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会社を作ります!
私は、今年5月から個人事業で独立することにしました。
ちょうど10年前の2011年4月に両親の営んでいる「サイゴン」に専従者として従事することにしました
東日本大震災のあった年です
私は、調理師専門学校の卒業式の日3月11日に卒業式の解散後にすぐに震災にあって、あの時もコロナと同じように夜の業種が大変で、知事は県職員達に自粛要請をだして、私の両親のお店のサイゴンは、青森県庁の真隣
とても打撃を受けました
震災のあった最中、なかなか飲みに来てくれなくなりました
問屋さんから、ビールが届けられないかもしれない、お米もどうなるかわからないと言われて、いつ米が無くなるんだろう、売るものあるかな、これからどうなるかな、、と思いながら、3月から働き始め
3月11日の1ヶ月後の4月にまた停電が起こるような地震
やっと思う存分、制約が無く働けるようになった!いっぱい私が働いて、今まで苦労してきたお母さんとお父さんを楽にしてあげたいと
そう思っていたのに、卒業式当日に大地震、お客様もまったく来ない、いつ売るものが無くなるか分からない
そこから、私の社会人生活がスタートしました
お客様は来ないのが当たり前、どうやって来てもらうのか、そこを考えるところからのスタートでした。
私は、学生脳だったので、電話で予約をするのが怖いからホームページからメールで予約したいのになんでホームページ作らないの?、英語のロゴマークなんて読めないよ!カタカナで良いじゃんということや、エスニック料理屋さんであろうと、お酒飲むとこなのに、枝豆とか塩きゅうりとかキャベツ無いの?など自分の思ってることを、バンバンお父さんに伝えました
もちろん怒られます
今まで両親の作っていったものを、いきなり壊すような発言、しかも、なんで?なんで?とせがむだけで、その時の私はやらないのに言うだけ
典型的な口ばかりの人間でした
両親のためと思って入ったのに、両親を傷つけてばかり
そんなある日、親子喧嘩でいつものように私が、「東京だったら私のやりたいこと出来るのに」とここじゃ能力なんて発揮出来ないと言うと
お父さんが、
「やるやつはどこに居たってやるんだ、自分の生まれ育った土地でその土地の環境、人々の生活、考え方も知ってるのに、何も出来ないやつは、どこにいったって同じだ!どこにいったってやらないんだ」
「このお店は、お前が居なくても20年やってきた。だからお前が居なくてもお店はまわる。必要な人材だと思われることをしろ。料理は俺が作る、ホールはお母さんがいる。あと必要なポジションはどこだ」
言われた日の当日は、夜に怪獣が現れたと言われたくらいに夜中に大泣きしました
まったくもってその通りで、ぐうの音も出ない
それから私は決心して、自分のお小遣いでパソコンを買いました
お客様が来た時は、両親で対応出来る
でもそもそも、お客様が来ないなら来てもらうために宣伝しなきゃ
そこにお店があるってことを知らない人もいる
存在を知らせなきゃ
そう思い、まずはホームページを作りました、と言っても知識がないので、無料でホームページを作るサイトに登録して、それで作ってみました
見栄え最悪、無料サイトで作ったとすぐバレて、お店のレベルを知られてしまう
何か簡単に出来るソフトをと思い、ホームページビルダーというソフトで作ってみて、本を買って、どうやって問い合わせフォームを作るのか、お店のメールアドレスってなんだ?全部わけ分からなくて、勉強から入りましたが、両親はその勉強する時間を私に与えてくれました
そして、作ったホームページから来た初めての問い合わせ
嬉しすぎて、顔文字たくさんのまるで、友達に送るような文章を送ってしまいました。私は、どの企業で働いたことも無い無知の状態。仕事で使う文面なんてものも一切知りません。お客様に、お店から来たメールだと思わなかったと言われるくらいに、とんでもない文章。でも、そのおかげでそのお客様とメル友のように仲良くなれました。
大手企業のホームページを見ながら、あとは何が必要なのか模索する日々。
SNSをやっていなかったけど、大手は、LINEってのやってるんだ?公式Twitter?Facebook?なんか、ネット系って胡散臭いなぁ、でも大手がやってるならと始めてみました
お父さんの教育の中で、「自分よりすごい人は世の中にたくさんいる、自分のやったこと、自分の知識に囚われ続けるな」「大手は、優秀な人材を集めて、そこで会議して決定して実行してる。だからしっかり勉強されてるし、それをやるにはデータもあって、理由もちゃんと含まれてるんだ。だからまずはそこから学べ」という教えだったので
大手を勉強し、大手のやっているホームページや、SNSなどの告知方法を自分なりに学んで実行しました
その勉強している中で、急成長していた牛角。なんでこんなにすごいんだろと歴史を調べていたら、お客様に牛角の悪いところを言ってもらって、悪いところを言ってくれた人には割引ということをして、そこを改善していった結果、良いお店が出来たというのをみました
そっか、、、来たお客さんに直接どうしたら良いか聞くのか、そう思って、私はホールでお客様と会話することに努めました
受付って女性ばっかりだし、黒髪にしろって言うけどなんでだ?そう思って、一番話しかけられやるい見た目を作るために、化粧と髪型を1年間変え続けて、ショート〜ロング、黒髪〜金髪、薄いメイク〜濃いメイクで研究した結果、
茶髪ボブ、前髪を分ける、化粧は、二重の茶色系等のメイクなど分かり、クレームであろうとこのスタッフには言いやすいという見た目を作り
話しかけられるきっかけ作りのために、お客様と接点を作っていく接客方法を考えていきました
そして、予算もまったく無い個人店、チラシだって作ると高いし、せっかくパソコン買ったんだし、作ってみようとチラシやポスター、メニューの作り方も独学で学んで作っていき、
大手ってネットショップやってるし、楽天ってどうやるんだろ、やってみようと楽天ショップを作ったり、作ったら、めちゃくちゃホームページの知識必要で、それ出来るようになるために、それまで逃げてたHTMLの勉強したり
なんか世の中、アプリって出てきたけど、作れないのかな?とやってみて、メニューを表示させるだけのアプリは作れたものの、これは、、、ということで没案になったり、
全部両親を楽にしてあげたい思いで、やり続けた結果、お客様がたくさん来てくれるようになって、予約をしないと入れないお店というところまでいくことが出来ました
あまりにも予約を断る件数が増えて、これでは悪い印象になってしまうと思い、系列店のわやわやをオープンし、予約を断るのでは無く、その店舗に入ってもらおうと、サイゴンから近くにわやわやを作り、夫と弟と一緒に0から作り上げていきました
両親は、私が何もやらないことに関しては、怒ってきましたが、私が勉強をするための時間やチャレンジは、時間の面もお金の面も全部サポートしてくれました
いろんなことがあって、やっと全部がうまく行き始めた!
これで両親を苦労から解放してあげられるんだ!
そう思っていたら、コロナで飲食店は大打撃
あの震災後の大変さとは比べものにならない居酒屋の暗闇の時代
どうしたらいいんだろうと悩み続けて、その中でも、両親の教えのなんでもやってみること。成功するまでやり続ければ、その失敗は成功への糧になるから、失敗しようと責めない、お前を信じてるからやりたいことをやりなさいという言葉が、支えになって1年間やり続けました
その結果、メディアの方に取材をたくさんしていただきましたが、その担当の方が、ここまでいろいろやってるところってあまり無いですよ
そう言ってくれました
でも、それと同時に、きっとやりたくても、どうやっていいか分からない人がいっぱいいて、一人でやってるお店は一人で何か新しいことを始めるなんて出来ないから耐えるしかなかったんじゃ無いのかな、、、そう思いました
独立するのも、いろんな考えがあって、今は両親や仲間とためにそうすべきと判断したからだったけど
何か、、違うな、、もっと、、、何か、、、
そんな感情がぐるぐるしてて、モヤモヤが解けずにいました
コロナのこのご時世を変えたくて、青森県に時短要請などの嘆願書で署名を集めたのに、何も応答の無かった県
きっと、仕事を失っていく人たちのことなんて考えて無いんだろうなと考えていたら
このまま青森の人たちが職を失っていいのか?
全国に遅れをとっていていいのか?
若者と年上の人が関わることで、新しい未来を作れるんじゃないのか?
私と両親の関係性が、まさしくそうだったじゃないか
若者の発想と行動力と年上の人たちの技術、知識を掛け合わせたことで、作れる未来もあったじゃないかと思いました
今、青森に全国から宅配サービスが入ってきていて、大きな手数料がかかっています
悪いことだとは思いませんが、もっと将来、このままいけば青森の人たちのお金が流れすぎてしまわないか心配で
青森から全国に向けたサービスを作るべきなんじゃないかと考えるようになりました
私は青森に事業支援カフェを作り、そこを店舗兼事務所として青森の事業をやりたい、やってる人たちが気軽に集まれる場所を作ろうと思っています
もちろん、カフェ業だけでは無いです
その奥を事務所、ライブ配信出来るスペースとして
商品を持っている事業者さんの商品をライブ配信で通販するようにし、発送の代行業務などを請け負うライブコマース部門
発信が苦手な人のために、SNS運用代行サービスを行う部門
創業に興味を持ってもらえるように行うセミナーの部門
事業には欠かせない宣伝するためのチラシやポスター、バナー作成などのデザインの部門
これを全部行うために会社を作ることにしました
私のやりたいのは、青森をチャンスの土地にすること
青森の未来を作る人たちが青森にたくさん出来て欲しいと思っています
私は、そんな青森を変えていく人たちの支援の出来る事業を行いたいと考えています
会社名は、ローカルチェンジにしようと考えています。
きっと全国に同じような人がいてもうすでにあるのかもしれませんが、第一希望名です。
女性、若者、障害者、現代のネット社会に取り残された人、そんな人たちも支援していけるようにするのが目標です。
青森を消滅都市にさせたくない、そのためには、仕事を作らなければ暮らしていけないから
私は、安心して仕事が出来る様に、私ひとりでは叶えられそうも無い目標を一緒に叶えてくれると言った人が、胸張ってここで働けるというように会社を作ります
私は、全然お金なんてありません
私の持ち合わせでこの夢なんて叶えられません
だからこれから融資を受けて資金繰りを行います
飲食店の人たち、困っている人たちを繋いで、仕事を作り出したり、青森の事業者の方が全国へ向かう企業となるために、青森のあるお店さんがフランチャイズ化した時に、マッチング出来るような場所を作ったり、
事業支援を行える場所を青森に作りたいと思います
場所は、古川グルメ商店街内に作ります
6月4日に、司法書士さんのところに行き、会社を作る相談をしてきます。
私はまだまだ無知。また昔と同じように勉強の日々です。今回も、もりもり弁当の佐藤さんや、大勝軒の野呂さんにお世話になり、司法書士さんと繋がることが出来ました。
一人では何も出来ない、だから青森をチャンスの土地にする目標のための組織を作るために会社を作ります。
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