ガム1

2008年の9月に俺はゲーム実況を始めた。ゲーム実況との出会いは丁度その半年前くらいだったと思う。
当時、高校受験に失敗し私立のクソバカ高校に入学して木を隠すなら森の中と不良グループになんとか入り込み、最終的に追い出された俺は行き場を失った。高校を卒業した後は実は大阪へ出てNSC、お笑い芸人の養成所へ行くつもりだった。そのお金を貯める為にバイトをして当時のクラス委員長をヨイショして食い物や飲み物を奢ってもらっていた。度を越した彼は自分をロシアのハーフで実はスパイという設定を自慢げに話し始めたが、信じてあげ1000円を貰っていた。何故か同じクラスのMは信じていた。コントの台本や中三の時はクラスでやる舞台の台本も書いた。それは当時、みんなで仲良く手を繋いでリレーしたりや平等にしなきゃいけないっていうのを聞いて主役が10人いる小人のお笑いコントを書いた。
行き場を失った俺は、ドコモのアプリでニコニコにたどり着いた。最初は音楽やら懐かしいアニメやらを見ていたがゲーム好きなのもあってゲーム動画を見るようになった。その時から実況はもうあったんだが、声出すんじゃねぇよっていう気持ちで見る所から排除していた。そんな時にどういう経緯か覚えていないが、小悪党ドラクエ4にたどり着いた。それでどっぷりハマったのだった。中学時代に深夜ラジオを聞いてラジオが好きで、オールナイトやウンナンタイム、レコメンやスクールオブロックなどを聞いていた。ハガキも送っていた。ラジオネームは晴れの国オカヤマン。俺は、そのゲーム内容というより喋りに魅力を感じた。ラジオ好きなのもあったからだと思う。その後羅刹ラジオという企画で多くの実況を知る。
なんというか、個人的な感想だが陰鬱な感じとかそこから滲み出る面白さとか、正直クラスの中心じゃなかった感じの人間が主役になって画面の向こうをニヤニヤさせているんじゃないかと思っていて親近感と勝手に感じ、更に憧れを持った。
今の実況とかはこれも勝手な主観と感想だが、物凄く綺麗だと思うし光り輝いている。もちろん当時も光っていたけど、光っている所を嫌っている感じというかクラスの隅っこでニヤニヤしているのが好きだった俺は、今の環境や前までやっていた事に悲しい感じしか出てこないし、でもお前も同じことやってたじゃんって言われたらそうなんだが、元々底辺だった人間がそうやってチヤホヤされるとあの時憧れていたクラスの中心に慣れた気がして勘違いしたんだと思う。否定され続けたのが多くの人に認められた事でそうなったんかもしれん。俺はあの時画面の前での隅っこの人間に妬みや怒りやらモヤモヤをなんとか面白くしてニヤニヤしてもらいたくて、明るい人間にニヤニヤしてもらいたい方ではなかったと思う。明るくなった場所に居心地が悪い時が多くて、自分の理想郷を作るために罵詈雑言も言ってそういうのでもついて来てくれるのを求めていたので、結構無茶苦茶に見えたのだと思う。周りも元々底辺だろお前たちって思ったのが光り輝いて進化して究極感全体グレートモスになっているのに目が当てられないようになった。俺はゴキボールだったので。でもゴキボール結構能力高くねぇ?俺は配信や実況はもっとジメジメした者だと思っていたのでゴキボールには向いていなかったのだ。グレートモスにくっついていく装備カードも俺には装備できなかった。装備してみた頃もあったが結局合わなかったし、グレートモスが陽があたり陰から陽キャみたいな、ネットウェーイになっていって、当時高校の時にヤンキーの中に紛れてやってたけど、やっぱ居心地悪いのとついていけないあの感じを思い出す。
今まで出してた料理も、もう美味しくないよみたいになったので店を畳むことになった。でも結局別の場所で店を出して、前々からの客を待っている俺も最悪最低で、近くに高速出来るから立ち退けオラオラ、あいとぅいまてんってなってアクセル全開で泣きながらオランダに亡命するしかなくなっても仕方ない。バイクだけにブンブン。

よくわからないことになった。

面白い人間はお笑いのみだと思っていた俺はカルチャーショックだった。俺はこの面白い人と話してみたい。というのがゲーム実況を始めた理由だった。
同じ土俵に立つのが1番近道だと思いバイト代でパソコンとマイクを買い、NSCの入学料は憤死し、今みたいに環境も簡単に調べれず、なんとか試行錯誤してゲーム実況を始めた。正直中学、小学校とおもろグループにいた俺は自分に自信があったし、将来は多くの同級生が芸能人になると思っていたのか卒業アルバムの芸能人になるであろうランキングでトップだった。もしかしたら犯罪を犯してテレビに出る事も芸能人扱いだったかもしれん。そっちかな。
しかし見事に再生は伸びなかった。初めてついたコメントはつまんね。というのを一生忘れない。当時の俺はふざけんなよ。面白いだろとキレ散らかしていたのと同時に見てくれて少なくともリアクションしてもらえる事に感動もしていた。
今思えばほぼ中学生の人間なんだから話の引き出しもないし話す力もないんだから面白くないのは当然なんだが、当時は気づいてなかった。
とにかく再生を伸ばして目につけて貰おうととにかくやりまくった。2chの過疎実況スレにもROM専だったが張り付いた。ブログを作り、他の実況者と相互リンクを貼った。多分1番大きいところでやまもとっていう実況プレイヤーと相互を貼った。過疎実況通しで宣伝したりもした。今でいうコラボ実況もしたりした。
ある日ひぐらしの鳴く頃にを実況した。これは伸ばさなきゃいかんと思い、1番人が見ていたであろう深夜0時頃に投稿されるようにして且つ当時はマイページの右下に今投稿された新着という場所があった。そこに出てしまえばひぐらし好きは見るかもしれないと考え1週間連続で上手く行かないと削除してを繰り返し、なんとか1日で1000再生以上を出すくらいの動画にはなった。今まで200程度だった俺には5倍ほどの伸びだった。見事に叩かれてはいたが、大分目標に近づけたと満足していた。
するとこのあたりから生配信が盛んになる。そしてたどり着いたのが配信チェックサイトだった。そこでは俺が話してみたかった人たちが配信しているではないか。チャットで会話やSkypeで話したりもしていてびっくらした。そして俺は憧れの実況者と話す事も出来、目標に達したのだった。
満足して周りを見ると、本当に申し訳ないんだが配信チェックサイトに載っている配信者は有名どころもいるが所謂過疎実況者が結構いた。俺より少ない人もいた。なのに有名どころと同じ土俵で話しているじゃないか。
アレ、俺も同じ土俵に立てるんじゃないか?と考えた俺は今度はこの配信チェックサイトに載ろうとしていた。

まだ16歳程の夏だったと思う。

つづく

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