ですっぽり考えて返事を書いた。特にカッコよくも何ともない普通の感謝の手紙でいいだろう。と。そしてその手紙は家族で添削されその子供に手渡されたらしい。おとんはその後すぐにもうちょい偉くなって現場から離れたのでだった。
少し離れるが、中1の時に親の仕事について思う事という感想文みたいな授業があって反抗期に入りかけだというのと、その時はよくおとんの仕事に興味があまりなかったのでぶっちゃけおかんに草案を書いてもらって出した。内容は嫌がられる仕事だけど必要な仕事みたいなこと書いたら、先生が授業中に感動したのか泣いちゃって、ほぼ俺書いてないのに名文を生み出したの如く褒められ、早くもゴーストライターというものをなんとなく思い、モヤモヤしたのを思い出した。この事はゴーストライターおかんには伝えてない。でもこの返事の手紙は少なくともちゃんとおとんがしっかり書いたのだった。

何故こんなことを思い出したかというと。
ある日実家へ顔出した時におとんの仏壇の前にその子供からの手紙が供えられていたからだった。
あーあの時のか!と当時見てなかったその内容は拙い言葉で毎日ありがとうという言葉。単純な文章だけど思いが凄かった。
正直、俺の今の仕事も前の仕事もそんな凄いもんじゃない。肉屋の時に至っては正直部落の人間の仕事だと差別もされた。もちろん他の人もごみ収集に関しての仕事になんらかの嫌悪感を持つ人間もいるだろう。
だけど結局、その仕事は何処かの誰かが必要としてて、誰かがきっと毎日感謝しているのだろうと思う。きっとこういう形の手紙としての感謝になることはあまりないことだろうが、こういうことはきっとある。言葉にしないだけで、あの人頑張ってるなって思う人はどっかにきっといるだろうしな。
今日も安月給で貧乏暇なし暮らしでしゃかりきに働いているがきっと誰かが見てくれているのだろうと思えばそれなりに頑張れる。

多分必要のない仕事なんてないのだ。少なくともおとんの仕事する背中を見てそう思うのだった。
もうあの時の子供も大人になって成長したんだろうけど、おとんのこと覚えてたらいいなぁ

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